第239話 失った物、残された者

—1—


9月5日(水)午後6時46分


 ゲーム終了まで残り14分。

 太郎と由貴が校舎の中を歩いていた頃、学校の中庭には奈緒と拓海の姿があった。


 緑豊かな中庭。

 雨粒が草木に当たる音の中に奈緒の苦しそうな声が僅かに交ざっている。


「んぐっ、おがあ、ざんっ」


「奈緒、あんたなんか、あんたなんか」


 中庭の中央に向かい合うように設置されたベンチ。

 その奥に建つ校舎の壁に首を絞められた奈緒がいた。つま先が地面についたり、離れたりを繰り返す。


 息が苦しくてもがいている奈緒だが、なぜか母の拓海に触れようとはしない。

 警察である奈緒は、泥棒の拓海に触れてさえしまえばこの苦しみから解放される。


 ドロケイの泥棒側のルール【2、警察に捕まり、連行されている最中に抵抗して逃走することを禁止する】に該当する可能性が高いからだ。ルールを破った場合は、強制的に脱落となる。

 そうなれば奈緒がこうやって苦しむことも無くなるのだ。


「どれだけ苦しい思いをしてあんたを生んだと思ってるの? それなのに私を捕まえやがって! この親不孝者がっ」


 奈緒の首を絞めている拓海の手に力が入る。

 歯を剥き出しにして物凄い形相で奈緒を睨む。


「だずげ、で」


 奈緒はそんな拓海に向けてよだれを垂らしながら助けを乞う。

 が、とうとう限界が近づいたのか徐々に体の力が抜けていく。


「あんたを捨ててればこんなことには……」


 拓海がそう呟き、首を絞めている手の力を抜いた。



 拓海は結婚後、国竹からの暴力に悩まされていた。

 結婚前は優しく、誠実だった国竹だが、結婚後に突如として豹変したのだ。


 職場で溜まった行き場の無いストレスを妻の拓海に向けることで発散していたのだ。

 しばらく、誰にも言えずに耐えていた拓海だったが、そんな生活が長く続くはずもない。


 家を飛び出して実家に帰ろう。そう考え始めた時だった。お腹の中に新しい命が宿っていると分かったのは。


 国竹に赤ちゃんが出来たと恐る恐る報告すると、その日から国竹は拓海に暴力を一切振るわなくなった。

 今までの暴力が嘘だったのかと思えるほど、がらりと人柄が変わった。その姿は以前の、結婚する前の国竹そのものだった。


 しかし、数年が経ち再び悲劇は繰り返される。


 国竹の標的が娘である奈緒に向いたのだ。

 かつて自分に向けられていた耐え難い行為が娘に向けられている。拓海は奈緒を助けたいと思ったが、国竹を止めることはできなかった。


 自分に標的が移ることが怖かったのだ。

 痛みを知っているからこそ助けることができなかった。

 ただ陰からジッと見ていることしかできなかった。


 娘の苦しむ声。体に残った痛々しい痣。

 それらを見る度に現実から目を背けたくなる。


 奈緒を置いてこの地獄から抜け出そうかと考えたこともあった。

 しかし、いざ家から出ようとすると、必ず奈緒の顔が頭をよぎり、拓海の足を家の中に引き留めさせた。

 1度や2度の話ではない。何度も何度もだ。


 奈緒が国竹から受ける理不尽な暴力に苦しんでいた時、拓海もまた同じように苦しんでいたのだ。


『あんたなんか産まなければよかった』


 体育館で拓海の口から出た言葉。

 それは、奈緒を生んでいなければ自分は今頃実家に帰り、選別ゲームにも巻き込まれず、落ち着いた生活を送っていたはずなのにという思いが込められていた。



「死にだぐないっ!」


 奈緒が最後の力を振り絞って拓海の腕を掴んだ。

 しかし、拓海は奈緒の首から手を離さない。

 その時だった。


 中庭に雨音を打ち消す銃声が3発鳴り響いた。


「奈緒、ごめんね」


 拓海が地面に向かって倒れて行きながらそう囁いた。

 雨音に掻き消されるほど小さな声だったが、その声は確かに奈緒の耳に届いた。


「お母さん……」


 少しして立ち尽くす奈緒の元に2人の少女が近づいてきた。


「凛花、小町ちゃん」


 前を歩く凛花の手には血が付いた斧が握られている。

 そんな凛花を見て奈緒は思った。何かがおかしい、と。


「凛花、待ってってば」


 ひたひたと早足で歩く凛花の後を小町が小走りで追いかける。


「うん」


 凛花は小町の呼び掛けにそう答えるだけで、足を止める様子はない。


「間に合ってよかった」


 言葉とは裏腹に冷たい口調で凛花が言った。

 奈緒の前に倒れている拓海に目を向けようともしない。


