第55話極悪人の死


 街を駆ける呂利根。

 その顔は必死だ。

 自分の愛する人形達を置いての逃走。

 そんなことが彼には耐えきれなかった。

 だから、必死に街を駆け探す。

 自分の能力に適応できる少女を。

 あの化け物どもを倒し得る人形を。


「いない……いない……いないっ……いないっっ!」


 街には人の子一人も見当たらなかった。

 その事に呂利根は焦る。 

 今、己の最も大切な人形達があの化け物勇者に壊されようとしているのだ。

 刻一刻と時間が経過していくのにつられ冷静さを欠いていく呂利根。

 もし彼が少しでも正常な思考を残していればこの『異常』に気が付けたはずだ。

 しかし、彼は気づけない。


「くそっ!何で人がいないんだっ!?勇者が闘っていると言うのに避難でもしたのかあいつらぁっ!?あぁぁあっ!くそくそくそ!!これだから糞共はああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!自分さえよければ!!自分さえ助かればそれでいいのかよォォォおぉぉぉぉぉぉおお!!!!」


 髪をかきむしる。

 苛立ちと焦りで息が切れ、呂利根は立ち止まる。


 すると、微かに後ろから物音が聴こえた。

 もしかして奴等が追ってきたのか?と呂利根は怯えながら後ろを振り返る。


「ひっ……お兄ちゃん、誰なの?」


 そこには呂利根の姿を見て怯える幼い少女がいた。


「いた……。いた……」


 呂利根はふらつきながらも幼女に近寄る。

 対象が見つかった喜びに、むせ返る幸福感に包まれて笑みを浮かべる。

 この幼女で呂利根の保有する最高戦力であるレミとミルが手も足も出なかった相手に勝てるのか、そんな思考は呂利根の頭の中にはなかった。

 ただ、現状を打破し得る可能性を掴んだことに、胸が震えた。


 突然、男が不気味な笑みを浮かべながら近付いてきた事に幼女は怯え、尻餅をついてしまう。


「ち、近寄らないで……」


「良かった……。いた、いた、いた……これで、レミとミルが……」


 年端もいかない幼女。

 当然、その言葉の意味を理解出来るはずもない。

 しかし、この男の風貌が様子が表情が、全てを物語っていた。


 呂利根川は怯える幼女に飛び掛かり、小さな身体を床に押し倒す。


「い、いたいっ」


 幼き肢体を上から下まで眺め、満足そうに舌鼓をうつ。

 ああ、これなら最高な人形が出来るはずだ。

 レミとミルを助けられる。最高の人形が。超えることの出来なかったスペックレベル6を超え、勇者すらをも屠るスペックレベル7を作れる。

 そう呂利根は盲信した。



 押し倒された幼女は抵抗することも出来ずに只身体を震わす。

 その震える身体を撫で回しながら、呂利根は幼女の顔に己の顔を近付ける。


「直ぐに、君を。天使にしてあげるからねぇ」


 ねっとりとした余裕の無い声音。

 普通ならこの状態でこんな小さな子どもが何も言い返せるはずがない。





 しかし、少女はしっかりと呂利根の瞳を見返し、言い返した。






「それは、お断りなのですよ」




 呂利根は突然の事に困惑した。

 さっきまでは只の怯えた子どもだったはずなのに。

 瞳の奥には強い光を灯し。

 哀れみと恨みが混ざった私怨の瞳。

 それが自分に向けられているのだ。



 少女は、僅かばかりの私怨と、呂利根に蹂躙されてきた人々の恨みを代弁するかのように。



 その言葉と共に呂利根の動きがピタリと止まった。

 そして、焼けるような胸の熱さ、鈍い痛みが胸元で広がった。


「あ……あっ……」


 自分の胸にある違和感。

 それが何なのか。

 呂利根はゆっくりと身体を起こし、自分の胸元を確認した。


「がふっ……何、だよ…これ?」



 驚愕に目を見開き、言葉を零す。

 自分の陥っている事態。それが理解出来なかった。



 己の心臓を真っ直ぐに貫く少女の腕。

 それは金属製の刃物へと変質していた。

 理解出来ないという顔をした呂利根に少女が語りかける。


「油断し過ぎなのですよ呂利根。貴方は最後の最後で油断したのです」


「な、まさか……お前っ!?」


 自分の名前を呼ばれ、そこでようやく呂利根は目の前に立つ幼女が誰なのか理解する。


 ああそうか、と。

 やっと、気付く。


 その見覚えのある、さっきまで交戦していた竜人とまったく同じ技を使う幼女を見て。

 そして、その竜人が姿を変えてこうして自分の胸をその腕が貫いて。

 やっと、目の前の幼女が自分の良く知る人物なのだと。

 同じ勇者なのだという事に気付いた。


 自分がさっきまで交戦していた竜人。勇者である自分に勝らずとも拮抗できるだけの実力の持ち主。

 そういるはずがない。


 それにそもそも、気付くべきだったのだ。

 王国勇者が革命軍と接し、それでいてこの作戦に芽愛兎の姿が無かった事実に。

 腐っても勇者である芽愛兎を、この作戦に投入しない筈がないのに。


 幼女は呂利根に深く突き刺さった己の腕を引き抜く。


「がぁっ!」


 あふれ出る鮮血と共に、呂利根の身体は後方に倒れ、苦し気にその口から血をまき散らした。


「相当余裕が無かったのですね。普通、こんな人気ひとけの無い場所で小さい子どもが一人で歩いているはずが無いのです。慎重になっていれば、君ならきっと気づけた筈なのですよ。ボクは君を嫌いですが、侮ったことは無いのです」


