第88話帝都決戦 Ⅷ 

ニーナという少女に、正式な名はない。


勇者に拾われ、人としての尊厳を得た少女だ。




研究者にとって実験動物に過ぎなかった彼女が、偶然、勇者に助けられただけ。




ただそれだけなのだ。




ニーナはどこかで想っていた。


助けられたが故に、助けてからも傍に居させてくれたが故に。




自分は特別な存在なのだと。


勇者様に守られるお姫様のような存在だと。


期待して、喜んで。




けれども、現実はこれだ。




「あ……ぅ……」




魔核が抜き取られぽっかりと開いた左胸からは血が流れだし血だまりを作る。




強化兵として造られた彼女は、まだ完全には息を引き取っていなかった。


けれども、魔核を失い、動くことも喋る事も出来ないこの状態を。


ただ死ぬことを待ちながら生きるこの状態を生きていると言っていいのかはわからない。




まどろみに滲む視界には、大好きな勇者様と自分の魔核を取り除いた男が映る。


状況は五分五分に見えるが、徐々に鎌瀬山が押され始めているのが分かってしまう。






紅泥を使う鎌瀬山。


彼は怒りに支配され、ただ憎しみの怨嗟を目の前の相手にぶつける獣と化していた。




自分がそうさせてしまった。


私の勇者様ヒーローを、大好きな彼を自分のせいで。




「ぅ……」




瞳から紅い涙が流れる。




勇者様を助けたい。




隔離された実験棟。


空を知らず海を知らず、世界の果てまで続く景色を知らなかった自分を助けてくれた勇者様にお返しがしたかった。




助けられるだけでなく、助けたい。


頼るだけでなくて、頼られたい。


後ろについて行くだけじゃなくて横を共に歩きたかった。




けど、血に濡れた身体はもう感覚がない。


直に、自分は深い眠りに着く。永遠に目覚めない眠りに。




心地よいまどろみの中、意識が消えかける。


眠い。眠い。眠い。もう、寝たい。


死の誘いに誘われていく。




けど、私はそれを拒絶した。




彼を、カナリさんをこのままおいて云っては、駄目なの!


もう復讐に染まる彼を見たくない。


私の好きな優しい勇者様ヒーローでいて欲しいの!




身体に力を込め立ち上がろうとする。


しかし、血を失った身体はぴくりとも反応してくれない。




動いて動いて動いて動いて動いて動いて動いて動いて動いて動いて動いて動いて動いて動いて動いて動いて動いて動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動けェェっ!










彼女の身体がぴくりと僅かにだが動いた。


それは意思だけで死した肉体を凌駕した事に違いなかった。


ほんの数ミリの脈動。


その結果、少女の紅い涙が頬を伝い、大地に落ちた。








大地に波紋が拡がる。


そして砕けた剣……魔剣ヴァジュラが感応した。




何かが私を見ている。




『魔と人の乙女よ、汝の覚悟は理に干渉した。歪な身であれど、汝を認めざるを得ない。為らばこそ、問おう。 何ヲ求ム? 』






『力を』




『為らば、問おう。 何故求ム? 』




『彼を、助けたい』




『為らば、問おう、 何ヲ賭ケル? 』




『わたしの全て』




『為らば、再度問おう。 覚悟ハアルカ? 』




『わたしにはそれしかないの、だから力を貸して』




『為らば、全テヲ我ニ捧ゲヨ 我ハ太古ノ王ガ一柱大いなる雷獸ヴァジュラ 此処ニ契約ハ成サレタ』
















―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「はァ。そろそろ終わりにしようや、勇者。てめェとオレとの差はいくら足掻いても縮まらねえことが良く分かっただろうが」




