出会いを求めるめんへらミドリちゃんの日常奇譚

ひなの ねね

第1話 【影人奇譚】

「あー、死にたーい」


『昨日未明、S市内、I番街のマンションにて変死体が発見されました』


「死にたい、死にたい、死にたい」


『死亡が確認されたのは三鷹加賀美さん。洋服のままで室内に倒れており、喉元を斬

りつけられ即死との見方です』


「死にたい、死ねば、死ねれば、死んで詫びろ、死んでも尚、死死死ー」


『これは非常に残虐な手口ですね。ここ最近の事件と同様に被害者は○○大学の十代の少女。深夜二時、アルバイトから帰宅した直後、襲われたとの見方です。しかも即死後は右手の骨を残して肉だけ削り取るという非常に猟奇的な殺人です』


「死んだら楽になれるかなー、死んだら楽しくなるのかなー、生きてるだけで無意味、無価値」


『こういった行為に見えるのは、自身の存在の主張が見え隠れしていますね。特別な手口を使うのは自分だけという、自己顕示欲があり、誰かに認めてもらいたい欲求があるのかもしれません』


「今すぐ死のう、すぐ死のう、悩むんだったらやるべきだ。さあ死のう」


『今のところ犯人に繋がる証拠はございませんが、同様の事件はこれで三度目となります』


「お風呂場で手首を切って、お湯につけて、はい終わりー、ぐああああああー」


「ミドリちゃん、その物騒な歌やめてくんねーかな、俺は良いが、お客さんが金置いて出てっちまっただろうが」

 四人掛けの客席でテーブルに突っ伏している黒髪セーラー服少女に、俺はいつもの様に呼びかけた。

 久しぶりの来客だったのに困ったもんだ。

「えー、ここからいいとこなんだよー。二番は手首の痛くない斬り方から、首吊り、練炭、蒸しタオルでの安楽死の歌詞に入るとこなんだから」

 勢いよく顔を上げて抗議の声を上げる少女の顔は血の気が薄く、あまり健康的には見えない。だが病弱な人間ほど美しく見えるとはよく言ったもので、大きな瞳に高い鼻、整った顎のラインと絹のように美しい黒髪。生気が無いせいか、この世のものとは思えぬ美しさを秘めている。

「良いも悪いも、ここは喫茶店なんだからその生臭いBGMは流すなってこと。あと爺さんもグロいニュースはやめてくれ、昼飯のカレーをこれから食う俺の気持ちはどうなる」

 暇そうに新聞を読みながらお昼のワイドショーを垂れ流していたマスターは、特に感情もなくテレビのチャンネルを変えた。お昼に相応しい、くだらないワイドショーが流れだす。

「マスターは只でさえ、見た目で人を怖がらせるんだから、店内の雰囲気にも気を使わないとダメだって」

 俺の言葉にマスターは小さく息を吐いただけで、再び新聞に目を落とした。その姿はまるでマフィアのボスである。背丈は二メートル以上、過去に何をしていたか分からないが、六〇歳を過ぎているにも拘らず、筋骨隆々で片目にアイパッチまでしている。髪と髭は白く、ある程度整っているが、接客業をするには些か強面だ。

