魔導士外交官と森のシェフ
綾川加桜
ある日の森の夜
第1話ある日の森の夜[1]
太古からの原生林が残るその森の夜に静寂はない。夜行性動物の動きに合わせて枝がしなり虫の声と葉がざわめく。時折、金属が擦れるような甲高い高音が林冠を抜け低音の唸るような響きが森を揺らす。夏の乾期がはじまる時期の新月の日。星空がよく映えるその日は、パアーンと響く人工的な音と何か大きなものが倒れたかのような地響きが森に鳴り響いた。そして、それに驚き目覚めた鳥の声が一斉にけたたましく鳴きだす。ただそれは少しの間のこと。そしていつもの森の夜に戻っていった。
その日のことは、よくあるできごとの一つ。
騒がしい森の音はもう聞こえない静かな草地の広場。町の明かりが遠くに見える。人の手入れが良く届いた庭には針状の葉をもつルイボスというマメ科の植物が植えられている。他にもバジルやケープカモミール、ミルラなどのその土地になじむハーブも何種類かが栽培されていた。そのそばには1軒のロッジハウス作りの山小屋。その外にいつもと違う客がいる。黒髪の黒スーツの男が数名と七色光をふわりとまとう黒い虎。共に静かに周りをじっと見据えていた。しかしその黒服の一人はやれやれといった顔で山小屋の窓をみる。グレースーツの初老の男が怒鳴り散らしている様子を見せるその窓からは、老人のがなり声が漏れ響いていた。
「もう1時間だ!わざわざ黄乃国まで来て会えないなんて事は無いだろうな!」
「加藤大臣。必ずお会いできますのでしばしおまちを」
「大体、こんな辺鄙な山奥の腐った飯屋で、利乃国の環境保護庁長官との会食とはどういうことだ!先方に失礼だろう!」
老人の甲高い声が響く奥を汚いものを見るように少女と思しき女は見やる。オリーブ色のフード付ケープを羽織るその女がドア付近のカウンター席に座る青年に近づき声をかけた。
「あの大臣、お前が連れて来た客だろう?そんな目立つ魔導士外交官の制服で関係ないは、ないんじゃないか?」
「い、いや、そうなんだが、。あっちは僕の担当じゃなくてね……」
「それに、カルロの彼女は和乃国の人間だから、言葉通じてる。失礼だ。料理を出してやる価値もない」
「いや、ごもっともで……しかしこっちも、重要任務が……」
いかにもすまなそうな顔で肩をすぼめながら長身の男はニコリとした。そして目の前で憤る栗色の髪の美人を鑑賞でもしているかのように見つめる。彼のそのとぼけた様子に腹が立ったのか長い髪を少し揺らし彼女はキリッとした目で睨み返した。
「アヤ!いいんだ。その人にはお世話になったんだ。こうなるのも承知さ」
男に噛みつきかけた様子を見かねてコックコートに身を包む金髪の青年がそう制す。大丈夫、というようにウィンクを流し、カウンター内で調理をつづける。まったく甘いと言わんばかりのため息をつきながらアヤと呼ばれた女は肩をふっと下ろした。
「――カルロさんと知り合いなんだな」
「まあ、同じ釜の飯友ってやつかな」
「では君もシェフ?大分若くみえるけど。未成年者なら保護しなきゃいけない時間だ」
「――成人はしている。ただの食通旅行者ってとこ」
「これはご婦人に失礼なことを申し訳ない。私は中原壮介。失礼ですがあなたのお名前をお伺いしたいのですが?」
「……杜山あや」
すこしムッとしたような顔で女は答える。
「ありがとうございます。こちらで何かあったらここに。これも縁ですから」
そういいながらナカハラは薄い小さなネームカードを渡す。ありがとう、とアヤは左手のチャコール色のフィンガーレスのグローブにそれを当てた。するとカードはスッとその中に消え完了を伝える緑の光がスッと走る。邦人の安全を守るのも僕ら外交官の仕事ですと彼はニッと満面の笑みを浮かべると、大変な仕事だね、と彼女は目を細めて笑顔を見せた。少し驚き意外といった顔でアヤから視線をナカハラが外せずにいた時だった。ギシッとドアの開く音がすると金髪と茶髪の2人の黒スーツ男に囲まれながら丸みを帯びた熊のような中年男性が入ってきた。腹のあたりが特に恰幅がいい。
「おや、騒がしいね」
んー??と口角を上げながら少し間をおいて男はナカハラの顔を覗き込んだ。
「君は確か和乃国の…ナカハラ!ソウスケ!大分前の訪問時は世話になった!君の魔法力は素晴らしかったよー。いやー奇遇だね!」
男はナカハラの肩をバシバシ叩きながら若者との再会を喜び上機嫌に見えた。
「お久しぶりです。ギャラガー環境保護庁長官」
右手を後ろに回し左手を胸に当てながら小屋に響くような大きめの声でそう言いつつ、ナカハラは静かになった奥をちらりと見やった。その視線の先を細い目で追いかけ見やりつつギャラガーはニヤリとしながら言葉を発する。
「はーん。君、また僕の秘書官をたらしこんだね。SPの奴らもどうりで急だったのに首尾がいいはずだ」
「ま、またって。たらしこんでは。たまたま、同じ店にいらしてこの店のお話しはさせていただきましたが…」
「ほう、たまたまね。どうせあのクソ財務ジジイだろ。まあ、いーけどね♪なんせ、もうカルロの料理をもう二度たべれないとおもってたから。この恩が上さ」
「ギャラガーさん!」
カルロと呼ばれていた青年が上機嫌のその男に駆け寄ってくる。
「やーやー、カルロ!急にいなくなってしまうんだもの!外交官の彼女についていくためにシェフをやめたって話じゃないか――!愛だね愛!君の家庭的な素朴さの中に洗練さを感じるあの味はネガティブをすべてを帳消しにしてくれる!」
わっはっはっは!とそのままカルロの肩を抱きながら奥に消えてゆく彼の大きな笑い声は、先ほどまでの張り詰めた空気を楽しくにぎやかで明るいものに変えていった。
それを見送りナカハラはホッと安心した顔を浮かべた。しかしそれも束の間、はっとしたようにドアの付近を見るとモリヤマ・アヤの姿はすでになかった。
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