夢の破片は物語をかたち造るか?

冷世伊世

1. バイポーラは1時間以上覗くべからず

1

「――で。あなたは何者? そもそも人間なの?」

 私の目の前には水色の髪の青年がひとり。

 白シャツにジーンズ姿という出で立ちで、ぼんやりそこに突っ立っている。

 きょとんと茶色の目を無邪気に瞬かせ、おそらく鬼の形相になっているだろう私を、さも珍しいものでも見たように首をかしげた。苛々と腕組みし答えを待っている私に向かい、そいつは何を血迷ったか照れたように笑った。

「君、怒ってるの? うわぁ、良いなぁ」

 なにが。

 ふんわりしたその口調にキレそうになる心を、すぅと息を吸うことで鎮めていく。

 さっきからこの調子で全然話がかみ合わない。

 青年はのらりくらりとこちらの質問をかわすばかりで、その答えがいちいち私をいらつかせる。

 私はつとめて冷静を装いながら、低い声でもう何回目になるかわからない警告を青年へ発した。

「……あなたはバイポーラの泉の中から出てきた。これがどういうことか、わかるよね?」

「バイポーラ?」

「通常、人間は出入りできない場所よ。バイポーラの中は極彩プラズマで満たされてるから、人は中へ入れない。溶けちゃうもの。けれどあなたは、そこから出てきた」

「そこ……?」

「いい加減にしなさいよ……さっきそこから! 出てきたでしょ!?」

 とぼけ続ける青年のすぐ後ろを、私はびしりと指さした。

 1メートルほど先の地面に小さな水色の池がある。

 うす暗い洞穴のような地下で、その水面は燦然と輝き続けている。天井の岩壁にはたゆたう水色の光が、ゆらめきながら美しく反射していた。

 それは正確には池ではない、「バイポーラの泉」だ。中に入っているものも水ではなく、液体でもない。極彩色プラズマの粒子、細密な素粒子の空間。人類にとっては不可侵の領域であり、この世のすべてと繋がる可能性のある海だ。私たちの世界を根底から支えているエネルギー源も、このバイポーラの泉から採掘される。

 けれどその中へ入ることはできない。人の肉体は、堅密な素粒子の海では溶けてしまうのだ。バイポーラの泉の中は、人体にとって有害なもので満たされている。だからそこへ入るだとか、ましてやそこから「出てくる」人間がいるだなんて、私には信じられなかった。たとえつい数分前に、青年がそこから「よいしょっと」と出てきたのを目撃していたとしても。

(絶対にこいつは人間じゃない。だってこんなこと、あり得ないもの)

 やはり「検閲課」に通報するべきだろうか。それはそれで非常に面倒なことになるのだが、仕方ない。私がそっと携帯電話に手を伸ばしかけたとき、思い出したように青年が手を打った。

「あ、そうだった。僕、たしかに泳いでいて――それで、そう。そこから出てきたよ」

「……泳ぐ?」

 極彩色プラズマの中を? ありえない。

(やっぱり人間じゃない。だとしたらこれは――いったい何?)

 数歩あとじさるこちらに頓着せず、青年は頷きながら言う。

「しょっぱかったんだ」

「はあ?」

「不思議な味がするから、そちらへ泳いで行ったら君が、あのほとりで泣いていたものだから――」

「っ!」

 見られていた。

 とっさに両目を拳でこすると、泣きはらした瞼はたしかに熱をもっている。

 突然のことに驚いて涙なんて引っ込んでいたが、私はさっきまで泉のほとりで泣きじゃくっていたのだ。まさか泉の中から出てくる人間がいるなんて思いもしなかったから、一人だと思って完璧に油断していた。

 私が青年を睨みつけると、そいつはまた嬉しそうにへにゃりと笑う。

「いいね。君のそれは“怒り”の感情だ」

「――あなたが言ってること、意味わかんない。けれどこれだけは分かった。今すぐ『検閲課』を呼んで、不審者を引き渡すことにする――!」

「ねぇ、『カイ』って誰? 好きな人?」

 思わず息をのむ。どうやらひとり言まで聞かれていたらしい。ひゅぅ、と震える喉で息を吸い、無邪気そうな青年の笑みを睨みつけた。

「もう一度だけ聞くけど。あなた、本当に人間――?」

 だとしたらこれは、こいつは何なのだろう。

 水色の髪をさらりと揺らして、痩せ細った青年はにっこりと笑う。

「僕はシン。僕が人間かどうかについてだけど――」

 ありえない。

 携帯電話を握りしめる私の手は、怒りのせいで汗ばんできていた。

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