「居候の俺が言う事でもねーんだがね」

「そうそう、オッサンは早く私にオレンジジュース運んできてよー、死にたくなったら喉乾いちゃった」

「誰がオッサンだ、まだ三十三だわ」

 休憩中にも関わらず、そういってしっかりとオレンジジュースを出すあたり、俺も仕事が板についてきた。

「せんきゅー!」

 ミドリちゃんは嬉しそうにオレンジジュースを飲みながら、キラキラにデコレーションされたスマートフォンを弄りだす。

「ほんで本日は金曜日。時刻は十四時過ぎですが、うちのお嬢様は何をやってるんですか?」

「今日は女の子の日だから休みー」

「それは昨日も聞いたわ」

「あれ、知らないの? これって一週間くらい続くんだけど。もしかしてオッサンって童貞?」

「童貞ちゃうわ、しかも一週間前も同じ言い訳聞いた。てか毎日聞いてる」

「あいたたた、まだ病み上がりでー」

「風邪引いたのは去年だろ」

「まあまあ、細かいことは気にしなさんなって」

「ったく……これだから引きこもりは」

「引きこもりじゃないですー、自主的登校拒否ですー」

「爺さんこんなこと言ってんぞ、お前の孫娘」

 隻眼のマスターは一度こちらを見ると、再び新聞に目を落とした。毎度の事となので取り合うのも面倒なのだろう。

「お爺ちゃんは優しいから、いんだもーん」

 それに今日は、とミドリちゃんは言葉を付け足す。

「これからデートだし」

「……あ、夕飯時の食材仕込んどかねえとな」

 基本的には殆ど客が来店する事もない喫茶店だが、夕飯時になると地域の方々がたまに顔を出す。その下準備もしておかねばなるまい。

「華麗にスルーとかオッサンも偉くなったもんだね」

「またかまってちゃんのいつもの言葉かと思うと、おじさん返答に困ってね」

 ミドリちゃんは基本的に自宅から出る事はなく、出たとしてもたまに帰宅する両親を回避するため、祖父の喫茶店に避難しているだけだ。

 いや、たまに外出もあるにはあるが、世間知らずな彼女の事、外に出るだけでも心配だ。

「んで、デートってのは本当なのかい?」

 先ほどの客の食器を洗いながら、ミドリちゃんに話しかける。

「ほんとほんと。なんでも二十五歳でベンチャー企業の社長、しかもテニスが趣味の爽やかイケメン。これで私も一生働かなくて生きていけるー!」

「マジでそんな奴いるのかよ……」

「いるって、オジサンが知らない世界なだけで」

「いやいや、これでもオジサン色々な世界知ってるんだよ?」

 今ではこの喫茶店でアルバイトしているが、過去には色々な世界を見てきたものだ。

「ミドリ、顔の濃い歳上には興味ないしー。やっぱり最低でも年収一千万以上で爽やかな好青年が好みだしー」

「痛い目見るタイプだな、おい。それで、どこで知り合ったのよ。富裕層とパイプがあるとは考えにくいが」

「あ・ぷ・り」

「……なんか久しぶりに眩暈がしてきたわ」

 食器も洗い終え、カウンターに座りながら目元を押さえる。

「ミドリちゃん、この前も似たようなことあったよね」

「あれとこれは違うよー。今度はちゃんと相手がどんな人かもしっかりと質問したし、悪い人じゃなさそうだしー、それにいまどきアプリで出会うのなんて普通だし」

「前回は偶然俺が近くにいたから良かったものの、命に関わる危険性もあったわけだよ」

「うん、前回は前回ね」

 駄目だ。ミドリちゃんは話せば話すほど、意固地になって必ず実行するタイプだ。こうなってしまうと下手に止める方が面倒な事になってしまう。

「あ、もうこんな時間、駅前で待ち合わせなんだ!」

 慌ただしく立ち上がると、ミドリちゃんは入り口で一度立ち止まって、こういった。

「では、行ってまいります。時代遅れのおじ様」

「……やれやれ、心配じゃないのかい、マスター」

 マスターを見つめると我関せずといった風に新聞を置いて、豆を挽き出した。

 どこまでもマイペースな二人だった。


第一話 【影人奇譚】


「ミドリちゃん、凄い可愛いね、驚いたよ!」

「ええー、ミドリなんて可愛くないよう」

 場所は駅前の喫茶店。大学生やサラリーマンが大勢利用するチェーン店だ。本日も大学生が駄弁り、サラリーマンがパソコンを打ち、意識の高い人種が集まる。

 その一角に眼も覚めるような制服姿のミドリと、ジャケット姿の若手社長が対面していた。

「だってツイッターに『わたし可愛くなーい』てあげる度に、ブスって返ってくるしー」

「うっわー、そりゃ酷いね。写真なんかよりも全然可愛いよ。そこらのアイドルなんか目じゃない。正直、なんで事務所に所属してないか疑うレベル」

「えー、言いすぎですよ、社長さん」

 否定している割りに、それほどでもない雰囲気を醸し出して口元を隠して笑う。その姿に周囲に座っている男子も眼を奪われているのが分かる。

