act.31 時の彼方へ
身も心も疲弊し、満身創痍の状態でクフィルは包囲されていた。
飛びかかるステイトの猛者達をちぎっては投げ、かわしては転がし、或いは組み伏せ、今や素顔を晒した怪盗が退路を切り開くべく奮闘する。
しかし多勢に無勢の悪状況下に加え、ファントムとの死闘に全精力を費やしてしまったクフィルに、余力はほとんど残されていなかった。
やがて空と彼方の景色しか見えない断崖へと、クフィルが追いつめられる。
取り囲むステイトの大軍を指揮するは、若き警備隊長ラファルだった。
その横には心配そうに二人を何度も見比べるネシェルの姿があった。
クフィルを屋上の縁に追い詰め、ラファルが目を細める。
「あなたがここに隠したカイトは回収しました。もうどこへも逃げられませんよ」
憂いをおびたラファルの声すら耳に届かぬかのごとくに、クフィルが不敵に笑ってみせる。
ぼろぼろになったタキシードの襟を正し、大空を抱きかかえるように天を見上げた。
手を差し出し、エスコートに誘うネシェルに笑いかけながら。
絶望の視線をたむけ、頭を振るラファル。
それを部下達は合図と受け取った。
そしてもう一人。
「ここまでだ、クフィル!」
すっかり小悪党のイメージがこびりついたステイト・カンパニー元社長、ホーネットの負け犬の雄叫びだった。
「貴様だけはこの俺の手で直接……」
それを最後まで言い終えることはできなかった。
隙をみてラファルのもとから飛び出したネシェルが、ファントムの落とした愛々傘の一本を拾い上げ、無防備なホーネットを背中から打ち倒したからである。
「ぐぅえええ~……」
「ネシェルさん!」
申し訳なさそうな表情でラファルの顔を見やるネシェル。
が、心を決めたまなざしで頷くと、自分の身長ほどもある長い傘をダイナミックに振り回し始めた。
驚きの表情で振り返るステイトの面々を鮮やかな棒術で打ちのめし、ネシェルがクフィルのそばへと歩み寄る。
そのままクフィルに背中を預けるように、ステイト警備隊の前へと立ちふさがった。
切っ先で相手をけん制しつつ、小さく嘆息する。
「約束、守ってくれて……、ありがとう、クフィル……」
「……」
顔を前に向け、ネシェルがわずかに顎を引いた。
「一つだけ聞かせて」
背中を向けたままのネシェルが、消え入りそうな声でそう囁く。
「私じゃなくて、他の誰かだったとしても、……ダブルエックスは助けにきてくれたんだよね」
「ああ。ダブルエックスはすべての花嫁の味方だ」
クフィルが当然至極にそう答えると、ネシェルがくすりと笑った。
少しだけ淋しそうに。
「そうだよね。そうか、安心した。これで……」
「ダブルエックスならな」
その一言にネシェルがはっとなる。
「……じゃあ今度は私の番だね」
静かにそう告げる。口もとをほころばせながら。
ふらふらのクフィルの前にでんと立ち、口をへの字に曲げたネシェルが、ドンと愛々傘の先端を地面へとたたきつけた。
やや不機嫌そうな様子のネシェルに、クフィルが不思議そうな顔を向ける。
するとネシェルは愛々傘で周囲を威嚇しつつ振り返り、常なる口調で笑いながら言うのだった。
「だから言ったでしょ。仲間は大切にしろって」
「おまえ……」
言葉をなくし、思わずクフィルが苦笑する。自分自身を蔑むように、或いは満たされた幸福に身をゆだねるように。
そこへタイミング悪く轟く、ホーネットの邪悪な叫び声。
「何をしている、ラファル! はやくそいつらをひっ捕らえろ!」
「花嫁が人質に捕られています。迂闊には動けません」
「くだらぬことを言うな。殺してでもいい、絶対にそいつらをここから逃がすな!」
「いい加減にしたらどうですか」
「な!……」
這いつくばりながらもさらなる無様を晒すホーネットに、ラファルが冷たい視線を差し向ける。
「あなたの言葉に従う者は、もうどこにもいません。これ以上は、私も容赦しませんよ」
「が……」
