ずっとあなたが好きだから

見鳥望/greed green

プロローグ

「んー! んー!」


 ――なんて哀れな姿だ。


 その姿を見て思わず吹き出しそうになる。無力で滑稽。何度もこの姿を頭の中でシミュレーションして悦に浸ったが、リアルはやはり格別だ。自然とあがった口角を僕は抑える事が出来なかった。


 パイプ椅子に四肢を縛り付けられ、口には猿ぐつわ。

 自由の奪われた四肢を解放しようともがいてみるも、ロープでがっちり縛り付けられた手足は微動だにしない。椅子の足もしっかりと固定してあるので暴れて椅子が倒れる事もなかった。

 無駄な足掻きだ。

 でももっと足掻け。この危機から逃れようと必死になれ。


「んんんー! んー!」


 猿ぐつわの無数の穴からはだらしなく涎がぼとぼとと零れていく。


 ――ああ、なんて心地良いんだろう。


 僕の心がじんわりと満たされていく。

 いくら泣こうが喚こうが、その声が誰かに届く事などない。ましてやこんなみすぼらしい呻き声だ。希望を呼び寄せるにはあまりにも脆弱すぎる。助けを求める声は弱々しく地面を汚すだけだった。

 楽しくて楽しくて。でももっと楽しくなりたくて、僕は目の前の男に呼びかける。


「助かりたい?」


 男はびくりと反応し、慌ててこちらに顔を向ける。見開かれた目からは恥ずかしげもなく涙が流れていく。


「助かりたいんだ?」


 僕はもう一度呼びかける。

 その呼びかけに男は、一縷の希望にすがりつかんと激しく首を上下する。

 そうだそうだ、それでいい。

 素直に従えばいい。

 目の前の希望を逃さないように集中しろ。


「ふふ、そうかそうか」


 僕はあえて緩慢な動作で男の横に置いておいた台から一つの道具を取り上げる。

 拳銃のような形をしたそれを取り上げ、おもむろに僕は引き金を引いた。その途端強烈な回転音が廃墟に轟いた。僕は気にせず引き金を引いたまま男の顔を確認する。僕の手に握られたもので一体何が起こるのかを想像し、男は勝手に膨らませた恐怖で表情を強張らせていた。

 僕が手にしているのは、片手でも扱える軽量タイプのドリルだ。引き金を引く要領でスイッチを押し込むとキュインキュインと尖った先端が勢いよく回転し、小気味いい音を奏でてくれる。

 僕は片手にドリルを携えながら、男の目の間に立つ。想像していた恐怖が現実になる事を感じ取ったのだろう。首をぶるぶると横に激しく振りながら、今まで以上に手足をガチャガチャと暴れさせる。口元からは更に涎がこぼれ、涙と共に今は遠慮なく鼻水も流すオマケ付きだ。

 いい年こいた男がこんなみっともない泣き顔をしている。でもその顔を見て、僕の愉快さは急に引っ込んだ。


 あの時僕だってこうやって泣いてたじゃないか。

 なのに、なのにお前は、許してくれなかった。


 心が一気に冷えていくのを感じた。

 こいつはどんなつもりだったんだろうか。

 どんな気持ちで僕を見ていたんだろうか。

 こんな事を、本気で楽しんでたんだろうか。

 だとすれば、やはりこいつは人間じゃない。

 ただの悪魔だ。


 今度は男の後ろに周り、手にしたドリルを男の右肩あたりににぴたっと添えた。その途端男は声を止め、代わりにひゅうひゅうとか細い呼吸を漏らし始めた。自分の僅かな動きや音で僕を刺激しまいと必死になっているのだろう。


「怖いか?」


 男は僕の質問にどう反応すべきか分からず、ただ小刻みに体を震わせていた。


「答えろよ」


 もう一度訪ねると、今度は小さくだが男は首を縦に動かした。


「そうか」


 怖い。許して。もうやめて。

 僕が何度その言葉を唱えたか、数えた事があるか?

 そしてその願いをお前達が叶えてくれた事があったか?