 同席している男からすればその優越感は想像を絶するものだろう。

「でも学生さんでしょ? それだけ可愛いと学校で言い寄ってくる男も凄いんじゃない?」

「学校にいる男子なんて、ガキですよー。未だにゲームとか漫画にしか興味ないし、小学校卒業しただけの奴らだし」

「え、ミドリちゃんてもしかして高校生じゃないの?」

「あ、言ってませんでしたっけ? まーまーそんな細かいこと気にしなくていいじゃないですかあ。楽しくお話ししましょうようー」

 男性は眼の色を変え逡巡するも、コーヒーを飲み、疑問ごと喉に流し込む。確かにこんなチャンスは二度とないかもしれない、そんな考えすらも一緒に流し込んでいく。

「じゃあ今日遅かったら両親とか心配するんじゃない?」

「今日いないから気にしませんよ」

「へ、へー。こんな可愛い若い子を家に一人放置なんて、危ないねー、今日は俺が送って帰らないとね」

「えー、社長さん、やらしー、そういうのが目当てなんですか?」

「大人として心配してるんだよ」

「えー、ほんとかなー、社長さんの目、なーんか怪しいし」

「ミドリちゃん、大人をからかうの上手いよねえ」

 苦笑いしながらも男は頭の天辺から顔、首筋、胸を舐めるように見ている。無論、初めて会ったときはスカートのお尻の膨らみや、真っ白で妖艶な美脚を目に焼き付けていた。

「その手慣れた感じだとミドリちゃん、色んな人と会ってるの?」

「初めてではないけど、どうかなー、普通じゃないかなー。でも社長さんも慣れてる感じ」

「そりゃ、俺は仕事上、色々な人に会うしさ。いや、勿論女の子と会うのなんて、これ初めてだし、それほどミドリちゃんに感じるモノがあったっていうかさ、運命?」

「ですよね、ミドリもビビってきちゃったんです。やっぱり社長さんは頭良さそうっぽくて違うなーって。やっぱり年収とか今も上がり続けてるんですか?」

「勿論だよ、今はその気になれば幾らでも稼げるからね。馬鹿でもない限り企業すれば稼ぎ放題さ。どっかの会社に入ってサラリーマンするなんて俺には出来やしないね。男なら一国一城の主になるべきじゃね?」

「うわー、かっこいー!」

 ミドリは胸の前で両手をぱちぱちさせる。嘘か本当かはさておき、確かに男の携帯電話は出会った時から何度も振動している。

「あ、そうだミドリちゃん。今日の出会いを祝してこれを上げるよ」

「えー、何ですか?」

 男がジャケットから取り出したのは、リボンが付いた小さな箱だ。綺麗に包装がされており、一目で高価なものだと理解できる。

「開けてみて」

「何だろう、楽しみ!」

 ミドリが箱を開けると中には某海外ブランドの時計が入っていた。宝石が埋め込まれており、学生では絶対に手が届かない品物なのは一目瞭然である。

「凄い! 嬉しい! いいの、これ!」

 目の色を変えたミドリを見て男は口元を緩める。

「ああ、一千万はしない程度だけど。学生じゃ――いや、働いても普通の人には買えないだろ? まずは貢物ってね」

「やったー!」

「それじゃ、そろそろ行こうか、ちょっとトイレ済ませてくるわ」

 そう言って男は席を立つ。

 男の姿をミドリは目線で追い、彼がお会計し、その後トイレに向かう様子を確認する。

 その隙に彼が持っていた小さな鞄に手を伸ばす。

「ロクでもないモノしか入ってないなー」

 携帯、タバコ、車のカギ、家の鍵らしきもの、仕事先のものなのか従業員のシフト表一覧。

「コンドームとか、馬鹿じゃないの。死ねばいいのに」

 他にもブレスケア、整髪用品、潔癖症なのか革の手袋、ウェットティッシュが大分多く入っている。

 思い返せば確かに飲み物を飲むときも、丁寧にカップを拭いていた気がする。

「金持ちにしては、持ってるものがみすぼらしいけど、こんなものなのかな」

 と、中にファイリングされた紙の束を見つける。

 興味本位で開いてみると、様々な女性の情報が丁寧にまとめられていた。


『三鷹加賀美。顔ランクB。身体ランクB、総合評価B、○○大学、大学一年生、一九歳、出身は山形。アルバイト先は居酒屋、シフトは週五、ツイッターアカウントあり、帰宅時間は深夜零時。彼氏あり、しかし会うのは週一のみ。注:彼氏ができたばかりか? 住所はM県S市多賀城○○、郵便受けに不在届多し。部屋の電気が消えるのは深夜二時過ぎ多し。朝は八時から外出。基本休みは水と日。ゴミ出しの日は月曜。ゴミの中に野菜袋多し、ダイエット中か? 近所のスーパー『オオフネ』で買い物。洋服はガーリー系、渋谷や池袋の洋服店でよく購入。出会うなら、ネットか、偶然を装い、出会うのもあり。かかる金額はやや高そう。狙う価値あり』