「凛花? どうしたの? なんか変————」


 次の瞬間、凛花に近づこうと歩みを進めた奈緒の首が宙を舞った。

 ほんの一瞬の出来事だった。


 奈緒の頭部が凛花の斧で切断されたのだ。


 さっきまで奈緒だったものが膝から崩れ落ちるようにして倒れる。

 拓海から流れ出ている血と奈緒の首から流れ出る血が中庭を赤く染めていく。

 これだけの量の血だ。雨で洗い流すことはできないだろう。


「りん、か? ひぃっ」


 振り返った凛花の顔を見て、小町が恐怖で腰を抜かした。

 すぐに反転して地面を4つの足で蹴り、逃げるようにこの場から去って行った。


「マジ重すぎなんだけど」


 そう言って凛花が斧を水溜まりに投げ捨てた。


「きっ、きっ、きっ、きっ、きっ、きゃは! あはっ、ははははは、奈緒も政府の人間に殺されるよりあたしに殺された方が100倍マシだったでしょ。この凛花ちゃんに感謝するんだなっ!」


 不気味な笑い声を上げた凛花が、奈緒の左腕に巻かれていた赤色のバンダナをほどいて自分の右腕に結んだ。


「これで奈緒はいつまでも永遠にあたしと一緒だよ。ずーっと、ずっと親友だからねっ……きゃは!」


 凛花が再び笑い声を上げると、ゲーム終了を知らせるサイレンが鳴り響いた。


『只今を持ちましてドロケイを終了致します。逃走者が5名いらっしゃいましたので、泥棒側の勝利になります。生き残った方々は7時30分までに1年1組の教室まで集まって下さい。次の選別ゲームについての説明を行います。遅れた方は脱落になりますのでご注意下さい』


 政府の織田による淡々とした説明が続き、全て言い終えると放送が切れた。


—2―


9月5日(水)午後7時2分


「はぁっ、はぁっ、ママ、パパ、お兄ちゃん。私はどうすればいいの? パパ、どこにいるの?」


 様子がおかしかった凛花の元から体育館の裏に逃げた小町は、心細そうに呟いた。


 警察チームだった麻紀と克也は、ゲームに負けたため脱落した。

 泥棒チームの中心人物だった太郎は、由貴の罠にはまってしまった。

 当然、小町はまだその事実を知らない。


「お兄ちゃん……」


 小町がポケットから1枚の手紙を取り出した。

 それは、克也が凛花に宛てたラブレターだった。


 1回目の救出作戦の時に「これを凛花に渡して欲しい。頼む」と克也から渡されたのだ。


 手紙は丁寧に折られていて中身は何が書いてあるのか分からない。

 兄が死んだ今だから思う。手紙という形に残してまで、一体凛花に何を伝えたかったのか。


 小町が寒さで震える手で手紙を開いていく。


「お兄ちゃんは最後までやっぱりお兄ちゃんだ」


 手紙には凛花のことを想う克也の気持ちがびっしりと書かれていた。

 その中には、昨日克也が小町に話していた内容も含まれていた。


『まだ中学生で歳は離れてるけど、どこか大人っぽい雰囲気があって、でも無邪気に笑う姿が子供っぽくて。高校に入って大勢の人を見てきたけど、凛花より魅力がある人はいなかった』


 周りの人に対していつも優しくて、これでもかと気配りができるカッコイイ自慢の兄。

 そんな大好きな兄が死んだ。


 気配りができて細かい変化にも敏感だった克也でも、妹の小町の気持ちには最後の最後まで気が付かなかった。

 いや、気が付いていたのかもしれない。気が付いていて何も言わずに普段通り接していたのかもしれない。それが克也なりの優しさだったのだろう。


「ふぅ」


 髪を結ぶために使っていた黒色のバンダナを外して涙を拭いた。

 雨のせいで濡れていたけど気にしない。


「許さない。私の大好きなお兄ちゃんに想われていたのにあんな酷いことをするなんて。まるで別人じゃん。これじゃあ、お兄ちゃんの想いが報われない」


 小町はそう言って、先程見た凛花のことを思い出して身震いした。あれは常軌を逸していた。親友の首を斬り落とすだなんて。考えられない。

 あいつは兄が想いを寄せた凛花ではない。別の知らない誰かだ。


「私があいつを葬る」


 小町は手に持っていた手紙をビリビリに破いて地面に投げ捨てた。

 全てを失った小町を突き動かすのは、凛花に対する嫉妬心と恨みだけだ。


 こうして7時間という長時間にわたる地獄のゲームが幕を閉じ、新たに罰の時間が始まろうとしていた。

 生存者5人による争いはまだ始まってもいない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る