act.15 卑劣な罠

『間違いありません』

 良き協力者ナメルからの報告を受け、クフィルが腑に落ちない様子で首を傾げる。

「そうか。だが何かが引っかかる」

『それは私もでございます』無線機の彼方で彼も不思議そうに言葉尻を濁した。『本日そのホールで婚礼の儀が行われることは間違いありません。ですが腑に落ちないのは、彼らが近年まれにみるほどの良縁だということです。現地のエージェントを使って何度も確認したので間違いございません』

「ならば何故」

『ひょっとしたらお仲間達は、はめられたのではありませんか』

「罠だと言うのか」

『はい。円満な婚礼を妨害させ、お仲間達を失脚させようと』

「それは俺も考えたが、誰がわざわざそんな回りくどいことをする必要がある。ランセンは敵であるセレブレーター達からも敬意を払われるほどの傑物だ。感謝されることはあっても、恨まれるようなことはないはずだ」

『……』ナメルが一呼吸入れる。『もしやとは思いますが……。少々お待ちください』

 それに続く言葉を待つクフィルの表情が、しだいに不安に染まっていく。

 無線機の向こうで何ごとかを調べ続けるナメルの様子が、慌しく変化し始めていた。

『ふお、ふおっ!』

「どうした、ナメル!」

『坊ちゃま、大変でございます!』

「何がわかった!」

 するとナメルと呼ばれたその報告者は、ざわつく心中を鎮め、それでも尋常ならざる様子で続けるのだった。

『以前私がお調べした時は、確かに先ほどの情報で間違いございませんでした。ですがほんの三日ほど前に、急に彼らの婚礼会場が変更になっていたのです』

「どういうことだ、それは!」

『どうしてもホールを使用したいとの申し合わせがあり、多額の保証を積み上げて式場の変更がなされたようです。ナメル、一生の不覚でございます。申し訳ございま……』

「後悔は後でしろ! それより何故だ! そんなことが本当に可能なのか! いったい、なんの意味がある!」

『はい。彼らならやりかねないかと』

「彼ら?」

『ステイト・カンパニーです』

「!」


 ネシェルはエスケープ用の車両の中で一人待機していた。

 ホールからは数百メートル離れた建物の陰。それがクフィルの指定した待機場所だった。

 ネシェル本人はグランチャー行動を望んだのだが、ここ数日覇気が見られないことを理由に、ランセンによって待機を命じられていたのである。

 事実、最近ネシェルは考え込む時間が多くなっていた。

 クフィルと会話を交わしたあの日からである。

 迷いを断つためのそれが、逆にさらなる迷いを呼び込んでしまったようでもあった。

 クフィルの存在がわからなくなりかけていた。

 交わした会話の内容そのものもあるが、どことなく見え隠れするその影の部分に、自分と同じ匂いを感じていたせいでもあった。

 緊急呼び出し用のアラームが車内に鳴り渡る。

 それすらも気づかぬほど、ネシェルは考え事に没頭していた。


 ナメルの報告に思わず眉をゆがめるクフィル。

 不安は的中してしまったようだった。

「本当なのか、それは」

『はい。挙式はステイト・カンパニーの全額負担、ならびに全面的な配慮のもと、なんの支障もなく円滑に行われております』

「どこで」

『第一帝都ホテル。ステイトの本拠地でございます』

「馬鹿な。第一帝都はここ何ヶ月も挙式が行われていないはずだ。そんなことは誰でも知っている。ステイトの代表がいつでも挙式を行えるようにだ」

『はい、そのとおりでございます。もしそれでもいいと言うのなら、緊急挙式の際にはいついかなる場合をもってもすみやかに退去することという誓約書を交わすことになっております』

「そうだ。だからそんなわけのわからん場所で挙式を行うようなもの好きはいない。そしてそれが我らに戦いを決意させた理由でもある。これ以上奴らに不当な権限を与えないためにも、何としてでもラビ王女とステイト代表者の婚礼の儀式を阻止し、ステイトそのものを葬らなければならん。そうだろう、ナメル」

『はい。ですが今回に至っては、まったく逆でございます。いついかなる場合も、ステイトはこの挙式を最後まで執り行うものという誓約を、先方と交わしているのです。トップエリート総出による大規模警備に至るまで、すべてがステイト側の負担という破格の好待遇で。このゴージャスなステータスを断る理由など、世界中のどこにも見当たらないことでしょう』

「……。何があった」

『わかりません。ですがはっきりしていることは、その日においては第一帝都ホテルでの予定がまったくなくなったということです。半年以上、ずっと固持してきたスケジュールを解放してでございます。そしてもう一つ。北のエリアでダミーの儀式をしてまで、ランセン様達を呼び出す必要があったものと』

「!」

『これは間違いなく罠です。坊ちゃまは……』

「恩にきる、ナメル!」

 無線を切るのももどかしく、クフィルが飛び出して行く。

『坊ちゃま、坊ちゃま! お待ちを!』

 その見えざる背中を追い、ナメルは遠方からただ呼びかけるだけだった。

『坊ちゃま、行ってはなりません……』


 ネシェルは今にも泣きそうな表情で脱出用車両を走らせていた。

 もの思いにふけるあまり、緊急連絡を受け取るタイミングを遅らせてしまっていた。

 飛び込んだグリペンからの一声は、罠だ、早く助けに来て、というものだった。

 無線機の向こう側から伝わる、それまでに味わったこともない逼迫した状況。

 それからほどなく、覚悟を決めたランセンの声が聞こえてきた。

 来なくていい、おまえだけでも逃げろ、と。

 ネシェルが頬を伝う涙を拳で拭う。

 唇を噛みしめ、ハンドルを固く握り締めて、ひたすら前だけを睨みつけていた。

 クフィルからの助言を思い出す。

 嫌な予感がするからやめられないかと、あらかじめクフィルはランセンらに進言していた。

 それをヴィゲンが真っ向から叩き落とし、気が乗らないのなら参加しなくてもいいとランセンにまで言わしめていた。

 そして、複雑な思いで見守るネシェルだけに、クフィルは最後に告げたのだった。

 どんな場合でも気を抜かず、いつでも逃げられるようにしておけと。

 それを忘れていたわけではない。

 今思えば、たとえそれが罠であろうとランセン達を止められないとわかっていたクフィルが、せめてネシェルだけは逃がそうと助言したように思えて仕方がなかった。

 クフィルだけは、この事態を想像できていたに違いない。

 そして彼の言葉を聞き入れようとしなかったのは自分も同じであると、深く後悔していたのだ。

 わかっていたとしても止められなかったであろうことも含め、大切な仲間達を救えなかった責を自分一人のものだと感じて。

 もう一度強く涙を拭う。

 今度は両側だった。

 口もとをきつく結び、まばたきもせずに前だけを睨みつけるネシェル。

 そこへ一台の車両が飛び出してきた。

 ネシェルの行く手を阻むように。



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