 ミドリがパラパラとめくると、他にも数人の女性のデータや隠し撮りしたであろう写真が幾つもファイリングされ、下着が写っているものも多数ある。データの中にはミドリの情報もあるが、普段外に出ない事もあり、あるのはネットにアップした自撮り写真程度だった。

「ふーん、潔癖症で盗撮魔でストーカーか、良い趣味持ってるようで」

 資料を鞄に押し込んでミドリは何事も無かったようにオレンジジュースを口に付ける。箱から出した腕時計を付けようかと迷い、結局近くのごみ箱に放り込んだ。

 少ししてトイレから出てきた彼はミドリと目があい、爽やかな笑顔で手を振る。ミドリもそれに応えるように笑顔で手を振り返した。

「お待たせ、それじゃどこ行く? 少し街ぶらついてから休憩しよっか」

 男は鞄を抱えながら席を立ち、未だ座っているミドリに今後の提案をする。

「うーん、そうですねー。そうしましょっか。でもミドリ、お小遣い欲しいなー。腕時計だけじゃなー、他の人はもっとたーくさんくれたしー」

「えー、ミドリちゃんはしっかりしてるなあ。じゃこれは?」

 彼は右手の指を五本見せる。

「それはマンですよね?」

「センだよー、学生にしちゃ十分でしょ?」

「ミドリ、もう少しここでゆっくりしたいかも、きゃらめるまきあーとふらぺちーの? これ、おいしそー」

「分かったじゃこっち」

 指を一本立てる。

「今日見たいドラマあったなー」

「あー、もう分かったよ、これでどう?」

 指を三本立てる。

「別に良いですけど。友達に自慢できちゃうかも、社長さんとご飯もしたし、なんでもしたって」

「分かったよ、クソ!」

 そう言って掌を見せる。

「口止め料込み。良いんだろ、それで!」

 それを見てミドリは飛び跳ねるように席を立ち上がった。

「社長さん、だーいすき! 勿論前金ね!」

 ミドリが腕に飛びついてきたのを受け止め、男は苦々しい顔で財布から『お小遣い』を渡すのであった。


 数時間後。

 日は落ちて夜も更けてきた。

 しかし週末だったこともあり、『休憩所』は何処も満室だった。こんなにも運の悪い事がこれまであったかと、男は車を運転しながら舌打ちをする。

「もう車の中でもいいか――でも汚したくねえしなあ」

 独り言のように言っては、都内を何度も行ったり来たりしている。ミドリは特に気にするでもなく助手席から窓を伺う。赤信号で停車すると横断歩道を行きかう人々が、ミドリの物憂げな姿に目を奪われていた。

