(3)
「ねえ、健二」
理沙の声がいつになく硬かった事から、健二の耳は反射的に次に理沙の口から出る話が決して楽しい内容ではない事を感じ取った。そして理沙の不安気な顔が目に入った時、その考えは確信に変わり、しかし次の瞬間にはそれがとてつもなく良くない事であるという確信へと変貌した。
「どうしたんだよ、そんな顔して」
健二は努めていつも通りを演じた。理沙がこんな表情を見せる事は珍しい。相当に悪い知らせなのかもしれないと、表情とは裏腹に緊張感は高まった。
「拓海君、覚えてる?」
たくみ。唐突に現れた言葉が名前を指している事は分かったが、たくみという三文字が頭の中を泳ぐだけで、その答えにはすぐに辿り着けなかった。
「石崎拓海。ほら、中学一緒だった」
「――ああ。あいつか」
理沙の言葉でようやく思い出した。
石崎拓海。健二と理沙が通っていた椚中学の同級生だ。
記憶が中学の教室へと飛び移る。懐かしい木製の机とイス。黒板に書かれた日直当番。教室で談笑するクラスメート。幼さに照れを覚え、大人ぶる事に足をかけようとした青臭い時代。その中に石崎拓海の姿を見つけた。
拓海とクラスを同じくしたのは確か二年生の頃だ。だが二年にあがる以前に拓海の存在は既に耳に入っていた。拓海は椚中学では有名人だった。主に悪い方面で。
たばこ、酒といった不良の入門テストには文句なしでパス出来る素行の悪さ、加えて象徴的だったのは真っ赤に染められた頭髪だった。何度かすれ違った事もあったが、だらんと腰で履いたズボンと第二ボタンまで開放的に開けられた胸元に光るロザリオのネックレスを見て、これは関わってはいけないと直感的に感じ避けてきた存在だった。だが、その認識が大きく間違っている部分もある事に気付いたのは、彼と教室を共にしてからだった。
確かに見た目は不良そのものだったが、話してみれば気さくで明るく、自分の悪事を自慢するでもなくおもしろおかしく話して聞かせてくれた。そのはじけんばかりの笑顔には少年の無邪気さが溢れており、噂で聞いていた石崎拓海と目の前にいる拓海が同じ人物だとは俄かに信じられなかった。だが、立派な赤髪とだらしない制服の着こなしが、彼が紛れもなく拓海であることを表していた。
札付きの不良と言われながらも、クラスをいつも賑やかす存在は教師も憎みきれない様子だった。
そんな男の名前が今どうしてこのタイミングで出てくるのか。
「あいつが、どうかしたのか?」
「死んだらしいの」
「え?」
理沙の視線が下がり、表情の暗みが深まった。
――死んだ?
記憶の中の拓海の無邪気な笑顔に、ぴしりとヒビが入った。
あんなに元気でいつも騒いでいたあいつが。
だが、話はそれで終わらなかった。
「死んだ……っていうか、事件に巻き込まれたらしくて……」
「事件?」
「……殺されたって……」
「殺され……」
殺された。もはや日常的に当たり前のようにニュースでも流されるフレーズ。今日どこどこで誰々が殺害されました。それを聞いて、なんてひどい事があるんだろうかと客席でぼんやりと眺めていただけの世界。その世界が、急激に距離を縮めた。
「嘘だろ……それ、誰からの情報?」
「れみ。健二はあんまり覚えてないかもしれない」
そう言えば、拓海がよくつるんでいたメンバーの中に、そんな名前の女子がいたような気はするが、はっきりと顔は浮かんでこなかった
「信じらんねえ……」
「私もだよ。でも、そんな冗談言う子じゃないし」
「犯人は?」
「まだ捕まってないって。本当につい最近起きた事件らしくって、れみも詳しくは知らないみたい」
「そうか……」
一生の内で、自分の顔見知りの命が人為的に奪われるなんて確率がどれだけのものなのだろうか。現実で起きてはいるものの、誰もがその可能性の枠には入らないとどこかで高をくくって過ごしている。だが、その世界はあり得てしまうのだ。健二の周りにはいつしか線が引かれ、昨日までは無関係だった世界から唐突に切り離されてしまった。
誰かが誰かを殺す。
信じたくないが、拓海は誰かに殺されてしまった。
詳しい事は何も分からない。
ただ、拓海がこの世で二度とあの笑顔を見せる事はないという事だけは、悲しいながら事実として受け止めざるを得ないという事だ。
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