act.25 笑顔の裏側

 ノックの音にネシェルは振り返った。

「どうぞ」

 控え室に入室したラファルが思わず息を飲んで硬直してしまったことを、不思議そうに眺める。

「どうかしましたか」

「いえ……」ネシェルの声に硬直を解かれたラファルが、すぐさま笑顔を構築し直した。「すみません。あまりにもお似合いでしたので、思わず見とれてしまいました」

 その言葉にネシェルが視線を落とす。

 一億マネーのドレスを身に纏ったネシェルは煌びやかに彩られ、まさに幸福の花嫁としてふさわしい風体だった。

 その表情のかげりさえなければ。

 これより三十分の後に、長時間を費やす婚礼の儀が幕を開ける。

 その最後の締めにリングの交換をすませれば、ネシェルはステイト・カンパニーの社長婦人となるのだ。

 同時にホーネットは王族の血筋となり、国中でも有数の権力者となる算段だった。

 今でこそ名ばかりの王族と成り果ててしまったアイオア家だったが、かつての知名度、影響力はすさまじく、そこにステイトの名が加わればとてつもない発言力を持つことになるはずだった。

「何か御用ですか」

 力ないネシェルの問いかけに、ラファルが本来の目的を取り戻す。

「もう一度だけ聞いてもよろしいでしょうか」

「何をですか」

「本当にあなたには、他に愛する人がいないのですか」

「……。バカなことを言わないでください。そんな人いるはずがないじゃないですか。私はこれから幸福の花嫁になるのですから」

 そう言って輝くばかりの笑顔を差し向けるネシェル。

 しかしラファルは気づいていた。

 わずかに時を止めたその仕草が、いつわりを飲み込むためのものであると。


 クフィルは信じられないといった表情でラファルの顔を見続けていた。

 ラファルがクフィルを解放しようとしたからである。

「いいのか」

「問題ありません」半信半疑のクフィルに、眉一つ動かさずラファルが答える。「あなた方には一切手を出さないというのが彼女との約束ですから。あなたも彼らのお仲間なのでしょう。ですが、この先あなた方が約束を違えるというのなら、我々も容赦はしません」

「……」その含みを感じ取り、クフィルが淋しそうに笑った。「なあ、こんな時代だが、幸福を望み祝福する者に、セレブレーターもグランチャーもないとは思わないか」

 それにラファルは答えなかった。

 何も言わずにクフィルに小さなビンを差し出す。

「……これは」

「解毒薬です。社長の懐から抜き取ったものです。ご指摘のとおり、結構手癖の悪い方でしてね。でも情報収集には役立つ特技です。必要なければ捨てていただいてもかまいません」それからクフィルに背中を向けた。「さあ、もうすぐ式が始まりますよ。私もいかなければなりません。セレブレーターとして、賊から式を守るために。私の友人は仕事だけですから」

「おまえ……」

 それから背中を向けたままで、付け加えてラファルは言った。

「あなたの口から使命という言葉が飛び出しても、僕は何もおかしいとは思わない。あなたは何かを背負っている。そう感じていましたから。大切な何か。悲しい何か。そしてそれは、何があろうと決して揺らぐことはない。その考えは変わりません。初めて出会ったあの時からずっと」

