第225話 体力が続く限り走れ!

—1―


9月5日(水)午後1時38分


 大きく半時計回りに山の中を歩いていた私と小町と太郎。

 あれから救出作戦の協力者を探していたのだが、予想通りなかなか味方が見つからなかった。


「やっぱり簡単には見つかりませんね。太郎さん、どうします?」


「そうだな。集会場の方に行ってみようか」


「えっ、でも集会場の周りは警察チームの人がいそうじゃない?」


 小町の言うように、山の中に比べて集会場の周りの方が危険だと無意識にそう思っている自分がいる。なぜか?


 家の陰や倉庫の陰など死角になる場所が多いから不安になるのだろうか。見えないところから急に襲われたら対処できないので出来る限り避けたい。


 家の中に隠れていればある程度の時間稼ぎは出来るだろう。

 しかし、逃げ道が無いという最大の問題点がある。玄関から忍び足で入って来られたら窓から逃げるしか選択肢はない。


 やはり、ドロケイというゲームは一筋縄ではいかないようだ。難しい。


 山の中から居住エリアに移動しようかと3人で話していると、十数メートル先に右手首に黒いバンダナを巻いた女性の姿が見えた。


「拓海さん!」


「凛花ちゃん、小町ちゃん、太郎さん。はぁ、よかった」


 奈緒の母、早坂拓海が私たちの顔を見てほっと安堵の溜息をついた。


「ずっと1人だったからなんだか心細くて」


「真登香さんと由貴さんを見てないですか?」


 太郎が拓海に訊いた。


「真登香さんと由貴さんですか? 見てないですね。集会場を出てからみんなと離れ離れになって、ずっと山の中を歩いていたんですけど。本当に不安で、不安で。だから会えてよかったです」


 おっとりとした性格の拓海は、運動が出来るようには見えない。

 奈緒の家に遊びに行った時も拓海と話す機会が何度かあったが、とてもマイペースだったことを覚えている。

 話す速度もゆっくりで優しい印象だ。


「そうですか。拓海さん、実は自分たちはこれから清と健三を助けに行こうと思ってるんですけど、一緒に来てもらうことって可能ですか? 人数が多い方が成功する確率が上がるので是非お願いしたいんですけど」


「分かりました。走るのはあまり得意じゃないですけど、私でよければいいですよ」


 拓海はあまり迷うことなく承諾した。また1人になるのが嫌だったのかもしれない。

 とはいえ、これで拓海を合わせて救出作戦に参加するメンバーが4人になった。逃走している泥棒の6人中4人が同じ目的のために行動することになる。


 3人よりは4人の方が成功確率が上がるはずだ。

 というのも、もし作戦中に捕まってしまったとしても、警察は泥棒を牢屋まで連行しなくてはならない。


 連行している間は、牢屋を防衛している人数が1人減る。

 何人防衛しているか分からないのでなんとも言えないが、防衛側の人数をそうやって削っていけばこちらにも勝ち目はある。と思う。


 それにしても私の母はどこで何をしているのだろうか。

 そろそろ警察チームも動いている頃だろうし、捕まらないか心配だ。


「ねぇ凛花」


 小町に腕をトントンと叩かれた。


「どうしたの小町ちゃん?」


「何か聞こえない? お父さんも何か聞こえるよ」


 小町に言われて耳を澄ませると、遠くでサイレンのような音が鳴っていた。

 おそらく居住エリアの方からだ。これが政府の織田が言っていた放送だろうか。

 すると、サイレンが止まり、織田の声が聞こえてきた。


『万丈目真登香さんが捕まりました。繰り返します。万丈目真登香さんが捕まりました。残る逃走者は5人です!』


「嘘でしょ」


 放送は、山の中にいても聞こえるボリュームだったので、山に隠れていても情報が得られないという心配は無くなった。

 だが、今はそれについてはどうでもいい。まさか母が捕まってしまうとは。

 ついさっき、捕まらないか心配していたところだったのに。


「太郎さん、早く作戦を実行しましょう。このままだとお母さんが」


「ちょっと凛花、落ち着きなさいよ。焦らなくてもこれで4人になった訳だし、助けに行くわよ。だよね、パパ?」


「ああ、由貴さんを探している時間はもう無い。みんなを助けに行こう」


 太郎がそう言い、再び山の中を反時計回りに歩き出した。

 私たちもその後をついて行く。


「救出するルートとしては、このまま山の中を反時計回りに進んで学校の裏まで回ります。1度離れた場所から体育館の様子を確認して、大丈夫そうだったらアタックしましょう」


