藍城涙 Ⅱ

(1)

「うん、おいしい」


 偶然出会った妹そっくりの少年は、今目の前で当たり前のようにご飯を口に運んでいる。ただの怪しい黒い物体だった彼は、今やすっかり同居人として馴染んでいた。

 初めはほとんど言葉を発さず、何か話したとしてもきれぎれの単語を囁く程の声量でしか話さなかった。だが今彼が発した言葉は通常の会話レベルの大きさだ。まだ距離を感じる部分はあるが、次第に打ち解けてくれているのは確かだった。涙はそれが素直に嬉しかった。

 しかし、少年に関してはまだまだ謎が多い。一体彼が何者なのか、どういう人生を歩んで来たのか、そしてあの日何があったのか。少年は話そうとしなかった。だがそれは涙から無理に尋ねる事をしなかったからでもある。

 もちろん彼の事は心配だ。このままでいいはずはない。そんな事は分かっているつもりだった。でも、彼がきちんと前を見て進むにはあまりにもまだ心と体が傷ついているように思えた。だからそれまでは、静かに面倒を見てみよう、涙はそう思った。

 少年から真実を聞くにはまだ時間を要する。ただ、さすがに名前が分からないのは生活において不便を感じた。名前がなくても毎日を過ごす事は出来る。ねえ、やら、おい、と声を掛けるか、君やあなたと呼べば自分の事だと認識し振り向くだろう。だがそれは少し悲しく、どうも涙自身居心地が悪かった。

 そこで涙は、名前を教えてくれるその日まで彼の事を”ゆう”と呼ぶ事にした。意味合いは単純で”君”を意味する”you”からとった。実際呼びかける時はゆう君となったので意味を分解すれば重複しているが、いくらか名前を呼んでいるようには聞こえた。


 ゆうと過ごす内に、自然と彼の好きなものが分かった。

 ゆうは本が好きだった。ご飯、風呂、就寝以外の時間は基本的に活字を追っていた。

 文字があれば何でもいいようで、小説、雑誌、漫画、とにかくゆうは何でも読んだ。それならばと、涙は適当な本やら雑誌やらを買ってはゆうに与えた。ゆうはありがとうとお礼を言って、淡々とそれらを読破していった。

 ある時、自分が欲しい本を自分で選んでもらった方が良いのではないか。そう思い、涙は一万円札を差し出し、これで好きなものを買ってきてもいいよと提案してみた。

 しかしゆうは顔を伏せ、


「ごめんなさい。外に出るのは怖いんです……」


 とぎゅっと膝を抱えて丸くなった。


「ううん、私の方こそごめん……」


 涙はゆうの気持ちを良くも考えずに無責任な事を言ってしまった自分を恥じた。だがいくらでもやり用はある。便利な事に今の世の中は外に出なくとも欲しいものを購入する事ができる。

 涙はゆうにインターネットショッピングを薦めた。「いいんですか?」と申し訳なさそうな顔で尋ねるゆうだったが、心配しなくてもお金は十分にあるからと背中を押してやると、ゆうは小さく笑った。

 間もなくして、涙の部屋に大量の本が届いた。学校の勉強に使うような参考資料や、小説、エッセイ等ジャンルを問わない様々な本達に囲まれたゆうはとても満足気だった。そんな姿を見て涙の心は温まった。それは、すっかり失ってしまったと思っていた感情だった。

 ゆうの謎にさえ目を向けなければ、二人の生活は平和そのものだった。

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