鎌で身体を支えながら立ち上がる鎌瀬山を見下し、嘲笑う。


最早、鎌瀬山に勝ち目はない。




しかし鎌瀬山の瞳に、影は落ちない。


憎しみに満ち、憎悪を燃やす。




既に死に体の鎌瀬山。


殺すことはいつでもできるだろう。




最大最速の一撃を叩きこめば、鎌瀬山は成す術なく勝負は決する。




が。




「あァ?」




九図ヶ原の『感覚境界』が異常を感知する。




ある筈のものがそこに無い。


居たはずのものがそこに無い。




振り返った先に。




「クソが」




殺した筈の女がいない。


そう思考した瞬間。




稲妻が九図ヶ原の視界を横切った。




「ざけんなよてめェ等……」




イラつきにイラつきを超える。


九図ヶ原のイラつきは最大限へと。


怒りで何かを打倒するなど、奇跡で何かを打倒するなど、あってはならないと。




それが九図ヶ原の信条だ。


故に、九図ヶ原はその信条の元これまでを生きて来た。




自らの限界を知り、自らの力を知り。


勇敢と蛮勇を履き違えることをせず。


張り巡らせた知略で。鍛え抜いた身体で。


好き勝手生きて来た。




そして、奇跡は起きないことを獲物になった人間に突き付けて来た。




罪なき人から犯罪者まで、誰かの人生を滅茶苦茶にして来たし壊してきた。


決まって誰もが、怒るのだ。そして、無力を実感する。


絶望をその表情で彩り、九図ヶ原はそれを見て快感に浸る。




この世界でも、そうだった筈だ。


そうだった、筈なのに。




「んだァテメエ等はよォ!!何度も何度もめんどくせェ!!相手するこっちの身にもなれや!!」




九図ヶ原は激昂する。


戦況は彼が絶大的な有利であるはずだが……予想していたビジョンとは大分違う。


闘う前から全てを計算して、最高の絶望を引き出させるために予定した全てが。


意味の分からない奇跡などというもので、一時の怒りで、思い通りにいかないのが許せない。




その視線は、鎌瀬山に……そして、その前に降り立った赤毛の少女に。




「ニーナ……」




「カナリさん。えっとね、なんだか力が湧いてきてね。えっとねえっとね、ヴァジュラ……さん?が力を貸してくれたの」




鎌瀬山はニーナの左胸を見る。


そこに、ぽっかりと空いた筈の穴は無く。


あったのは、紅い魔核。それも、以前のものよりも数段と綺麗で、力を感じ神秘的だ。




鎌瀬山の思考は段々とクリアなものに移り変わっていく。


あれだけ激怒し、理性を失っていたのが嘘みたいに。


生きているニーナを見て、瞳を潤ませる。




「良かったニーナ。ほんとうによかった……」




鎌瀬山の心からの声。


感情をむき出しにしたその声に、表情に、えへへ、とニーナは照れる。




「心配かけてごめんなさい……」




「良いんだニーナ、けどまだ危ねえから下がっててくれるか」




ニーナは首を振り、力強く答えた。




「ううん、私も闘う。一緒に」




鎌瀬山はニーナを後ろに下がらせようと、この場から退避させようとほんの数瞬前まで考えていたが。


ニーナの表情を見て、変える。




ニーナはもう以前のニーナではなかった。


彼女はまだ幼いと言うのに覚悟を決めた、強い人間の瞳を灯していた。


その変化の理由は鎌瀬山には分からない。


しかし、この眼をした奴が簡単に退く筈が無いことは知っていた。




「……あぁ。いくぞニーナ」




「うん!!もう、カナリさんの足を引っ張らないから」




鎌瀬山にもわかる。ニーナが精神だけでなく、肉体までも強き者へと昇華していることが。




「背中は任せたぞ、ニーナ」




「うん!!うん!!」




憧れの勇者様からのその言葉は、ニーナにとっては何よりもうれしいかった。


共に肩を並べて闘える。それをどれだけ夢見た事か。




「臭ェ茶番劇してんじゃねェよ!!」




九図ヶ原の激昂。


瞬間、九図ヶ原の立っていた場所から姿は消え、ひどい砂埃が巻き起こる。




九図ヶ原の最大スピード。


大地を抉り、陥没するほどに蹴り上げ宙を飛ぶ。




狙いはニーナだ。


九図ヶ原の手がニーナに触れようとした瞬間、ニーナが九図ヶ原の視界から消えた。




