第三章 立ちはだかるもの

一、傷ついたプライド

 稽古帰り。

 俺は夜道をひとり歩いていた。

 俺は第三部の大人のクラスまで愛氣や亜美さんと一緒に稽古をしていた。

 結局、技を掛けるような稽古はさせてもらえなかった。

 俺は稽古が終わるまでひたすら受け身と『ナンバ』歩きを稽古した。

 このナンバ歩きってのは、体育祭の行進なんかで緊張すると手と足が同時に出ちゃうアレ。

 なんでも、これが武士の歩き方なんだそうだ。

 刀を脇に差して動くための歩き方で、合氣道の基本の足さばきってのになるんだって。

 へぇ~。

 ただのカッコ悪い歩き方かと思ってたけど実は凄く使える歩き方だったんだな。

「右手と右足、左手と左足っと……」

 俺は道場を出てからずっとこのナンバで歩いていた。

 意識してやるとこれが結構ムズいんだよな。

「右手、右足、左手、右足、あっ! ちげーよ。ここは左手、左足だっつーの。ったくもう」

 ダメじゃん!

 うわぁ~、も~なんかムカつくよ。

「なおとぉ~」

 後ろから掛けられた声に俺は振り向いた。

「愛氣?」

 街の歩道を息を弾ませて、走って来る愛氣。

 靴は黄色いラインが入ったスニーカー。

 藍色のデニムのショートパンツをはいて脚を出している。

 上着はシンプルな白いカットソー。

 頭にはストライプ模様の入った蒼いキャスケットを被っている。

 こんなカッコだと、やっぱり愛氣って少年にしか見えないよなぁ。

 ま、似合ってるからいいけど。

「更衣室に忘れたでしょ?」

 言いながら愛氣は俺に財布を見せた。

「あ」

 俺はズボンの後ろポケットに手を入れる。

「着替えた時に落としちゃったのか……」

「はい。じゃあ、渡したからね」

 愛氣は俺の手に財布を握らせると、振り返って歩いて行こうとした。

「あ、ちょっと――」

「なによ? あたし中身抜いたりなんかしてないからね」

「いや、そーゆーんじゃなくて……」

「――?」

 愛氣は不思議そうな顔で俺を見た。


「あたし、新しく出たキャラメルトリュフ味ね」

 俺は愛氣と夜の街を並んで歩いている。

「うん。いいよ」

「あ、でもマカダミアも美味しいんだぁ。直人は?」

「俺はハーゲンダッツなら抹茶」

「中々渋いところ行くわね。それならロイヤルミルクティー味の方があたしは好きだけどなぁ」

「だったら二つ買う?」

「ダメよ。そんなに食べたら太っちゃうじゃない」

 あんだけ稽古したあとなのに気になるんだ。

 そういうとこやっぱ女の子なんだな。

 俺はアイスのひとつでもおごらせてもらうことにした。

 財布を届けてくれたお礼とか、今まで世話になったのもあったし……。

 愛氣は最初は断った。

 が――。

 俺が母、美沙子から貰った無料引換券を出すと、おごらせてくれることに承知してくれた。

 美沙子の店は銀座の高級クラブ。

 株主とかのお客さんから、色んな券とかをかなりもらってくる。

 だから俺みたいな中学生でもこういう高級なアイスも食べられたりするんだ。

 それにしてもさ。

 女の子ってアイスとかケーキって聞くと目の色変わるのな。

 なんかもうキラキラしてるよ。

「あのコンビニでいいよね」

「うん。ゴチになりま~す」

 俺たちは、見えて来た通り沿いのコンビニに向かった。

「ちょっと待って」

「なに? やっぱ太るの気になってきた?」

「バカッ」

 愛氣が俺の足を踏みつけた。

「イテッ! 何も踏むことねぇ――」

「静かに。あれ……」

 俺は愛氣が促したコンビニの入り口を見た。

 コンビニの前の駐車場にたむろしている奴らが五人いる。

 チェーンのジャラジャラ付いた黒いジャケット。

 穴の空いたダメージ加工のブラックジーンズ。

 茶髪や金髪。

 擦りきれたホウキや針みたいな髪型。

 明らかに違反してる学ランを来ている奴ら。

 みんな入り口のそばの地面に座ってる。

 他のお客さんも出入りにくそうだ。

「亮……」

「え?」

 俺はコンビニの入り口をもう一度良く見た。

 ホントだ。

 見るとコンビニから亮だけでなくマサルやハジメも出てくるところだった。

 三人とも学ラン姿。

 亮の手にはコンビニのビニール袋が提げられている。

 そのまま、三人は座りこんでいる集団の側に近づいて行った。

 なにしてんだろ?

