第16話 不条理を愛した妻たち

 神は時として、むご過ぎる夫婦の縁を結ばせてしまうものだ。

 ここに凛太郎りんたろう光輝こうき、そしてラリと綾音あやねという男女四人がいた。

 大手企業に入社し、同期として出会ってしまった。


 凛太郎は体育会系、ガッツがあり、なかなかの好青年だ。ただ野心家で、もちろん社長になることが夢だった。

 一方、光輝は男にしては色白、少しひ弱に見える。だが、その分人を押しのけてという印象はなく、ペットにしてみたいような男だった。

 そしてラリはスラリと背が高い。目がくりっとして、いかにも都会的なセンスを持ち合わせたレディ。何につけても割り切りが早く、とにかく未来に向かって歩き出すことが好みのようだった。

 そんなラリに比べ綾音は、思考もコンサーバティブな女性、何事もじっと待つタイプだった。言い換えれば、この中では一番しぶとい性格だったのかも知れない。

 これほど多彩な男女が同じフロアで一緒に働き始めたのだから、何が起こってもおかしくない。きっと神も、高みの見物と決め込んで、興味津々であったことには間違いないだろう。


 Time flies very fast !

 あっと言う間に30年の時は流れた。

 その過程で同僚という縁は形を変え、辣腕らつわん勤め人の凛太郎と、いつも女性パワー全開のラリは結婚した。そして凛太郎は順風満帆、役員昇進の一歩手前までこぎ着けた。

 またラリは退社し、アパレル会社を起業し、最近は輝くミセスとしてファション雑誌の表紙を飾っている。


 一方光輝といえば、相変わらずの癒やし系。その鈍感さからか凛太郎の部下となっても別段苦にもせず、まるで春風のようにほんわかと生きてきた。

 そんな光輝を連れ合いとして手なずけてきたのは綾音。友人ラリの華々しい活躍とは別に、静かな策略家の綾音は3年前に社長秘書に抜擢され、今は権力を背に陰で会社組織を操り始めている。

 幾星霜を重ね、いよいよ4人に何かが起こりそうだ。最近こう予感する神は身を乗り出し、下界の様子をじっと窺う。

 そんなある日のことだった、新聞紙面に、まことにおぞましい見出しが躍った。

『上司と部下、刺し違える!』と。

 その内容を要約すると――。


 某一流企業の役員候補、凛太郎とその部下の光輝は、凛太郎のマンションの一室で、凛太郎はナイフを使い、光輝は包丁で、互いを刺し違え、斬殺し合って死亡した。

 おどろおどろしい真っ赤な血の海、二つの死体のそばで呆然と立っていたのは、出来事すべてを目撃した凛太郎の妻、すなわち今を時めくラリだった。

 なぜこんな事態に?

 風説によると、ラリはプードルのように手なずけた光輝と不倫関係にあった。

 その現場へと踏み込んだ夫の凛太郎は、部下の光輝に妻を寝取られたと逆上し、男二人は喧嘩となった。その果てに、殺し合う修羅場と化したのだとか。

 そして現在、夫と愛人を同時に失ったラリに、多くの女性から「この災いを乗り越えて!」とエールが送られている。


「百目鬼刑事、私、どうも腑に落ちないわ」

 現場でラリに、さらに光輝の妻の綾音を訪ね、任意の聴取を終えて本署へと戻ってきた芹凛こと芹川凛子刑事がポツリと漏らした。これに百目鬼は「熱いコーヒーでも入れてくれ」と頼んだ。

 百目鬼はわかってる、コーヒーの香りで、部下の芹凛は推理をより深化させる不思議な女性刑事だと。

 そして、それは的中した。湯気が立つマグカップを差し出す芹凛、香気を押しのけて熱く語り始める。


「綾音が――同期の凛太郎に、『夫の光輝を、あなたの妻のラリさんから返してください』とお願いしたことを、綾音を訪ねた時に話してたでしょ。これって、あなたの妻は部下に寝取られてるわよという面当てのご注進で、出世頭の凛太郎のプライドを傷つけるためだわ。これで凛太郎は腹を立て、あわよくば刃傷沙汰になることを綾音は心の奥底で望んでいた。つまり自分の手を汚さず、夫を殺してもらうための謀略だわ」

 こんな凄まじい推理に百目鬼はただなるほどと感心するしかない。


 さらに芹凛は留まることはなく……。

「光輝が使用したという、現場の包丁には血痕がなかったわ。確かに光輝はナイフで、凛太郎に刺された。だけど光輝は包丁で凛太郎を刺してない。ということは、激情した凛太郎が光輝をナイフで殺害後、ラリがそのナイフを取り上げ、愛人の光輝を殺された恨みで、夫の凛太郎を刺殺したことにならないかしら。その後ラリが床に包丁を置き、刺し違えの偽装を図ったってことだわ」

 この推理には、凛太郎の傷が包丁でなく、ナイフによるもの、その証明が必要。

 だが、それを待たずとも綾音には多額の保険金が振り込まれる。


 またラリにとっては、夫たちが互いに斬殺し合った、これがもし工作できれば、凛太郎の多額の遺産が舞い込み、かつ世間からは不幸な妻として同情が集まる。まさに将来は盤石なのだ。

 こんな動機だが、充分あり得る事件。百目鬼は芹凛の無慈悲な推理に目を覚まし、鬼の目をギョロッと剥いた。

「あまりにも不条理、ついに神は辛抱堪らず、芹凛に舞い降りたようだな。夫婦の縁を血祭で終わらせて、生き延びようとする妻たち。その仕組まれた刺し違え事件、凶器は一本のナイフだった。そして発起人は何事もじっと待つ綾音だったってことか。さっ、暴きに行くぞ!」


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