「ヴァジュラさんは、速いんだよ」




九図ヶ原の手の先に残る感触は、紅い稲妻。


九図ヶ原の背後には、身体から紅い稲妻を迸らせるニーナ。




ニーナのスピードは九図ヶ原を上回る、




雷獣ヴァジュラ。


かつて古を駆けた雷鳴。




太古の王の一柱であり。


魔王、初代勇者の一人を屠った伝説のある神の獣。




その一端。


ヴァジュラの魔核を主にして造られた魔剣ヴァジュラはその力を引き出すことは出来なかった。


例外的にヴァジュラの意思が宿り持ち主を選別した魔剣。


ヴァジュラでない者が、ヴァジュラの雷を纏えばそれを耐えることは出来ずに一瞬で消し炭になるだろう。


故に、魔剣ヴァジュラはその持ち手にあった力にしかならなかった。




だが、ニーナの場合は違う。


ニーナは魔剣ヴァジュラをその身に取り込んだ。


自らの心臓として、生命の礎として、同化した。


その時点で、ニーナの身体も変質し、人の身体の限界を超えた。




雷獣ヴァジュラに連なるもの。


雷獣ヴジュラの力を受け継ぎし者。




かつて初代勇者の一人を屠った伝説を持つ王の継承者。




そのニーナが、九図ヶ原のスピードに遅れをとる事は有り得ない。




「私、あなたのことなんにもわかんないけど、カナリさんの敵だってことわかるから!!」




気が付けば、周囲は暗く、太陽は閉ざされた。


上空には、黒々とした雷雲と雷鳴。




ニーナは手を翳す。




雷鳴は鳴り響き。


紅い稲妻が九図ヶ原を襲う。




「クソ餓鬼がッ!!借り物の力で調子乗んじゃねェよ!!」




「俺らも借り物力だろうがよ!!」




紅い稲妻を避けながら、ニーナを捉えようとする九図ヶ原に鎌瀬山はジャポニカで切りつける。


同時に、周囲の紅い泥も刃物状になって襲い掛かる。




「あァもううざってェなァ!!」




それを九図ヶ原は『感覚境界』とシャルマハトを用いて躱す。


拳を鎌瀬山に打ち込むが、それは紅い泥によって防がれ。


紅い泥と紅い稲妻。


その両者の猛攻にバランスを崩した九図ヶ原の顔面に鎌瀬山の拳が叩き込まれる。




「がァ!?」




近接特化型ではないとはいえ、勇者の拳を受けた九図ヶ原は吹き飛んで地面に叩き付けられた。




「はぁ……はぁ……。やっと打ち込んだぞ糞野郎」




拳を打ち込んだ鎌瀬山は肩で息をしながら、ジャポニカにもたれ掛かる。


この戦闘での初めてまともに鎌瀬山が与えた一撃。




紅い泥、という制御できない力ではなく、鎌瀬山自身が与えた一撃だ。




「クソが……クソが……クソがァ!!」




九図ヶ原戒能は吠える。


彼にとっては屈辱的で、最悪だ。


そして、状況は最悪だと悟る。




九図ヶ原戒能は確かに、勇者の中でも上から数えたほどに一対一には強い。


鎌瀬山と違い近接戦闘に特化した勇者は、一対一ならばほぼ負けることは無い。


そういった限外能力と固有武装を持っている。




しかし、相手が複数に。


それも無限の手数を持っている者等との戦闘になると話は違ってくる。




紅い稲妻。


あれは『感覚境界』でその効力はなんとなくは理解できていた。


所詮勇者ではない少女の攻撃。雷獣の力を受け継いだとはいえ、すべてを受け継いだわけではない。


その一端であるが、当たってしまえば数瞬は痺れ身動きが取れなくなってしまう。




加えて、鎌瀬山の『空間移動』が常時周りで発動し紅い稲妻を四方八方全方向から誘導させる、


さらに、鎌瀬山自身と紅い泥の猛攻。




事前に何が来るかがわかったところで、数瞬先の未来がわかるとして、超人的な身体スキルをもっているとして、永遠に疲れない肉体があるとして。


そもそも、手数が追い付かない。




後だしを許されるが、複数人に同時にじゃんけんで勝てと言われているようなものだ。




優勢が劣勢に変わる。


思いもしなかったこの現状に九図ヶ原戒能の腸は煮えくり返る。




「死に損ないとクソガキが……てめェ等……ァァァァァァァアアァァァァァァァ!!」




あと一撃拳を打ち込めば殺せるであろう勇者。一対一なら速さで負けていようとも捻りつぶせる小娘。


その二人如きに、劣勢に追い込まれている自分に腹が立ち、その二人に際限のない憎しみと怒りを向ける。




