第9話「ねえ」
砂浜の流木の上に器用にあたしを座らせた彼は、相変わらずあたしに背中を見せて、海を睨んで立っていた。
でも、もうその理由も分かっていた。
さっき、彼があたしの死体を座らせる時に少し顔が見えてしまったから。
あたしはその顔を見て、嬉しくなってしまった。
彼がいつものへらへらとした笑顔ではなく、ちゃんと泣いてくれていたから。
「やっとさあ、連れて来れたよ。海」
それでも強がりなのか、声だけは頑張っていつも通りにしているようだった。
それがなんだか可笑しくて、思わず笑ってしまった。
死体ってこういう時だけ、便利だ。
「あの我侭だけ、聞いてあげられなかったからさ。手下一号としては、このまま終わるのは腑に落ちなかったわけですよ」
砂を蹴っ飛ばしながら、言い訳のように彼が言う。
「だから、最後くらい僕の我侭に付き合って貰いました。……ごめんなさい」
足を挫いているはずなのに、砂を蹴り続ける。
そのたびに、彼の顔から雫が零れていて、水平線の向こうから世界を覗き込むようにちょっとだけ顔を出した太陽の光がそれに反射して、きらきらと光っていた。
それはやっぱり、ガラスの破片のようだった。
……ねえ。
死んでしまった人はさ、きっとガラス越しにしか会えない。
死んでしまった人もさ、きっとガラス越しにしか会えない。
死んだ人を想うのは、まるでマンガやアニメのキャラクターに恋をするようだ、と思うのは乱暴かもしれないけれどさ。
でもさ、何か似ていると思わない?
どっちも、報われない恋なんだ。
多分、それはよくある話なのかもしれないけどさ。
逆もそうなんだよ。
死んだあたしは、あなたに恋している。
死んでから気づいた大馬鹿者だけどさ。
いくら、あなたに話しかけても、殴ってばかりだったその顔に触れたくても、届かないんだ。
それはまるで画面の向こうのキャラクターに恋しているみたいだよ。
こうやって、子供の頃みたいに二人で大冒険してさ。
やっぱり思い出すのは、あなたとの思い出ばかりだった。
一晩かけた、随分と長い走馬灯だった。
まるで、あたし達が主役のマンガやアニメを見ているようだったよ。
ゆっくりと、ゆっくりとそれらを見ていたらさ。
どうやら、あたしはもうずっと前からあなたに恋していたみたいだ。
うん。
死んでから気づいてしまった。
この世界から弾き出されたあたしにとっては。
目の前のあなたの、いつも通りのへらへらした笑顔を、ガラス越しに見ている気分だった。
それと、えっと、これは多分、少なからずあたしの願望も入っているのだけれど。
ねえ、あたしのこと好きでしょ?
……そうだったら、良いなあ。
でもさ。
しつこいようだけど、それはマンガやアニメのキャラクターに恋するのと一緒なんだよ。
別にそういうのを好きな人を否定するわけじゃないけどさ。
あなたは、いつかはあたしから卒業してね。
あたしは、良いんだ。
今日が最終回だから。
走馬灯っていう総集編もやっちゃったしね。
あたしはあなたに恋したまま、あたしの物語を終えるよ。
史上最高空前絶後のウルトラハッピーエンドだ。
だってさ、死んじゃったのにさ。
多分、気持ちを伝えることが出来たから。
気持ちを、伝えてもらうことが、出来たから。
エピローグにしちゃ贅沢すぎるよ。
だから、これがあたしの物語のフィナーレだ。
でも、あなたの物語はまだまだ続くのだから。
いつまでも人の物語に縛られちゃ駄目だ。
あたしとの物語は、今日ここで最終回だ。
ちゃんと、自分の物語に戻らなくちゃ、駄目だよ。
波の音よりも、もっと、ずっと小さい声で、言い切った。
返事をしない、彼の背中に向けて。
でも、多分、伝わった。
まさか自分から告白する羽目になるとはなあ。
でも、きっと彼なら大丈夫だ。
あたしが心配しなくたって、ちゃんと自分の物語を生きていくだろう。
なんたって、あたしの手下一号なのだから。
ああでも。
……最後にキスくらいしたかったかなあ。
定番だし。
でも流石にそこまでは気がまわらないか。
死体にキスするなんて気持ち悪いだろうしなあ。
そんな、あたしの気持ちを知ってか知らずか。
彼は自分の頭をぼりぼりとかきながら、何かぶつぶつと独り言を言っている。
なんだよ。最後の最後まで締まらないなあ、なんて思っていたら。
彼が急に振り返って、座っているあたしの前までやってきた。
その顔はもう、泣いていなかった。
かと言って、いつものへらへらとした笑顔でもなかった。
それは病室で、あたしにパーカーを着せてくれた時の顔と似ていた。
「やっぱりさ。やられっぱなしで勝ち逃げされるのは、男としてどうかと思うんだよね」
いきなり何を言い出すんだ、こいつは。
「手下っていうのは、最終回辺りで反乱を起こすものなんだよ」
そう言うや、否や。
あたしの唇に、あたたかくて、やわらかいものが触れた。
「あはは……。やっちゃった」
そう言って、彼はまたいつも通りへらへらと笑う。
あたしも、一緒にへらへらと笑う。
「なんか、して欲しそうな顔をしていたからさ」
そんな、彼にはまったく似合わない台詞まではく。
案の定、顔は真っ赤だった。
それは恥ずかしさからなのか、朝焼けのせいなのか、分からなかった。
……いや、こいつのことだ。きっと恥ずかしさのほうだ。そうに決まってる。
じゃないと、あたしだけ恥ずかしくてもう一回死んでしまいそうなのが、馬鹿みたいだ。
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