弱り目に祟り目

 『弱り目に祟り目』とは、困っているときに、さらに困ったことや、災難が重なって起こることのたとえ。


 災難が重なったことは今までの人生で結構ありましたが、一番最近の出来事でいえば妊娠による体の変化に戸惑ったことでした。


 妊娠初期は、とにかく股関が痛かった。その後、つわりによる吐き気がきます。おまけに妊娠すると便秘になりやすいのです。今まで便秘になったことがほとんどないので、その苦しみを初めて知ったのでした。


 中期には妊娠性の強い痒みを伴う赤い湿疹が出たと同時に、鼻水とくしゃみ、そして目のかゆみがひどく、耳鼻咽喉科にも通いました。

 妊娠すると尿漏れも起きやすくなります。そういうときにくしゃみが出ると、尿漏れも頻発します。それがなんだか情けなくて『そういうものだ』と受け入れるまで時間がかかりました。薬局勤務の経験が災いして、尿漏れって年配の方の悩みという固定概念もありましたし、下の悩みは恥ずかしく思えたものです。


 お腹が大きくなるにつれ、腰痛のあまり仰向けで寝れないし、簡単には起き上がれない。

 足もひどくむくみました。まるで手塚治虫のキャラみたいに足の甲がまん丸で、コッペパンを思わせるのです。歩くたびに『バインバイン』と響くほどでした。もともと太りやすい体質で太ることに恐怖観念があって、メンタルが非常に落ちました。


 母乳のため胸のマッサージもしなくちゃいけないんですが、これが痛い。先端を遠慮なく引っ張ったり、つねったりします。看護師さんいわく、あまりの痛さに泣き出す女性もいるんだとか。男性にしてみれば、性器を引っ張られているようなものでしょうかねぇ。

 病院で母乳育児を推薦される中、痛い思いをしているわりに全然出なくて哀しくなりました。


 そういう苦労も出産したら終わるのかと思いきや、いざ出産した翌日に妊娠性湿疹がひどくなり、産後の疲労に加えて猛烈な痒さに襲われました。おまけに裂けた部分を縫合していたのですが、そこが化膿してもの凄く痛かった。

 あまりの痛さと痒さに眠れないのです。けれど、赤ちゃんは待ってくれませんから、三時間おきに授乳し、おむつを替えなければいけません。


 それに、なんといっても『赤ちゃんのために我慢するのは当然でしょ』とか『マタニティって楽しいでしょ』って周囲の押し付けも怖かったです。

 妊婦が愚痴ったら叱られそうで、冷たい目で見られるんじゃないかと押しつぶされそうでした。

 少なくとも私は出産経験のある友人から「妊娠生活楽しんで! 子どもの顔みたら苦労なんてぶっ飛ぶよ!」と言われるたびに、全てを喜べない自分に罪の意識を感じてしまいました。この痛みや苦労を乗り越えて母親になるべきなのに、いつまでも我が身が可愛い、子どものままだと自分を責めてしまったのです。


 もちろん出産できることは素晴らしいことだけれど、それをわかっていながらも、一人で乗り越えるしかない痛さ、辛さを受け入れられるまで時間がかかりました。

 仲の良いイラストレーターさんが「子どもを産むために体の構造を作りかえてるんだからすごいし、そりゃ大変だよね」って言ってくれたのです。それを聞いて「そうか、構造が変わっているんだから、仕方ない」となんだか腹をくくれたのでした。


 生まれた子どもの顔を見た瞬間に、すべてが報われた気持ちになりましたけどね。『このために私は生まれてきたんだ』と思いました。もっとも、そのあとも湿疹はしばらく続きましたし、育児の孤独と辛さもありました。

 けれど、以前は子どもができなくて『お子さんはまだ?』と言われるたびに泣いていたものです。子どもがいる、いない、どちらの人生でもそれぞれの苦楽はあるのだから、出産を選択した自分に責任はあるし、受け入れるしかない。

 それに、選択出来ること自体が、ありがたいことですよね。選択すら許されないことだって、世の中にはたくさんありますから。


 今では、妊娠中も、育児中も、辛かったら我慢せずに泣くことにしています。誰にも言えずに抱え込むと、本当によくない。一番よくないのは、それが子どもに伝わること。それに、夫にしても親にしても、相手が誰であれ人間なんて言わなきゃ伝わらないのに、「わかってよ」って苦しむのが一番不健康ですから。

 泣けるうちはね、まだ大丈夫だって思えるんです。それに、案外泣いたらすっきりして「なるようになる! やるしかねぇ!」ってなる性格なのです。


 似たような言葉に『泣きっ面に蜂』なんて言葉がありますけど、無人駅のホームで電車を待ちながら泣いたこともありました。

 産婦人科と耳鼻咽喉科をハシゴした帰り道でした。鼻の症状と湿疹とむくみに加えて、どうしようもない孤独感に押しつぶされたのです。

 妊娠は病気じゃありません。だからこそ、医薬品がのめなくても、理解されなくても、辛さを背負うことが当然という声があっても、いろんなものを抱え込みやすくなるのかもしれないですね。

 この線路をたどって北海道の実家に帰りたいって泣きました。でも、どこに行っても背負うべき重みは一緒なのだと泣き終わってから、背筋を伸ばすことができました。

 今ではいい思い出です。

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