act.5  心配の種

「何!」

 ヴィゲンが目を見開いて、飲んでいたレモネードをグリペンの顔にぶちまけた。

「うわあ……」

「ネシェルが今日も仕事にいってるだと!」

「何!」

 ヴィゲンの声に、ドラケンが読んでいた新聞をパンと真っ二つに引き裂く。

「本当なのか、グリペン」

「そうみたいだよ」二人に詰め寄られ、タオルで顔を拭きながらグリペンが困ったように笑ってみせた。「ちょっと、それまだ読んでないんだから、弁償してよね」

 ヴィゲンとドラケンが戦慄の真顔を見合わせる。

「どういうことだ……」

「あいつ、初日から客ぶっとばしてクビになったんじゃ……」

 それを自分でも腑に落ちないように笑って、グリペンが受けた。

「そうなんだよ。いつもどおりにね。だからこの農場に頼んで、もう一人雇ってもらおうかと思っていたんだけど、ネシェルがもう一度やってみるって言うから」自分達の様子をうかがうランセンの方を、ちらちらと確認して続けた。「自分からクーガーのマスターに頭を下げて頼んだみたいだよ」

「あいつがか……」

「信じられん……」

「クフィルのいきつけのお店だったらしくてさ、あの人も一緒に頼んでくれたみたいだけれど」

「クフィルが……。なんであんな奴と!」ヴィゲンが不機嫌そうな顔に変わる。「それよりネシェルだ。そんなに我慢してまで続けたい仕事じゃないだろうが」

「さあ、それは俺にもわからないけど」

「何があったんだ、ヴィゲン」

「俺が知るか! こっちが知りたい」

「気になるよね。ヴィゲンはネシェルが好きだから」

「バカ言うな! 死んだ妹に似ているから気になるだけだ」

 グリペンの何気ない一言に、真っ赤に顔を染めるヴィゲン。

 その顔をグリペンがまじまじと眺めた。

「ネシェルみたいなおてんばだったの」

「いや、虫も殺せないような大人しい奴だった。……俺とも、ネシェルとも違って」

「顔が似てたのか」

 新聞をテープで貼り合わせながらのドラケンに、キッとなってヴィゲンが振り返った。

「全然違う!」

「どこも似てないじゃないか……」

「そうなんだが、何故かダブるんだよな」自分でも腑に落ちない表情になって、腕組みのヴィゲンが首を傾げた。「妹は幸福の花嫁になるのが夢だった。そうなる前に死んじまったがな」

「だからヴィゲンはセレブレーターになったんだよね」

「……う、おう……」

 グリペンにおもしろそうにそう言われ、ヴィゲンが口ごもる。

 それをドラケンが不思議そうに眺めた。

「ならなんで、グランチャーなんかやってんだ、おまえ」

「俺の話はどうでもいい! それよりもネシェルだ!」バツが悪そうに残りのレモネードをズルズルとすすり込む。「とにかく俺は、あいつのことが本当の妹のように思えて、心配で、気になって、どうにもこうにもほっとけないんだ。あいつには幸せになってほしいんだ」