「ごめんね、ミドリちゃん、時間かかって。それで相談なんだけどさ、ミドリちゃんちとか、どう? 親、今日は帰ってこないんでしょ?」

「別にいいけどー」

 興味なさそうな返答に、男はよしとすぐさまルートを変更する。

「じゃミドリちゃんちにするか」

 車は繁華街を抜け徐々に住宅へと進んでいく。

 会話が途切れ、赤信号で停車した時、男はそっとミドリのスカートから伸びる太腿に手を伸ばす。

「いてっ」

 しかし触れる前にミドリの右手に叩き落とされた。

「前見て運転したほうがいいよ、暗いし」

「触るくらいいいじゃん、大分払ってんだ。俺、すげー我慢してるよ。こんな可愛い子を前にして、これだけ耐えてる方が偉いと思うね」

「ええー、そんなに偉いの? ミドリ分かんなーい」

「いやー、楽しみだなあ」

「そうだね、ミドリも楽しみ!」

 といいつつ、手持無沙汰なのでミドリは助手席のトランクを開ける。

「ミドリちゃん、色々触られると恥ずかしいからやめてくれよー」

 中から出てきたのはクシャクシャになった革の手袋だ。

「なんだろ、これ」

「ああ、それは捨てる場所無かったから――後で捨てるよ。この車にゴミ箱置くの忘れっぱなしでさ」

 笑いながらハンドルを切る。車は徐々に緑の自宅へと近づいていく。男は話題を変えるようにラジオの電源を入れた。

『――三鷹加賀美さんの事件でもそうですが、犯行時期が徐々に狭くなっているのも気になります。犯人はエスカレートしていると専門家の――』

 すぐさま男はラジオのチャンネルを変え、最近流行りの中身の無い誰にでも当てはまるような悩みを歌った流行歌が車内に流れ出す。

「みたか……?」

 何処かで聞いた名前だな、とミドリは一瞬首をかしげたが、思い出せないなら大した事じゃないんだろうと思い、音楽に耳を傾けた。

「さて、到着っと」

 車が止まると、そこは確かにミドリの家の前だ。住所を教えた訳でもないのに到着するなんて、この男は大分焦っているのか、それともただ性欲に負けているだけなのか。

「外でも良かったんだけど、落ち着いた場所の方がいいだろうしさ、っと」

 携帯電話が鳴ったので男は画面を見る。画面の光に照らされる男の表情は暗く、不気味さを含んでいるように見えた。

「そういえば随分携帯なってたけど、いつも忙しいの?」

 出会った時も揺れていたし、運転中もメールが何度も届いていたようだ。

「忙しいといえば忙しいか――さて、それじゃ早くしよう。もう我慢できないよ」

 携帯電話を鞄に仕舞うも再び何度も揺れる。ミドリは気にせず外に出たが、男は再び車内で携帯電話を見ていた。

 自宅を見上げるとやはり誰も帰ってきていないのは明白で、明りは灯っていない。

(――特に思うこともないけど)

 そのとき、止まったばかりの車のエンジンが再びかかった。

「え?」

 助手席の窓が開くと男は叫ぶようにミドリに言い放つ。

「み、見たんだな、俺のコレクションをこの手癖の悪いクソ女が! 警察なんか呼びやがって! 死ね、地獄に落ちろ!」

「はあ?」

 ミドリが男に返答する間もなく、すぐさま車は走り去って行ってしまった。

 車が見えなくなるまでぼーっと眺めていたが、仕方ないのでミドリは自宅に向かおうとする。

 自慢のコレクションを見たのは誤魔化しようもないが、警察なんか呼んだ記憶はないのに何を言ってるのか理解ができない。

 前金は手に入ったが、何だか腑に落ちないものも感じていた。

「あー、死にたい」

 

「何で腕時計を捨てたの?」


「へ?」

 突然背中から声をかけられる。振り向こうとすると、

「振り向かないで」

 鋭い声で言われ、ミドリは身を硬直させた。

「誰?」

「質問は受け付けない」

「うーん、なんでって……あんな『偽物』に騙されるほど、子供じゃないよー」

「偽物? あんたね――例え偽物でも彼がプレゼントしたものを……純情を踏みにじって――よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも……あんたたちはいつもこうだ、欲しいものをもらう癖に、貰えない奴の気持ちなんて考えたことあるの!」

「私はお金だけ手に入ったし、それで別にいいけど」

「くっ――なら望み通り、殺してあげましょうか?」

 背中にひんやりとした感触がある。それは物理的なものかもしれないし、心理的なものかもしれないが、今のミドリには判断がつかなかった。

「そうだね、殺してー」

「……」

 余りにも軽い言葉に声の主は戸惑いを押し殺したような気がした。

「ふ、普通助けを求めるでしょ? 確かに自暴自棄でそう言う奴もいたけど――舐めてるの?」

「あんた、馬鹿じゃないの?」

 突然低い声で返してきたミドリに、明らかに動揺する。

「死にたいって言ってれば、生きてる感じがするじゃん。馬鹿なんじゃないの?」

「な、何訳分からないこと言って!」

「あんたも『生きてる感じ』がすることすればいーじゃん、好きにしなよ」

「小娘が分かったこと言うんじゃねーよ! 死ね、死ね死ね死ね! 彼が見向きもしないの、何も知らねーくせに! 死ねよドブス、ドクソ、ドデブ、ドメンヘラが!」

「刺すなら早くしてー」

「彼に寄り着く虫を潰して殺してるだけなのに、私は正しいのに。何で偉そうなのこいつ、ゴミのくせにゴミのくせにゴミのくせに生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ生ゴミ」

