夏と原稿用紙~その書き出し~

@motome

夏と原稿用紙:その書き出し

 タイトルが決まらない。

 コンビニで彼女がコーヒーを煎れている間、リップクリームを塗りながら考える。

 淡々と氷を崩しながら滴るコーヒー、それを見つめながら彼女は「どうしたの」と独り言のように呟く。私はなんでもない、と応える。

 凛とした横顔、私がそう描写するとき、思い出すのは彼女の顔だ。

 細くて、触れたら冷たそうな肌と、ずっと遠くを見ているような瞳。

 彼女は自分のことを「何も考えてないだけだよ」と茶化して言うけれども、眠そうに閉じかけている瞼の中にさえ、私は遥か遠くの世界を覗いているように思えてくる。

「昨日も遅くまで曲を作ってたの?」

 彼女はアイスコーヒーにフタをしながら頷く。砂糖は入れない。

 無駄と分かっていても、私は心配する言葉をかける。ちゃんと寝ないと体に悪いとか、夜更かしはお肌の敵だとか、曖昧な知識で言葉にする。腰の入っていないパンチをのらりくらりと避けるように、彼女はコーヒーを片手にそそくさとコンビニを出て行った。その背中を追いかけて外に出る。

 外は暑い。放課後のこの時間でも太陽は日差しを弱めない。梅雨あけの肩慣らしとばかりに、貧弱になってしまった現代っ子の肌を容赦なくつつく。

「暑いね」

「うん、ちょっと前までは涼しかったのに」

「夏は好きだけど、暑いのは嫌だな」

 不機嫌そうに言って「汗かいちゃうから」と付け加える。

 眠たげな瞳は、悲しい過去でもあるように重々しく語る。どこか影と裏があるように感じるけど、きっと言ったままの意味だろう。なんとなく、最近分かってきた気がする。

 学校から部室までの二十分は、私と彼女の会話の時間。

 どうでもいい話を彼女と交わし、拾えるモノだけ拾い合う、無意義な時間だ。


「それでは、表現部の活動を始めましょうか」

「その呼び方、いい加減やめませんか」

 彼女は真っ赤になる私をからかうように、毎回この名前を使う。

 表現部、なんて適当に出た名前を彼女は気に入ってるのかも知れない。ワンルームのテーブルにコーヒーとノートパソコン、原稿用紙。私達が部室と呼ぶそれは、平凡な住宅街の平凡なうさぎ小屋。私の住むアパートに他ならない。

 表現部、それは私と彼女から成る部活。

 入学早々、軽音楽部と文芸部がなくなり途方に暮れていたたった二名の一年生が結成した部室も存在しない同好会だ。主な活動は彼女が作曲、私が小説の執筆を行ったり、たまに面白い本を薦めたり、お気に入りの曲を薦めたりする、厳密には「同好会」でもない。

 その名前は、咄嗟に私の口から出た部活名。

 彼女には散々ネタにされた挙げ句、今ではそれが正式名称だ。彼女はこういうところが妙に意地悪で、私は「表現部」と口にされるたびにむず痒い思いをする。

「新しい曲、できたの?」

 話題を変えるために言ってみる。彼女はちょっとだけ頭を揺らし、PCを開く。

「昨日、ちょっとだけメロディ、思いついたんだ」

 テーブルの中心に移動されたPCに視線を送ってみせると、彼女はどこか嬉しそうな顔でエンターキーを押した。

 PCのスピーカーから流れるメロディ。ピアノと、主旋律はオルゴール。

 もの悲しい、でも決して後ろ向きではない。

 淡々としているけれど、寂しいわけではない、静かだけど動いている。夕暮れというより朝焼け。早朝の誰もいない街を散歩しながら物思いに耽っているような旋律。

「朝焼けみたいな音、淡々としてるけど、綺麗で」

 独り言はそのまま感想として伝わった。

「ちょっと恥ずかしいな……」

 言い回しのことだろうか、それとも照れているのだろうか。口を綻ばせて、自分の前髪を手櫛でいじっている。こういうところは年相応でなんだか可笑しい。

「でも本当、とってもいいメロディ。詳しくない私でも分かる」

「ありがとう、遅くまでがんばった甲斐があった」

 本当は数え切れない賞賛の言葉を惜しみなく送ってみたいけれど、、そんなことをすれば陳腐になる。口にする言葉は少ない方が良いのだ。

「私も……はやくいいタイトルが浮かべばいいんだけど」

 代わりに私は、自分の原稿用紙に目を落とした。

「まだ決まらないの?」

「うん」

 彼女との部活を初めて数ヶ月。活動中に初めて書いた短編小説は、結末まであと数枚、物語は架橋に差し掛かっていた。

 この作品のタイトルを書き始めてから今までずっと考えている。いつかピンとくると思って書き綴っていたものの、一向に作品にぴったりなタイトルは浮かばないままだ。

「ずいぶんと時間が掛かってるね」

「うん。なんとなく、適当に決めちゃいけない気がして」

 大切にしてる、というのはすこし違うのかもしれない。ただ、自分に馴染むタイトルが見つからないだけで、私はずっとモヤモヤしているのだ。

「それにもうすぐ完成なんでしょ、いい加減読ませて欲しいな」

「だ、ダメ」

 原稿用紙に手を伸ばそうとするそぶりに、過剰に反応してしまう。

「か、完成したら、見せるから」

「私の曲は聴くのに。そっちは読ませてくれないの?」

 何故だろうか。他の作品はいい、むしろ最初に会ったときには彼女が興味を示してくれたことが嬉しくて、昔書いた小説を読んで貰ったこともある。

 でもこの作品はどうしてもダメなのだ。

 ありきたりな冒険劇、自由に生きる魔女と、心惹かれる普通の女の子。ファンタジーの世界を舞台にした楽しげな短編。魔女の生き方や容姿に憧れるも、女の子はあまりにも平凡すぎる自分と彼女の差に、住む世界の違いに思い悩みながら、魔女の見ている世界にのめり込んでいく。

 この物語はハッピーエンドで、ご都合主義だ。だけどそれでも、私はこの作品にタイトルをつけることが出来ずにいる。

 しっくりとくるタイトルなんて、実は初めから存在しているのに。

「覚悟ができたら、読んで貰うから」

「覚悟って大げさな言い方」

「大げさかな?」

 そうだよ、と歯を見せて笑う。茶化すような、悪戯な子供のような顔を見ると、そのギャップに私は痺れるような、噎せ返るような、そんな感覚に陥る。

「なので、もうちょっとまっててください」

「はいはい」

 これ以上言及してもダメだと知っている彼女は流すように言う。イヤフォンを付け、PCに目を落としてしまった。

 モヤモヤしたまま、原稿用紙の空欄を覗く。

 初めから知っている、ただ、覚悟ができていない。

 頭の中に浮かんだ言葉を書いて、消した、。シャープペンシルを転がす。

 多分、この物語にタイトルを付けるとしたら。

 それは、「恋」に他ならない。

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