 哀れみの視線を向けるその幼き少女の名を呂利根は叫ぶ。

 上半身を起こし、血があふれ出る左胸を抑えながら、呼吸するのでさえ苦しい状況でも叫ばずにはいられなかった。


「芽愛兎ぉぉぉぉぉォォォっ!がはっ!」


 無理をして叫んだせいでさらに血を吐き、起き上がろうとしたその身体は既に力は入ることなく、呂利根は地面に倒れ伏す。


「如何に勇者と言えど、心臓を潰されては流石に動けないのですよ」


 芽愛兎はその小さき身体を起こし、倒れ付す呂利根を見下ろす。

 次第にその幼女の姿は掠れ、瞬きの後には、一房に止めた金色の髪と口元と覆うようにマフラーを巻き付けた少女の姿が現れる。


『無貌の現身』


 芽愛兎の限外能力。


「め、め、芽愛兎ぉぉぉぉぉお!!お前っ!誰を、刺し、たのか理解してるのがぁ!?」


「ボクは悪を裁いただけなのですよ、呂利根。帝国に蔓延る勇者の名を語る犯罪者を裁いただけなのです」



「悪だとぉ?ごの僕が……悪ぅ!?俺ば、俺は、ごのぜ界で勇者だ!強者なんだぞ!強者が弱者を好きに扱って何が悪いっ」



「貴方が勇者のはずがない。そして、貴方はボクと同じ弱者でしかないのです。ボクと同じ醜い存在なのです。だから呂利根、貴方はもうじき死ぬのです。貴方は……死ぬべきなのです」



「なにお言っでやがるっ!ごの、僕が…死ぬはずがあるがぁァ……」


「……」


 死を受け入れない彼に対して、芽愛兎は何も言い返さなかった。

 如何に勇者の生命力がずば抜けているとしても心の臓を貫かれてこれだけ時間が経過したのだ。

 呂利根の命はもう長くない。


 あれだけ殺したかった、民のために殺すべきだった男が今死のうとしているのに芽愛兎の心は何故か晴れなかった。

 それがどうしてなのか今の芽愛兎には分からない。



 血を流しすぎた呂利根は既に視覚を失っていた。

 目が見えない中、彼は必死にもがく。

 みっともない醜態を晒し、助けを求め乞う。


 それは、いつしかの芽愛兎の様に。

 這いながらも、逃げようとしたかつての自分の様だと、芽愛兎は感じた。


「がふっ……い、嫌だ……まだじにだくない…じねない……まっでるんだ……レ……ど、……ルが……だれが、誰が……」


「ごんな、どごろで……俺が……   だら、ぶ  りば……」


 血溜まりが出来た場所で泳ぐようにもがく呂利根。

 止まることの無い血は、彼の命の残量を指し示す。


「やっど……、  ……なのに…」


「お、 、ば……も  ら 、ないと……」


 途切れ途切れの言葉。既にそれは源吾として成り立っていない。


 だが、それがなんなのか芽愛兎にはなんとなく理解できてしまった。

 散々民衆を苦しめてきた男が今更都合の良い言葉を並べるなんてと芽愛兎は侮蔑する。


 しかしそう思ったはずだったのだが、芽愛兎は膝を地面につけてしまっていた。


「……ぁ……ぁ」


 そして、一瞬自分がしようとしている行動に躊躇する。

 しかし、芽愛兎は無貌の現身を発動してしまった。

 この男に同情する余地など無いのは分かっていた。

 今までしてきた事を思えば、こんな事では生ぬるく、もっと惨たらしい結末にするべきなのだ。

 けど、行動せずにはいられなかった。


 芽愛兎の両腕が幼き二人の少女の手へとかわる。

 彼が最も信頼した二人の少女の手へ。

 そして、呂利根の伸しきった手と僅かに触れ合った。

 支えるように優しく。


 人道に反した最悪の男。

 多くの罪なき人々を恐怖に叩き落し、絶望に落とし続けて来た男。

 それが呂利根福寿だ。

 そんな人間が最後の最後に求めたのはたった二人の人形の存在ぬくもりだった。


 ムカツク話だ。

 非常にムカツク話だ。

 自分の今までの行いを理解できているのならこうも図々しく他人を求める事なんて出来ないはずだ。

 自分を強者というなら死ぬときまでそれを貫けという話だ。



 しかし。



「れ、みっ……ぃ、る……よ…ぁ…」



 呂利根の安堵した表情。

 確かに触れた両の手に。この世界に来てから共に過ごし、一番に触れあってきた二人の少女の温もりに触れて。

 たとえそれが偽りのモノだったとしても、もはや目も見えず意識も朧げな彼にとっては、本物だった。


 その姿を見て何も言えなくなってしまう。


 それっきり、呂利根は動かなくなった。

 帝国勇者・呂利根福寿は息絶えた。

 その緩みきって安心しきった表情は、この男の最後には絶対に相応しくない死に様だ。



 芽愛兎は自分のした行動に戸惑っていた。

 今の行動に何の意味があったのか?

 あれだけ非道な数々をしてきた男だ。

 死ぬときは絶望に満たし、今までの行いを懺悔させてから殺してやるとずっと考えていたはずだったのに。


 だというのに、最後に自分は彼に安らぎを与えてしまった。

 芽愛兎は自分の両の手を茫然と眺める。


 血に塗れた両の手。


 勇者と呼ばれてきたこの身で、初めて敵を打倒した、敵の命を奪った。

 その相手が、共に世界を救うはずだった勇者とは何という皮肉だろうか。


「ボクは……」


 芽愛兎は空を見上げながら、疲れ切った表情でその場に立ち尽くした。


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