「穿って稲妻」




上空に立つニーナは手を空へと翳す。




ニーナの上には渦巻く雷雲。ビリビリと紅い雷鳴が鳴り響き、徐々に稲妻を蓄えている。


最大出力による全範囲攻撃。




読めたところで避けられない。


九図ヶ原戒能にとって、最悪の一撃だ。




「ァァァァァァアアァ!!ザケンなァァァァ!!」




上空に佇むニーナを引き釣り下ろそうと、空を駆ける九図ヶ原。


九図ヶ原が迫って来ようとも、ニーナは怯まない。


怯えた様子冴えない。




何故なら、ニーナにとって大好きな勇者様が味方についているのだから。


何も怖くない。




そして勇者は。




「おめえに言われた事そのまま返してやるよ。俺を無視できると思ったか?」




鎌瀬山は期待に応える。


死に体を引きずって、九図ヶ原へと鎌を振り下ろし地面へと吹き飛ばした。


冷静さを失った九図ヶ原の『感覚境界』は最早作動しない。


情報を得ようともそれを判別できない。




「俺ごとやれニーナ!!」




「うん!!」




ニーナは手を振り下ろした。




「オレは認めねェ……こんなん認められるわけがねェだろうがァァァァァああァァァァァァアア!!」




九図ヶ原は叫ぶ。


瞬間。音が空間内に炸裂する。


無限の紅い稲妻は束になって、闘技場をすっぽりと覆い尽くすほどにまで成長する。


轟音と爆音。


天から振り下ろされるような裁きに、大地が震えた。




鎌瀬山は自分の周囲を『空間移動』の次元の壁で囲い。


地面に吹き飛ばされた九図ヶ原はそれをモロに喰らう。










雷撃が止み、ニーナは地面に降り立った。


ニーナサ最大の一撃。力を使い果たしふらふらとしてしまう。


酷い土煙が舞う中で、ニーナの前に現れる影が一つ。




「あァァァァ、クソガキ、よくもやってくれたなァァァァァァァ!!」




勢いよく土煙を払いのけ、拳を握りしめ最大地を蹴り上げ突っ込んできたのはボロボロになった九図ヶ原。




余裕も無く、全身が焦げ、怒りに瞳と表情を歪めた悪魔ともいえる形相。




その悪魔に、ニーナは怯えることはない。


ニーナは信じているからだ。




「安心しろニーナ。もう、これで終わりだ」




九図ヶ原と同時に、ニーナの背後から土煙を払いのけて突っ込んでくるのは鎌瀬山。


紅い泥を刀身に張り付かせたジャポニカを握りしめる。






ニーナを中心に、九図ヶ原と鎌瀬山の影が混じり合う。




舞う鮮血。




九図ヶ原からは鮮血が吹き出し、倒れこむ。




「はぁ……はぁ……」




肩で息をする鎌瀬山。


背後で九図ヶ原が倒れこむと同時に鎌瀬山も、足がおぼつかなくなり体の自由が奪われて……。




「カナリさん!!」




それをニーナが支えた。




「カナリさん!!カナリさん!!」




「あぁ……んな名前呼ばなくても大丈夫だよ」




心配の声音を出すニーナに、鎌瀬山は頭を撫でて微笑んだ。




同時に、鎌瀬山の中に遅れて達成感が沸き上がる。


九図ヶ原戒能に自分は勝ったのだと。


勝てないと思っていない敵に、自分は勝てたのだと。




その余韻に浸った直後。




「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」




帝国を、声が覆った。


その声の方を向けば。




「なんだよありゃ」




何と形容していいかわからない。


巨大な異形の化物が帝国に鎮座していた。




同時に。




「カ、カナリさん!!あの人いないよ!!」




ニーナの驚いた声に振り向くと、九図ヶ原が倒れたと思わしき場所にその姿は無かった。


血の跡は、闘技場の外へと続いていた。




「くそっ!!次から次へと」




「か、カナリさん!!どうするの?」




「決まってんだろ……まずあの化物を対峙してから、逃げた腰抜けを倒す」




鎌瀬山釜鳴は再びジャポニカを持って、歩き出す。


それをニーナは支えるように寄り添って進む。




以前とは違う、勇者となった鎌瀬山だからこそ選んだ選択肢だ。










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