須藤健二 Ⅰ
(1)
パコン、と爽快な打撃音と共に自分めがけてテニスボールが勢い良く飛んでくる。凄まじいスピードで放たれた球体はネットを飛び越え、勢いそのままに地面に着地する。速度を殺すことなく地面を削り、再び舵を取る。その次の球体の動きに須藤健二は思わず目をひん剥いた。球は予測していた進路を裏切り、より外側へと捻りをきかせたのだ。
――まずい。
想定した足の運びでは間に合わない。健二は踏み込んだ足に更に力をかけ、地を蹴る。
二歩、いや三歩か。
冷静な考えを巡らせている場合ではないが、反射的に球との距離を頭で測る。その思考の最中、健二はすでに足を伸ばしていた。無理に伸ばした足が悲鳴をあげようとするがそんな弱音を無視して更に逆側の足を蹴り出す。
――よし、いける!
踏み出すと同時に、健二はラケットが握られた右手を大きく自分の体の左側へと引く。そして全てをなぎ倒す勢いで今度はその手を右側へと振り払う。決死のバックハンドは見事に球を芯から捉え、より力を蓄えたボールが相手コートへと飛翔した、かに思えた。
――あ!?
強力な回転力を健二は殺しきる事が出来ていなかったのだ。
先程までのスピードが嘘のように消え失せた球は、ふわりとネットを超えていった。しかし、それはなんとか相手コートに届いたにすぎないひ弱な一手だった。
コートの向こう側にいる対戦相手は勝負ありとばかりに笑みを見せ、そしてあっけなく健二がいる場所とは逆側にボールを叩きこんだ。
健二はただごろごろと転がるボールを茫然と見つめる事しか出来なかった。
「はーい、また私の勝ちー」
明るいその声が健二の感情を奮い起こした。健二はその感情をそのまま吐き出した。
「くそっ! またやられた!」
思わずラケットを投げそうになったのを思いとどまるが、腹に残った悔しさを解消しきれず、健二は地団駄を踏んだ。そんな健二の様子を対戦相手である眞崎由香は手を叩きながらけたけたと笑った。
「あはは、いくら悔しいからって何ですかそれ。先輩子供みたい」
「うるせえ!」
「記録更新。これで13連勝」
「あー悔しい! っていうか情けねえ! 今回は割と自信あったんだけどなあ」
「まだまだ修行が足りないですね」
ちっちと人差し指を振る仕草がなかなか様になっててそれが余計に健二の感情を逆撫でした。
「見てろよ。今にぶっ倒してやるからな」
「はいはい、期待してますよー」
由香は健二に背を向け、自慢のポニーテールをゆさゆさ揺らして遠ざかって行った。
憎々しく由香の背中を見つめる健二の肩にぽんと誰かの手が置かれた。
「頑張ってくださいよ、せんぱい」
顔を向けると、そこにはにやにやと笑う上原茂樹の顔があった。健二と由香との試合をいつも審判という立場で見守っていた彼にとって健二が打ち負かされる姿はいつもながらの光景だろう。
「後輩の癖にマジ生意気だよあの女」
「まあ、歳は同じだからな」
「だからって生意気が許される理由にはならねえ」
「そういう愚痴はあいつに勝ってから言うんだな」
「厳しいねーしげちゃん」
「同回生としての助言だよ」
そう言ってもう一度健二の肩を叩いて茂樹は健二の元を離れた。
「くそっ。ぜってえ勝つ」
たかだか遊び程度のサークルのつもりだったが、気付けばどっぷりとはまり込んだテニスは健二の大学生活における大袈裟に言えば生き甲斐の一つのようなものだった。だがもう、そんな時間もそろそろ終わりだ。
大学四回生。周りは着々と就職活動を終えていき、当の健二も来年からはアパレル関係の会社に内定をもらっていた。
大学という空間は本当に楽しかった。決まったカリキュラムの中で過ごしてきた小中高とは違い、最低限の単位さえ獲得すれば後は自分の好きなように過ごす事が許されたこの環境は、健二にとって非常に居心地のいい場所だった。
そしてその中でも大学で出会ったこのテニスサークルは健二に大きな活力を与えた。
決められたコート内で互いに球を打ち合うというシンプルなスポーツはやればやるほど奥の深さを感じた。
テニスサークルと聞けば顔をしかめる者もいた。テニスとは名ばかりで実際にはラケットの代わりにジョッキを握り、ひたすら馬鹿の一つ覚えのように酒を煽り男女が入り乱れる不埒な集団。そういったイメージを持つ者も少なくはない。現にいくつも存在しているサークルではイメージ通りの活動を行っている所もある。だが、健二の所属するサークルは違った。
テニスへの取り組みは真面目。大学生なので飲み会を開かられる事は度々あるが、皆最低限の節度は持ち合わせていた。そういった生活が就職活動でも大いに力を発揮した。何も誇張する事なくただ自分がそこで培った経験を話せば、面接官はおざなりでは反応を示してくれた。
ここに来てよかった、本当にそう思った。
後は、由香への雪辱を晴らす事さえ出来れば、言う事はないのだが。
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