「私の両親の式を妨害したのはトロイカだ。だがそれをけしかけたのは当時のステイトです。あなたの罪ではないが、これ以上ステイトは、永らく続くこのいびつな状態を維持していてはならない。すべてをリセットする時がきたのです」
「……」
「ありがとう、ラファル」
困惑する部下達のざわめきを耳にとどめつつ、囁くようなネシェルの声に目を向けるラファル。
ネシェルは笑っていた。
しごく幸せそうに。
「あなたと知り合えてよかった。友達になってくれて、ありがとう。……さようなら、ラファル」
その言葉にも、ただ残念そうにかぶりを振るだけのラファル。
「僕にできることは本当に何もないのですか。もう一度よく考えてみてください。友人として、ネシェルさん、クフィルさん」
それにクフィルは笑顔だけで答えてみせた。
ぼそぼそと何事かを、クフィルがネシェルに告げる。
それを耳にしたネシェルは一瞬顔をこわばらせ、それから微笑みながらクフィルへと頷いてみせた。
愛々傘を手放したネシェルを抱き上げ、縁へと足をかけるクフィル。
「待ってください!」
それ以上ラファルは何も言えなくなった。
見つめ合う二人の顔が、この上もなく幸せそうに見えたからだった。
それでもなんとか二人を引きとめようと、考えを巡らせるラファル。
しかし彼らに与えられた時間は、ことさら短いものだった。
「飛ぶぞ、ネシェル」
「ええ」
「ネシェルさん!」
ネシェルを抱きかかえたまま、地上二十階の高さからのダイブを敢行するクフィル。
が、しかし、哀しげな表情でその姿を追ったラファルの目は、信じがたいものを見ることとなった。
遥か彼方の地面へと落下していったはずの二人が、眼前に浮かび上がってきたのだから。
空からつり上げられたゴンドラに揺られながら。
「やられた!」
空を見上げ、ラファルが舌打ちをする。
ステイトの社名を冠した飛行船から、そのロゴがはがれていくのを、そこにいた全員が指をしゃぶるように見守っていた。
「早く……」
対応のため、ラファルが言いかけたその時だった。
突然付近に響き渡った轟音に、そこにいた全員が心を奪われたのは。
「なんなんだ、これは……」
爆発音の原因者はランセン達だった。
ホテルの両側に配置した車両から、サーブ・グランチャーの面々が爆薬とも聞き間違うばかりの花火を打ち上げていたのだった。
ランセンと組んだヴィゲンが次々と打ち上げ花火を舞い上げる。
「もっと花火を上げるぞ、ヴィゲン。ダブルエックスを援護だ」
「わかってるよ!」
反対側ではドラケンとグリペンのコンビが乱れ打ちにチャレンジしていた。
「おい、やめろグリペン。危ないだろ!」
「わかってるんだけどさ、勝手に火がついて、うわっ!」
群がるステイトの外周部隊をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、次々と蹴散らしていくランセン達。
中でもヴィゲンの奮戦振りはすさまじく、十人ものステイトすらまとめて吹き飛ばすほどだった。
「とことんやってやる! 絶対にネシェルを取り戻すぞ! ランセン!」
「当然だ、ヴィゲン! あいつは俺達の家族だ! 娘だ!」
「妹だ!」
そのほんのささいな援護が、クフィルとネシェルにとって充分な猶予をもたらすこととなった。
目をそらしたわずかな時間だけで、すでにラファルらの手の届かない場所へと到達していたからである。
禁じられた銃を手に、飛行船へと銃口を向けたセレブレーターをラファルが制した。
「撃つな! 爆発するぞ」
それを飛行船の操縦席から笑いながら見守る人物がいた。
良き協力者、白髪の老紳士ナメルだった。
「心配ご無用。このエアーウルフ号は弾丸ごときではビクともしませんぞ。穴が空いても大丈夫。ちゃんと修繕用の粘着テープも積んであります。さあ行け、超高速飛行船エアーウルフ号! 飛べ飛べ時の彼方まで! マッハでゴーゴーゴー!」
海を目ざし、超高速飛行船エアーウルフ号は小さなプロペラでプタプタプタとゆるやかな飛行を開始した。
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