「……」

「もしあなたが彼の知り合いだと言うのならば伝えて欲しい。決してセレモニーの邪魔はさせないと」

「承知した」

 その口調は、ダブルエックスそのものだった。


「ラファル」

 セレモニーの休息時間に正装に身を包んだホーネットに呼び止められ、ラファルが振り返った。

「どうだ」

「はい、上々です」

「花嫁の様子にかわったところは」

「特には。警備にも微塵のぬかりもありません。もし私がグランチャーならば、諦めて祝福の電文をよこすことでしょう」

「そうか、それは何よりだ。私もこの退屈で堅苦しいセレモニーに集中できる。後のことは任せたぞ」

「はい。お任せを。……社長」

 注目するホーネットに、やや口ごもるようにラファルは質問した。

「社長はネ、……ラビ様のことを愛していらっしゃるのですよね」

「当然ではないか」

「……そうですか。すぎた質問をしてしまい、すみませ……」

 その声を遮ってホーネットが続ける。

「アイエア家の名前さえあれば協会トップの座も勝手に転がり込んでくる。私にとっては幸運の女神のような娘だ。手放すわけにはいかんな。せめてこの式が無事終わるまでは」

 それからいやらしく笑った。

「……」

 目を細め、ラファルがホーネットに注目する。

 それは一つの決断でもあった。

「かつて私の両親は心無いグランチャー達に式を妨害され、すべてを失うこととなりました。トロイカの前身のしわざだと、……調べがついております」

「そうか」目線だけを差し向け、何ごともなかったかのようにホーネットが続けて言う。「ステイトには依頼しなかったのか。いや、その頃なら、まだ我が社は存在していなかったのかもしれないが」

「いえ、ステイトはすでに存在しておりました。ステイトの先代社長からの申し出を父達が断り、悲劇が起きたのです」

「それは災難だったな。うちに依頼していれば悲劇を未然に防げたものを」

「……だからそんな悲劇を繰り返さないために、私はセレブレーターになったのです」

「そうか」

 含み笑いを浮かべ、ラファルを眺めるホーネット。やがておかしくてたまらないとでも言わんばかりに大声で笑い始めた。

「何がそんなにおかしいのですか」

 感情を押し殺し、つとめて冷静にホーネットにそうたずねるラファル。

 それを受けてなおも、ホーネットは嬉しそうにその顔を見続けるのだった。

「愉快なのだよ。君にとってはこの上なく不幸な過去に違いないことだろう。だが、その悲劇のおかげで、我が社は君という優秀な人材を得ることができた。君のご両親には申し訳ないが、我々にとってはこの上ない幸運となったということだ。極めて不謹慎で不快であることは重々承知の上でだが、私はこの幸運を喜びたい気持ちでいっぱいだ。約束する。君が受け止め切れなかった悲しみと苦しみの、その何倍もの成功を我が社が君にもたらすことをな」

「……」

「さて、私は些事をすませておくとしよう。これだけの顔ぶれが揃えば、さすがに緊張もするものだな、ははは。次のプログラムではついに麗しの姫君の登場だ。エスコートをしっかり頼む。私に恥をかかせるなよ」

「……はい、心得ております」

「はっはっは。そうだ、ラファル」行きかけたホーネットがふいに足を止める。「貴様、私が持っていた解毒薬のビンを知らないか」

「……いえ」

「そうか。ならいい。てっきり貴様が持ち出したものだと思っていたのだが。どうやら、どこかに置き忘れてきたらしい。自分では気づかなかったが浮き足立っていたのだな、私も」

 やや口を濁したラファルを問いつめることもなく、ホーネットは笑いながら続けた。

「もし万が一、あれがダブルエックスの手に渡るようなことがあれば、取り返しのつかない結果になりかねんからな。それも自業自得というところだろうが」

「……どういうことでしょう」

「私としたことがとんだ勘違いをしていたらしい。どうやらさっき持っていたのは解毒薬ではなくて、促進剤の方だったようだ。一種のドーピング剤だな。服用すると一時的に血の巡りがよくなるので身体は動くようになるが、その分毒のまわりは早くなる。健康な人間ならば気分が悪くなり何日か昏倒する程度ですむが、もし毒を受けている人間が飲めば、一週間どころか一日ともたずに死を迎えることになるだろう。本物は私がここに持っている」

「!」

 ホーネットが振りかざす、先とは別色の錠剤入りの小ビンを眺め、すっと顔が青ざめるラファル。

 それを知るかのように、ホーネットは振り返っていやらしげに笑った。

「ダブルエックスには、私がじきじきにこれを飲ませてやるとしよう」


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