魔女ファウラの遺言書【異能魔女×疑似西部】

夜逃げ聖女の越智屋ノマ@甘トカ発売中!!

前編 【1. Nathaniel;神の賜物】

【The Prologue】

 ――私の主人は、滑稽だ。


「魔女さま。この子をどうかお救い下さい。生まれながらに腎を煩い、死を待つ他ない我が子です。たとえ医者には治せなくても、“Book”の魔女である貴女さまなら……」


 涙を流してすがりついてくる男を見下ろして、私の主人彼女は冷ややかに笑った。

「ハッ、“魔女さま”と来たか。ふだん貴様ら只人ただびとが俺たち魔女をどう呼んでいるか、知らないとでも思ったか? 貴様らの図々しさには反吐が出る」


 蹴り倒されて床板に尻餅をついてなお、その男は訴えることを止めなかった。土気色で寝台に横たわる幼子おさなごを振り返り、追いつめられた表情で、私の主人に食い下がる。


「亡き妻が遺したたった一人の娘なのです。三歳の幼子になんの喜びも教えぬまま、神のみもとへ旅立たせよと仰るのですか!?」


「そうとも。それが貴様らの大好きな“神”の思し召しなのだろう? 死にかけのガキなんざ見捨てて、他の女に別のを生ませたらどうだ」


 男は血相を変え、主人の肩に掴み掛かった。

 華奢な両肩に爪を食い込ませ、男は身体を震わせている。


 私は主人彼女を守らない。

 余計な手出しを、彼女が好まないからだ。


 床に落ちる主人の影に潜んで事の顛末を眺めるのが、下僕使い魔たる私の日常だ。

 影の中で耳を澄ますと、主人の胸の内が騒がしいほどよく聞こえる。


「……娘を生かしたいという貴様の願いは、ただの我儘エゴだ。魔女の力で生かされても、貴様の娘は喜ばない」

 

 動脈血のように鮮やかな赤毛を掻き上げ、主人は美しい顔に侮蔑の笑みを刻み続けた。

 ――作った笑顔の裏側で、彼女はいつも泣いている。


「呪いを身体に宿して生きる……それがどれほどの苦しみか。娘は貴様を恨むだろうな」

「構いません。私の命を差し上げます。それで娘を救えるのなら――」

「貴様の命なぞ、要らん。必要なのは腎臓だけだ」


 主人は、男の依頼を受ける気になったらしい。

 偽善からではない。

 男の腎臓を分解して呪書グリモアを編み、その過程に発散される”糧”を喰らおうというのだ。


 “糧”を喰わねば魔女は死ぬ。


 彼女の血統である“Book”を含め全十三系統の魔女たちは、それぞれの方法で“糧”を抽出して喰らい、自らの特殊能力の源としている。

 人間の肉体を持って生まれたばかりに、魔女たちは常に飢え、“糧”を求めて大陸中を徘徊し続けなければならない。

 だからこそ魔女は哀れだ。


「――来い、カラス」

 彼女に呼ばれたときには既に、私は影から抜け出して、人間の姿となって彼女の背後に立っていた。


「そいつの腎臓、一つ抜け」


 仰せのままに。

 恐怖に強ばる男の前へすいと進み出ると、私は右手を男の腹に刺し込んだ。湯桶の中の硬貨を拾うのと同じ容易たやすさで、私の右手は男の左腎を掬い上げた。

 滴る血はない。

 魔力の糸が、断絶したすべての血管を縫い塞いでいる。


「貴様の子供に、とびきりの奇跡不幸を与えてやる」


 男はその場にくずおれた。

 痛みにうめく男の声を聞きながら、私の主人は腎臓を撫でて伸ばし、たちまち一冊の本の形に作り替えた。

 

 完成した呪書の頁をぱらりとめくって眺めながら、主人は自嘲気味な顔で寝台の幼子に歩み寄っていった。


「”代替臓器”の作成法は、俺のとっておきオリジナルなんだ。俺に会ったのが運の尽きだったな、おチビさん。……せいぜい醜く生きてみな」


 主人は幼子の衣服をたくし上げ、脇腹に呪書を押しつけた。

 腎臓の呪書は赤黒い血管を伸ばし、たちまち幼子に寄生した。白く小さな腹に、邪悪な色の四角い書物が食い込んでいる。


 主人はため息をついて立ち上がり、床で呻いている男を力任せに蹴り飛ばした。

「ぁぐっ……!」

「おい、テメェ。のんきに寝てんじゃねぇぞ」

 翡翠のような緑瞳で、忌まわしそうに男を見下ろす。


「テメェら親子の末期まつごなんざ知ったこっちゃねぇが。自分の決断には責任持てよ? その子がどう生き、どう死ぬか。見物みものだな」


 ご馳走さん。

 そう言い残し、主人は小屋を出ていった。

 私は薄く笑んだまま、物を言わずに彼女に続く。



 魔女は滑稽な生き物だ。

 

 そしてあらゆる魔女の中で、最も愚かで美しいのが、私の愛する魔女・ファウラである。

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