「そういうのを好きって言うんだよ」

 口の中いっぱいのレモネードを、またグリペンの顔にぶちまけた。

「うわあ……」

「てめえ!」

 タオルで顔を拭きつつ、グリペンがまたおもしろそうに笑ってみせた。

「ヴィゲンはいい奴だよね」

「うるせえ!」

「でも急いだ方がいいかもよ。ネシェルはさ、クフィルに気があるみたいだから」

「はあ! なんであんな奴のことが」

「クフィルもネシェルによくちょっかい出してるしね。ヴィゲンと同じで、気になってるんじゃないの。もたもたしてるとクフィルにとられちゃうよ」

「俺はだなあ、別に!」

「だが、ネシェルはあいつのことを嫌っているだろ」

「そうだ、確かにそうだな」嬉々とした表情でぐいぐいドラケンへと迫るヴィゲン。「な! ドラケン! そうだよな! な!」

「お、おお……」

「あいつは仲間じゃないからな! ああいうのがネシェルは一番嫌いなんだ」

「今はね。そのうち気が変わるかもしれないよ」

「はあ!」

「あれだけこだわってるってことは、本当はクフィルに仲間になってほしいってことだろうしね」

「そうか? 単にああいう態度が許せないだけなんじゃないのか」

「そうだよな、ドラケン! な! な!」

「お、おお……」

「そうかなあ」

「何が、そうかなあ、なんだ」

「ネシェル、たまにクフィルから名前を呼ばれると、うっとりするような顔してるよ」

「なんだ、そりゃ!」

「クフィルってさ、結構、あま~い声してるだろ。撫で撫でっとした調子でさ。ま、その後、金貸してって言って、ネシェルにまわし蹴りくらってるんだけどね」

「はっはっは、ざまあみやがれってんだ!」

「ネシェルも大人しくしていれば、いいところのお嬢さんに見えなくもないんだけどね」はあ~、困ったもんだ、とグリペン。

「黙ってじっとしてればな」はあ~、困ったもんだ、とドラケン。

「あいつは品がないからな。俺達と同じで。あっはっは!」がっはっは、とヴィゲン。それから、はあ~、困ったもんだ、という顔になった。「……困ったもんだ」

 三人揃って、はあ~困ったもんだ、という顔になり腕組みした。

「はあ~、困ったもんだね……」

 そこでついにランセンからの雷が落ちた。

「おまえ達、いつまで仕事をさぼっているんだ!」

「うお!」せっかく貼り合わせた新聞紙を、驚いたドラケンがパンと引っ張る。「……あやうくまた引き裂くところだった」

「ちょっと、これページがバラバラだよ!」

「本当に困った奴らだ!」


「はい、いらっしゃい」

 ホールにはネシェルの張りのある声が響き渡っていた。

 煩雑な店の中でも、活きのいいネシェルの発声は隅々まで通る。

 やや残念なのは、その溌剌とした振る舞いからは、可憐なミニスカートの制服がかなりミスマッチに映ることだった。

「二人ね。カウンターでいい」

 客をエスコートする姿は、どちらかと言えば場末のパブの方がしっくりくる。

「ネシェルちゃん、これ四番の人達のところにお願い」

「あいよ!」

「ああ……」

「何か用。マスター」

 ビールジョッキの束を抱え不思議そうな顔で振り返るネシェルに、マスターが困惑した表情を差し向けた。

「……あのね。せっかくかわいらしい制服着ているんだからね……」

「ん?」

 と、その時。

「おい、タロン、もっと足見せろよ」

「うひゃ~、たまんねえ~」

「うい~、酔っ払ったな!」

 ちらっとそれを聞きつけた途端、ネシェルの顔が鬼のように豹変し、ズカズカと歩み寄っていく。

「こらー! あんた達、いい加減にしないと承知しないって言ったでしょ!」

「うわ! またネシェルに怒られた!」

「それが客に対する態度か!」

「それが酔っ払いに対する、……なんだっけかな、うい~……」

「うるさい! 文句があるならいつでも相手になるよ!」

「うあ~、おっかねえ!」

「頼むから蹴らないでくれ!」

「許してくれ、母さん……」

「誰が母さんだ! あー、もう、めんどくさいな!」

「あああ……」

 困惑のマスターを置き去りにし、なみなみとつがれたビールジョッキを束で運ぶネシェル。

 途中でそろ~っと腰に伸びてきた不らちな手に気づき、激しく睨みつける。

 するとその手の主、先日ネシェルにぶっとばされた常連客が、卑屈な愛想笑いをしながらすっと手を引っ込めた。

 仲間のウェイトレスとすれ違いざまに笑顔を交わす様子は、しごく楽しげに映った。

 その様子をクフィルは端の席から楽しそうに眺めていた。

 くぴっと安酒を飲み干したクフィルのテーブルに、なみなみとビールがそそがれた大ジョッキがドンと置かれる。

 不思議そうにクフィルが顔を向けると、そこにはそっぽを向いたままでジョッキを差し出すネシェルの姿があった。

「俺は頼んでないぞ」

「私のおごり」

「なんでまた」

「……いろいろと」

「?」

 わけもわからずその顔を眺めるだけのクフィルに、ネシェルがバツが悪そうに口もとをゆがめる。

「あんたもさ、昼間っからお酒とか飲んでないで、みんなみたいに他の仕事でもしたら。いつもどこかでふらふらしてるみたいだし。お金ないんでしょ」

「いや、今、別に金に困ってないしな」

「はあ!」

 ぽかんとクフィルの顔に注目するネシェル。

「こないだの分をランセンからもらったばかりだからな。俺はおまえらと違って、契約した分は確実に貰ってるし」

「ランセンが払える額なんて、たかがしれてるでしょ。そんなこと言って、またすぐになくなっても貸してあげないからね」

「そん時ゃ、そん時だ。なんせ気楽なフリー稼業だからな。依頼があればどこにでも顔を出す。トロイカだろうがなんだろうが、大事なお客様だ」

「どこが! あんなろくでなしども!」

「おまえらより金払いはいいぜ。そんなことより、そっちこそしっかり働けよ。言ってみりゃ、おまえらは俺への報酬を払うために金の工面をしているようなものだからな」

「はあ!」

「おまえらの仕事がなくなると俺への支払いも滞るからな。しっかり働き口をキープしておいてもらわないとこっちが困るんだよ。おまえの場合、ウェイトレスなのか用心棒なのかわからないけどな。あっはっは!」

「……」

 ふいにネシェルの口もとが山形にひん曲がる。それは目の前の人間に対しての怒りを露骨に表現していた。

「おい、ちょっと!」

 迎えにいったクフィルの口もとから、ビールジョッキを奪い取るネシェル。

「何すんだ!」

「おごるのやめた」

「はあ!」

「やっぱりあんたは……。もういい!」

「?」

 突然癇癪を起こしたネシェルに、クフィルが茫然となる。

 その時だった。

「きゃあっ!」

 もう一人のウェイトレスの悲鳴に振り返る二人。

 その視線の先には、トレーを抱えて震えるウェイトレスと、ぐったりと壁にもたれかかる血だらけの客の姿があった。

 ネシェルが殴りつけた、例の酔っ払い客だった。



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