デジカメ
キイチロウ。
漢字で書くと亀一郎。
和也と亮子が一緒に買ったデジカメには、そんな名前がつけられた。
デジカメの購入を提案したのは和也だった。
まだまだ暑さの残る九月初旬、月末の連休を使い二人で行く小旅行の話をしていた時だ。
「今度の旅行、デジカメ持って行こうと思うんだけどさ」
「いいね。……でも、和也デジカメ持ってたっけ?」
「もってないよ。だから、今度一緒に買いに行かない?」
「うん。いいよ」
こうして、翌週の土曜に家電量販店に向かった二人は、いくつかのデジカメの中から、レモン色の物を選び、折半して購入した。
一世代前のモデルだったが、手の小さな亮子でも楽に扱える事、二人の好きな黄色だった事、予算の範囲内だった事などの理由から、二人はこれを選んだ。
帰りに立ち寄った喫茶店で、和也は早速マニュアルを取り出し、色々と読んでいた。
亮子の方は、デジカメそのものを持ち、撮る真似をしたりして遊んでいた。
マニュアルから顔を離さないままの和也が呟く。
「電池入ってないよ」
「知ってるよう」
亮子は、機械オンチだった。
携帯も通話とメールのみ。
各種の着信音は和也に任せたせいで、スロット台の音楽や大当たりの音等に設定されていた。
もっとも何の音か亮子は知らなかったのだが。
「うん、思ったとおり扱いは簡単そうだ」
「よかった。後で教えてね」
「たまには自分で勉強しなさい」
「えー」
何度かの亮子の訴えも全て却下され、結局亮子が買った物を一式持って帰ることになった。
一週間後、市の運営する大きな公園でピクニックをすることにした二人。
そこで和也は、亮子が普通にデジカメを使いこなしているのを見て、素直に驚いた。
「ちゃんと勉強したね」
「うん。キイチロウのことなら任せて!」
「キイチロウ?」
「この子の名前。黄色いカメ…ラだから、亀一郎」
「なるほどね」
よしよし、と亮子はカメラの上部を撫でた。
手が電源ボタンに触れ、レンズがシュウィンと伸びる。
「よろこんでるよ」
「そうみたいだね」
和也も、小さなカメラをそっと撫でた。
キイチロウは、ピクニックの日も、旅行の時にも大活躍した。
二人の笑顔と楽しげな景色をどんどん切り取っていった。
旅行の後は、デートの度に所有者を代え、お互いの日常を見せ合う道具になった。
美容室の鏡越しに撮った散髪途中の亮子の顔。
昼休み、和也の職場の屋上から撮った抜けるような青空。
亮子が飼っている犬のジョン。
和也が長い時間を費やしやっと姿を見ることができたゲームのラスボス。
買ったばかりの亮子の靴。
和也が自作したオムライス。
勿論、二人で居る時は二人の様子を。
こうしてキイチロウは、二人の欠片をどんどん貯めていった。
消したくないと我侭を言う亮子のせいで、SDカードは何枚にもなった。
そして数年が経ったある日。
いつものように亮子がキイチロウを撫でていた。
「この子もずいぶん働いてくれたよね」
「そうだね。デジカメにしてはもうおじいちゃんじゃないかな」
「おじいちゃんだねー」
亮子の手が電源ボタンに触れる。
レンズがシュウィンと延びる。
「なんかこの様子も疲れてるみたいに見えるよ。あはは」
少し寂しそうに笑う亮子の肩に、和也がぽんと手を置いた。
「旅行では、こないだ買ったキイチロウJr.に活躍してもらうことにして、明日からは休んでもらおう」
「うん。でも、今日まで、後一日、がんばってね、キイチロウ」
亮子はキイチロウにキスをした。
角の塗料は剥げ、ところどころ傷も入ったボディに、赤い口紅が少し付いた。
「じゃあ、撮りましょうか」
「はい」
和也は鏡の前にあったティッシュペーパーで口紅をぬぐうと、和服姿の女性にキイチロウを手渡した。
「お願いします」
「はい」
「ここのボタンを押すだけです」
女性に撮り方を伝え、戻ってきた和也は亮子が座る椅子の横に立った。
「ネクタイ曲がってない?」
「うん、大丈夫。こっちは?」
「ああ……」
和也は亮子の頭で波打つ白いレースをちょっと摘んで直した。
「大丈夫。綺麗だよ」
「ありがとう♪」
じゃあお二人ともいいですかー。
はい、チーズ。
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