31_DanceBox_08


 小さな部屋の小さく見える扉を開けると、逆さ円錐の空間は元のままの形で私たちを待っていた。有無を言わさず解釈領域を引き寄せる“何か”も同じベクトルを持って存在し続けている。この距離ではわずかに動きを認識できる程度の中心を、私は棘のある視線でピントを完全に合わせないまま睨んだ。


「怖い顔をしなさんな」


 ケイコが私の緊張を解こうとしてくれた。


「ケイコはあの女性の踊りを近くで見た?」


「うん、見たよ」


「ここで踊りを見ている人たちが知っている噂も、知ってる?」


「そりゃもちろん」


 ケイコの感想を聴きたい。でも、その前に。


「できるだけ近くで見たいんだけど、」


「静かに見守ってあげる。手でも繋いでようか?」


「その通りですお願いしますだけど、手は大丈夫……」


 不規則な進路はやはり直線にはならなかったが、円周に仕向けられるような空間構造をかなり無視して中心へ降りて行く。かの螺旋経路など実際には無いのかもしれない。ケイコは私のすぐ後をついてきてくれた。通路に幅があるところでは横にも並んでくれた。さっきの老人のところを通ったが、彼はチラッとこちらを見て口元を緩め、気付いていないふりをしてくれた。空間の中心は位置情報のためだけに確認し、踊りになるべく視線を向けないようにして進んだ。踊りは尚も続いている。


 中心部は平坦な円形ステージ状になっていた。位置が床よりも高くなっていて腰の高さ程の高度を持っている。薄い素材に覆われた踊り手の足が床で生み出す音を可能な限り消さないように、しかし踊り手の足に適度な反発を返すように、床だけを見てもそんな造りがされているかのよう。円の大きさはそれほど大きくはない。窮屈さを感じさせてはいけないが、広すぎても踊り手が小さく映ってしまう。このあたりの距離感ももしかすると歪められているのかもしれない。


「先にちょっと喋るよ」


 ずっと黙っていたケイコが口を開いた。


「ステージには見えない壁があると思った方がいいよ。これだけすごい踊りを見せられるもんだからあの女の人に触ろうとする輩もいたんだ。でも見えない壁に取り込まれるようにして消えちゃったんだって」


「消えちゃった、って……」


「なんでも、光は取り込まないプチブラックホール……真っ黒じゃなくて透明って意味ね、そのブラックホールがステージを囲うように存在するみたいに、こう、ぺしゃ、って――」


 そんな物騒なと私。


「まあ映像説もあるくらいだし定かじゃないんだけどね。女の人を狙った銃弾が掻き消されたとか、変な説得力のある透明バリアー説はいくつかあって、今じゃ誰も手を出そうとはしないんだ。危ないのは多分間違いないから、踊りを止めようとかしちゃダメだよ。ハルカはしないと思うけど……」


「以上でケイコは黙ります」とケイコ。踊りの引力は疑いようのない事実なので、それを護り維持するための何かは本当にあるのかもしれない。私自身には今のところそんな気は全く無いけれど、踊りを見ているうちに魅了されすぎてということは無いとも……そうならないためにケイコを連れてきたんだった。


「なるべくフラットな視点でちゃんとあの女性の踊りを観たくてね。でもどうなるのか分からない部分があって、」


 頷くケイコ。


「まだ喋ってよー」


(もごもご)


「もー」


「いいよ、あたしはなるべく踊りを見ないようにして、ハルカを見張ってる」


「……ありがとう」


「任せときなさーい」


「あたしも真剣に見ようとすれば無傷じゃいられないからね、ハルカでも眺めてるよ」と冗談めかした口調でケイコは添えた。


 ケイコは私の真横に立ち位置を調整すると、斜め下に視線を固定した。そのまま私に分かるように手で『OK』のサイン。私は安心して、目を閉じて、深呼吸をして。そっと、しっかりと目を開けた。

 一度限りなくゼロにできた解釈領域のほぼ全てを、その踊りに向ける。

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