「大丈夫そうだったらって何をもって大丈夫だと判断するんですか?」


 太郎の隣を歩いていた拓海が穏やかな声で太郎に訊いた。

 私も訊こうと思っていたのでちょうどよかった。


「すみません。言葉が足りませんでしたね。体育館を守っている人数の把握とどこの扉が開いているのかなど、目で見て得られる情報をしっかり確認した上でという意味です」



「そういうことですか。それは大事ですね」


 うんうんと拓海が頷いた。

 作戦の手筈を全員で共有し、あとは誰にも会わずに目的地の学校の裏まで回るだけ。

 そう、誰にも会わずに。警察チームの人とばったり会うなんてことは絶対にあってはならない。


 と、そんなことを考えていると、背後から数人の足音が聞こえてきた。次第にその足音が大きくなる。

 1人ではない。2人、いや3人か。


「逃げて!」


 私は、足音が聞こえた瞬間にそう叫んでいた。

 残る泥棒は由貴だけだ。つまり複数人の足音が聞こえた時点でおかしいのだ。


「くそっ、みんな、逃げ切ったら学校の裏の大木の下で合流しよう」


 私たちにしか聞こえない声で太郎がそう言うと、勢いよく斜面を下って行った。


 小町は、振り返って警察チームの人間を見ると、反射的に飛び出していた。そこら中に木や植物が生い茂っているので、その木を避けながら真っ直ぐ走っている。小町の運動神経なら捕まることは無いだろう。


 と、なると……。チラッと振り返ると、拓海がやや遅いながらも私の後をついてきていた。


 それと同時に拓海の背後に迫る警察チームの国竹、麻紀、奈緒の姿が見えた。

 このままでは拓海が捕まってしまう。そう思った瞬間、拓海の足がもつれて転倒し、斜面を転がり落ちていった。


「拓海さん!」


 私の呼び掛けに返事はなかった。

 下には太郎がいると思うが大丈夫だろうか。怪我をしていなければいいのだが。


 しかし、今は人の心配をしている余裕はない。


「待て、りんかー!」


「待てと言われて待つ人はいないでしょ」


 国竹の声を背中に受け、再び走り出した。

 国竹と麻紀、それから奈緒の3人は、転がり落ちていった拓海に目もくれず、私のことを追ってきていた。


 私の遥か先には小町の姿が見える。さすが、高校に入って毎日ソフトテニスに打ち込んでいるだけのことはある。

 私も読書ばかりしていないで運動もしておけばよかった。


「小町ちゃん! 私は上に行くね!」


「了解! 捕まるなよ!」


 2人まとめて捕まるよりは分かれた方がいいと思い、私は斜面を駆け上がった。

 斜面の上は居住エリアの外れ。建物は無く、開けていて身を隠す場所が無い。ここにいては格好の的になってしまうので、集会場の方へ向かうことにした。


 警察チームの3人が私についてくるなと心の中で祈りながら走る。

 少しして振り返ると、3人が斜面を登り終えたところだった。どうやら私の想いは届かなかったみたいだ。


 思い返せば、母が捕まり、警察に見つかり、私が追われたりと、散々私の願いが届かないことが分かったので、もう心の中で祈るのをやめようと思う。

 本当にことごとく私の祈りは届かなかった。


 昔からこうならなければいいなと思うことが大抵現実として起こっちゃうんだよなー。

 そういう体質なのだろうか。そんな体質を聞いたことはないけど、そうとでも思わないとやっていけない。


 なんとか一定の距離を保ったまま住宅があるエリアまで逃げることが出来た。

 建物や倉庫の陰を走り、なんとか3人の視界から消えるため、体力が続く限り足を動かす。

 しばらくすると、ようやく足音が聞こえなくなった。


「はぁっ、はぁっ、もうダメ。走れない」


 私は、自分の家の壁に体を預けた。

 風や汗で髪が乱れ、服の中も汗でべとべとだ。足ががくがくと震え、力が入らない。


 これだけ全力で走ったのは久しぶりだ。ひょっとしたら生まれて初めてかもしれない。

 座り込んで服の袖で汗を拭う。今すぐにでもシャワーを浴びたいが、当然そんなことはできない。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 喉がカラカラだ。何か飲み物を飲みたいけど、足が動くようになるまで、あとちょっとこのままでいよう。せめて呼吸が整うまでの間は。


 転んで斜面を転がり落ちていった拓海は無事だろうか?

 小町は、反時計回りに直進して行ったから1番早く大木の下に辿り着くはずだ。

 私も早く行かないと。私たち泥棒には時間が無いんだ。


 国竹と麻紀と奈緒は、諦めてくれただろうか?

 そうか。奈緒とも敵になっちゃったんだよね。

 こうやって座っていると色々なことを次から次へと考えてしまう。浮かんでは消えて、浮かんでは消えての繰り返しだ。


「はぁー」


 私が大きく息を吐いたのとほぼ同時に正面の物置の陰からガサゴソと音が聞こえてきた。

 音を立てないように地面に手を付き、力を振り絞って立ち上がる。そして、腰を低くしていつでも走れるように構えた。


 そのまま物置に視線を向けていると、次の瞬間、何かが飛び出してきた。

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