第14話 午前4時の通り雨

 朝まだきにザァーと通り雨。

 それが止み、東の山際に朱の太陽が昇り始める頃、女がヒラヒラと落ちて来た。

 しかし、衝撃は強いものだ。タワーマンションの屋外は血の海に。

 早朝に出勤する人たちはあっと声を詰まらせる。そして後退りをし、反射的に屋上を見上げる。


―― 演技派女優の折鶴蘭子おりづるらんこ、午前6時、朝陽に飛翔! ――

 女流写真家でもある蘭子は、岸有樹きしゆうき演出の超大作ミュージカル「舞い降りたものは」のヒロイン役のキャスティングをめぐって、小悪魔女優のユーユと争っていた。

 しかし、岸氏は昨今ユーユの抜擢に傾いていたと噂されている。

 本マンションの10階に住む蘭子、ヒロイン役争奪戦に敗れたようで、それを悲観し、自ら身を投げたのか?

 その裏付けとして、屋上には蘭子のパンプスと遺書が残されてあった。

 皮肉にも、蘭子はミュージカル「舞い降りたものは」を先立って演じてしまったとも言える。

 エンタメ・マガジンはこうネット速報した。


「許せないわ、こんな憶測記事。ビジュアル女優、ユーユのファンの百目鬼刑事さん、まさか自殺したってことに賛同されてないでしょうね」

 芹凛こと芹川凛子刑事が朝から絡んでくる。百目鬼にとって、ユーユはいつも妖しげで、男心をくすぐってくる。たとえネット報道だとしても、自殺説が当たらずとも遠からずと思いたいところもある。

 だがここは刑事、部下の前でキリリと立ち上がり、「さっ、事件性があるかどうか調べに行くぞ」と告げ、大股で外へと向かった。芹凛は無言でその後を追い掛けるしかなかった。


 現場に入った二人、すぐに検死をし、それから屋上へと上がる。周囲は落下防止の金網が張り巡らされている。

 だが女性でも充分乗り越えられる高さ、それを確認し、遺留物をチェックする。

「えっ、濡れてるわ!」

 蘭子の靴に触れた芹凛が叫んだ。

 百目鬼はすでにわかってる。現場検証からの仮説の組み立て、その方向を部下と合わせるために、ボソッと吐く。

「時間のズレがあるようだな」と。


 この確認をした芹凛、頬に手を当て、「蘭子が飛び降りたのは午前6時、その時靴を脱いだのであれば濡れてないはず。ということは、4時頃のにわか雨の前に、パンプスはここに置かれたと考えられます。すなわち蘭子の飛び降り自殺に偽装の疑いがあるわ」と。

 これに百目鬼は「遺体の損傷具合から、投身地点は30階以上の高さ。マンション東面の、蘭子が落ちた墜落線に沿う住人を調べてくれ」と指示を飛ばした。


 30分後、百目鬼は報告を受ける。

 37階の住人は演出家の岸有樹でした、と。

 これはまことに重要情報だ。早速二人は訪ねてみる。

 岸は在宅で、室内へと招き入れてくれた。蘭子の死にショックを受けた様子だったが、それでも快く任意の事情聴取に応じてくれた。

 岸の弁によると、昨夜3時まで在宅していた。その後友人から誘いの電話があり、深夜パブへと出掛けた。

 そして朝7時に帰宅した、と。


 この裏を取った結果、蘭子が舞い降りた午前6時、岸は外出中でアリバイは成立した。

 また室内を検分するが、実にシンプルな住まいだった。

 壁に1.9メートルx1.0メートル、多分120号であろう大きな風景画が飾られてあるだけで、あとはソファにテーブル、他に一応の電化製品、他に目に付くものとしてはカゴに入れられたフランスパン程度のもの。

 またベランダには金属製物干し竿とホースが2本、それ以外に25リットルのバケツ2個だった。

 さらに防犯カメラには異常な物を運んだ形跡は映ってなく、以上からして、蘭子の飛び降り自殺と岸有樹との繋がりは見出せなかった。


 署に戻った百目鬼と芹凛、しかし、しっくり来ない。

 長い沈黙の後、「芹凛、あの部屋にある物で蘭子を殺害し、その後、アリバイ工作はできないか?」と問うた。

 なかなかの難問だ。さらに沈黙が続く。

 しかし、30分後芹凛が口を開く、「コーヒーでも入れましょうか」と。百目鬼はわかってる、芹凛が推理を組み立て終えたのだと。

「うん、濃い目でな」と目配せすると、芹凛は嬉々として、コーヒーと同じような濃い仮説を語り始める。


 岸有樹は蘭子を夜2時頃に撲殺。

 その凶器は水を含ませ、冷凍室で凍らせたフランスパン。

 殺害後、蘭子のパンプスと偽造遺書を屋上に持って上がり、フェンス前に置き、部屋へと戻る。

 それから壁の絵を取り外し、裏返してベランダの柵の上に一方を乗せる。そして後方の金具にロープを結び、物干し竿の上を通して、その端にバケツをぶら下げる。そこへホースで僅かずつ水を注入して行く段取りをする。

 この後、つっかい棒により水平にした絵の上に蘭子の死体を乗せて、マンションを出て行った。


 それでも時間とともにバケツに水が満たされて行き、重量は増して行った。そして遂に120号の絵の後方は持ち上がり、朝6時頃に傾きは45度となった。

 結果、蘭子は絵の上をズルズルと滑り、空中へと舞った。


 見事な推理だ。

 しかし、芹凛は動機が分からない。これを察した百目鬼、人間臭い分野は得意だ。

「岸とユーユは男女の仲。それを写真家でもあった蘭子はフォーカスし、それをネタに岸を訪ね、ヒロインに抜擢せよと強請った。暴露されれば、岸の評判は地に落ちる。あとは計画的に、岸は保身のため、蘭子を殺害したんだよ」と揺るぎない。

「百目鬼刑事、いいですか、ドロドロの男女の欲が絡む殺人事件、それでいて大好きなユーユは犯人ではないと味方する――、嫌なオヤジの勘ですね。はっきり言っておきます、ユーユも殺人現場にいたと思いますよ」

 こう辛抱し切れず吐いてしまった芹凛に、百目鬼は「なるほど、岸とユーユの合作殺人てことか。女鬼刑事には参りました」とギョロッと目を剥いて、あとは天に向かって檄を飛ばすのだった。

「午前4時の通り雨の後に、舞い降りたもの――、それは女の死体だった。さっ、芹凛、マンションへ行くぞ!」


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