「ならあんたも羽虫になればいーんじゃない。彼の前に出なよ」

「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい――――――はっ!」

 呪詛と寒気が一瞬で消える。同時に住宅地をかけていく足音がこだました。

 ミドリは溜息をついて、自宅前の坂からこだまするギコギコとした不快な音に耳を澄ます。

「おーい!」

「あ、オッサン」

 見ると遠くから自転車をひーひー言いながら漕いでくる大柄な男の姿が見える。

「はあ、はあ、三十超えると坂道はきついな」

「運動不足なんじゃないの? あと、そのぼろ自転車さいこーにかっこわるい」

「うっせーな、仕事終わりに晩飯もってきてやったんだぞ、ありがたく思えっての」

 丁度帰ってきてて良かったわと言いながら、オッサンはビニール袋をミドリに手渡す。

 中にはお昼の残りであろうカレーとご飯がタッパーに詰められていた。

「えー、もっとハンバーグとか天ぷらとか高級そうなやつが良い」

「文句言わねーの、それでなんだ、今のは早くもデート相手と痴話喧嘩か?」

「うーん、世の引きこもりのメンヘラはめんどくさいなーってだけ」

「お前じゃねーか」

「私は引きこもりで行動的なメンヘラだから、違うしー」

「なんだよその意味不明な引きこもりは」

「んじゃ、ま、今回もうまくいかなかった訳だな」

 にやにやしながらオッサンは顎の無精ひげをなぞる。

「別に、相手にするほどお金持ってなかったから、別にいいけど」

「おー、おー強がってら。相手がガキに興味なかっただけだろ」

「そんなことないですー、これでも高校生に間違われるんですー」

「はいはい、んじゃ、しっかり食って、勉学に励めよ、学生さん」

「うっさい、底辺社会人、べーっだ」

 オッサンはやれやれと言って、ミドリの頭を武骨な手で撫でて、自転車で坂を下って行った。

 手に持ったカレーは猫舌のミドリにも食べやすい温度だった。


 ■■■


「あー、死にたーい」

『昨日未明、S市内、I番街の路上にてひき逃げ事件が発生しました』

「死にたい、死にたい、死にたい」

『死亡が確認されたのは無職の吉田かおりさん二十四歳。容疑者はフリーター、赤城洋一さん、二十八歳』

「死にたい、死ねば、死ねれば、死んで詫びろ、死んでも尚、死死死ー」

『赤城洋一容疑者がレンタカーで走行中、突然目の前に吉田かおりさんが飛び出してきたとのことです。赤城容疑者の話では彼女との面識はないとのことですが、赤城容疑者の自宅からは様々な女性の記録が出てきており、警察は関連性があるとみて捜査しています』

「死んだら楽になれるかなー、死んだら楽しくなるのかなー、生きてるだけで無意味、無価値」

『また吉田かおりさんの自宅から赤城洋一氏の名前が刻まれた大量の腕時計や血の付いた刃物類が見つかっており、こちらも関係性を確認しております』

「今すぐ死のう、直ぐ死のう、悩むんだったらやるべきだ。さあ死のう」

「相変わらず、物騒な事件が多いなあ」

『吉田さんの自宅の壁にはただ一言、死にたい、と書かれていたようですが、これは遺書とみて良いのでしょうか』

「お風呂場で手首を切って、お湯につけて、はい終わりー、ぐああああああー」

『そうですね。現代社会の闇と言えるでしょう。貧困社会、人間関係、ストレス社会、その他様々なものが彼女を追い詰めたと考えられますね』

「ミドリちゃん、相変わらずその歌、やめないかね。物騒だし、不謹慎すぎるわ」

 相変わらずマスターと俺、そしてセーラー服姿のミドリちゃんしかいない店内ではワイドショーが流れ、ミドリちゃんがそれに合わせて適当に歌っている。

「えー、ここからいいとこなんだよー。二番は生と死のカタルシスと宇宙のエントロピーを表現した歌詞に入るとこなんだから」

「たまには学校に行かねえと、俺みたいにしがない店でアルバイトになっちまうぜ?」

 それこそ『死にたくなっちまう』だわと内心俺は毒づく。それでも死ぬ気はなくて、死にたいと言いながらも毎日のルーチンワークをこなすのだが。

「だいじょーぶ、いつか白馬の王子様が年収一千万以上を背負って現れるんだから!」

「おいおい、爺さんの孫娘、大分頭あったかいけど、俺、どう返してあげたらいい? そんな奴は世界に数%しかいねーよって言って、現実という名のハンマーで頭を叩き割ってやりたいわ」

 するとマスターは一度俺に向きなおって、今しがた淹れたばかりのコーヒーを差し出した。それの意味するところは――これも日々のルーチンワークって事ですかね。

「はあ……死にたい」

 独り言も虚しく、香ばしい匂いだけが唯一、俺を励ましてくれた。


                                      END

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