 なかったよな。一度たりとも。


「怖いだろ」


 僕がどれだけ本気で怖がって、本気で助けを求めたって聞いてくれなかったじゃないか。


「なあ、怖いだろ?」


 それどころか僕を踏みにじりながら、愉快そうに笑ってたよな。

 心の底から楽しそうに。

 だから、教えてやるよ。

 どれだけ僕が怖ったか。苦しかったか。辛かったか。

 全部お前達に、そっくりそのまま返してやるよ。


「怖い、怖い、怖い。ああー怖いだろうなー!」


 引き金を思いっきり引いた。

 回転音と共に、肉を突き破り掘り進んでいく感触が手に伝わってきた。

 徐々に徐々に、確実に肉に穴を開けていく。開かれた穴からは勢いよく血が零れ出てあっという間に男の着ていた白いシャツを真っ赤に染め上げていった。

 男の声になりきれない断末魔が口から洩れる。今までとは比べ物にならない大きな悲鳴が響いた。それと共に大量に分泌された唾液が咥内から溢れだし飛び散った。

尚も僕は引き金を緩めず、男の肩を抉り続けた。

 より大きく穴を開けるために、大きく手の動きも加えながら掘り進めていく。

 もう十分だと判断し、僕は引き金から手を離した。

 筋組織を破壊し、骨を砕かれた男の肩には立派な空洞が生まれていた。男はだらりと首を下げ、荒い呼吸を漏らしていた。長き苦痛がひとまず終わった事に一息ついている、そんな様子だった。

僕はその様子を見て鼻で笑った。


 ――おいおい、終わったとでも終わってんのかこいつ。


 そう思うと僕は一気に腹が立ってきた。

 ふざけるな。これで全てがチャラになったとでも?

 そんな訳ないだろう。

 これからなんだよ。


 僕はドリルを置き、今度はまた別に用意しておいたゴム手袋を着用した。そして近くに準備しておいた青いポリバケツを手にまた男の前へ戻った。うなだれた視線の先にこれ見よがしに僕はごとりとバケツを置く。男は顔を上げ、今度は何だと僕の真意を窺うように視線を向ける。

 僕は中を見るようにバケツの中を指差して見せる。暗い廃墟のせいで中がよく見えないだろう。男は何度もバケツを何度も覗くが、それが何なのかは見当がついていないようだった。僕はそれを教える為に懐中電灯で中を照らしてやった。その途端、男はそこに何がいるのかを把握し、体を思い切り仰け反らせた。


「こんな程度で満足に怖がったつもり? 足りないんだよ、そんなんじゃ」


 バケツの中に手を突っ込み、そいつを取り出す。油断すると手元からするりと抜けそうになるのをなんとか必死で抑える。


「これが何か、わかるよな?」


 男の顔にそれを近づけて見せる。その顔に体を当ててやると、女の子みたいに甲高い悲鳴を漏らし、僕はとうとう声を出して笑ってしまう。そしてこいつが僕を見て笑った理由が少しだけ分かった気がした。


「うなぎ、好きか?」


 ぬめぬめとした体表と蛇のようなひょろりとした全身。僕が用意したバケツの中には、こいつらが蜷局を巻いてひしめきあっている。


「うなぎってのはさ、ちょっと面白い習性があるんだよ。知ってる?」


 唐突な僕の質問に男は怪訝そうに眉を歪めた。

 何故そんな事を聞くのか。それが一体何の関係があるのか。

 男は皆目見当がついていない様子だった。

 くくっと僕はこらえきれない笑いを零しながら男の顔を覗き込む。


「正解はね」


 僕は男に正解を告げる。


「穴を見つけたら、そこに入ろうとするんだ」


 その瞬間、男は全てを理解し絶句した。


「あれれー? こんな所にちょうどいい穴があるねー。いやーホント、丁度良かったよー。なあ? お前達」


 そう言いながらバケツの中に呼びかけ、手にしたうなぎを男の肩に近付けた。


「ううぅぅぅううううぅ!!」


 一際大きく男が呻き声をあげ暴れてみせるが、当然逃れる術はない。

僕が心変わりでもすればその見込みも出てくるかもしれないが、そんな事は天地がひっくり返ってもあり得ない。

 うなぎの頭と男の空洞がぴったりと寄り添った。


「僕が味わった怖さは、こんなもんじゃなかったよ」

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