 ケンカでも売る気かな?

 俺と愛氣はいつの間にか足を止めていた。

 向こうは俺たちに気がついてないみたいだ。

 座っている集団も三人を下から睨みつけている。

 一触即発……。

 と、座っていたうちの一人が立ち上がった。

 細身で背が高い。

 一八〇センチ位だろうか。

 そいつが亮からビニール袋をひったくった。

 そして、中身を見ると不意に亮の腹を殴った。

「――!?」

 倒れそうになる亮を支える横のふたり。

「あ、愛氣」

 それを見た愛氣がコンビニのドアに向かった。

 俺も後を追う。

「おい。俺がたのんだのは唐揚げチキンのとんこつラーメン味だろが。なんでしょうゆ味しか入ってねぇんだよ!」

「すいません。売り切れみたいで」

「ったく使えねぇなぁ」

 近づくにつれ、あいつらの声も聞こえてきた。

「まあ、いいじゃん。ボクしょうゆ味好きだし」

 座ったままの、やけにガタイがイイ奴が唐揚げチキンの袋を持った。

「ありがとうございます。宍戸先輩」

「でも……」

 もう俺達はコンビニのドアまで来ていた。

「でも、ボクとんこつラーメン味食べたかったなぁ」

「え?」

 亮が、あの亮が明らかに動揺しているように見えた。

「食べたかったなぁ。楽しみにしてたのにぃ。どうしてくれんだよ!」

 その、宍戸先輩と呼ばれた奴が突然立ち上がった。

 デカい。

 身長は隣の細い奴よりは少し低いみたいだけど。

 幅が……。

 多分〇.一トンはある巨体だった。

 金髪に細い銀のフレームのメガネを掛けている。

 手には唐揚げチキンの袋を持ってムシャムシャと食べている。

 そして、食べ終わったその袋を捨て、その手で亮の両肩を掴むと……。

「――!?」

 なんとそのまま投げてしまった!

 確か柔道の技で体落としってやつだったと思う。

 転がる亮。

 横の二人はビビって動けないみたいだ。

「どうしてくれるんだよ。ボクの楽しみ!」

 なおも『宍戸先輩』は転がった亮を起き上がらせると、今度は外から足を掛けて倒した。

 大外刈り!

 テレビで柔道の大会を見る時、良く決まってる技だ。

 たむろしていた周りの奴らは止めるでも、加わるでもない。

 ただニヤニヤして見てるだけだ。

「ねえ、亮く~ん。なんで君はいっつもボクのゆ~ことをちゃんと聞いてくれないのかなぁ」

 無抵抗の亮の襟を掴み『宍戸先輩』がまた立ち上がらせた。

 そして今度はダラッと垂れ下がった右腕を担ぎに行こうとした。

 一本背負い?

 違う。

 関節が逆にきまっいてる。

 このままじゃ腕が……。

「言ったろ。君は負け犬なんだから。飼い主には忠実になれって」

やられる!

 いくらあいつでも黙って見てる訳には。

 俺は飛び出そうとした。

 その時――。

「な、に!?」

 『宍戸先輩』の両肩に小さな手が不意に“生えた”と思うと

 その巨漢が突然後ろに倒れた!

「愛氣……」

 『宍戸先輩』から自由になり地面にへたりこむ亮。

 周りの奴らも驚いて目を丸くしている。

「いい加減にしなさいよ。亮はあんたに何もしてないじゃない」

 愛氣がいつの間にか俺の隣から『宍戸先輩』の後ろに回り込んでいた。

 あの手……。

 あれは俺に道場で尻餅をつかせた技。

 確か『後ろ投げ』とか言ったっけ。

 その技であいつの両肩を撫でて倒したんだ。

「なに? もしかしてキミがやったの?」

 『宍戸先輩』は愛氣を見ると、ニヤニヤしながらゆっくりと立ち上がった。


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