四話

 目を覚ましたら、まるでチャーシューみたいに縛られた、プロレスラーみたいな体躯の、齢三十そこらのおっさんが天井から吊り下げられていた。


「……なにやってんだ?」

「吊られてる」

「いや、それは見れば分かる」

「餌に釣られて吊られてる」

「ああ、なんとなく言いたい事は分かった、そんなに面白くないからな、それ?」

「……」

「……」

「あれ、助けてくれないのか?」

「だって委員長だろ。お前を吊るしたの。だったら、なにもしないのが吉だろ」

「いやいやいや、助けろよ! 困ってる人がいるなら助けろよ!」

「男なら自分でどうにかしろ」

 と言ったものの、さすがに視界内でいい年こいたおっさんがぶらさがっているというのは、精神上よくないので、雨夜は普通に高坂をおろした。


「ふう、ありがとな。助かった」

「……お礼を言われても、困る」

「なんだ。お前まだお礼を言われるのが苦手なのか?」

「……」

「助けられたらお礼を言う。お礼を言われたら素直に受け取る。別におかしな話じゃないだろ」

「僕がお前をおろしたのは、僕の精神状態の安定のためであって、お前のためじゃない。僕のためだ。だから、お礼を言われる筋合いはない」

「めんどくさい生き方してるな、お前」

 高坂は自分の手首をさすりながら、呆れたように半目で睨んだ。


「それで、女子陣二人は?」

「今は風呂にはいってる。もう少しであがってくるんじゃねえか?」

「なるほど、だから釣られたのか」

「だから吊られてた。カメラがついているからって、携帯も没収されてしまったしよ。散々だ」

「ストライクゾーンは年上じゃなかったのか?」

「最近、年下もいける口だと分かった」

「お前が言うと犯罪の臭いしかしないな」

 ヘラヘラ笑いながら言う高坂をみて、雨夜は一回ため息をついてから。


「それで、僕はどうなってたんだ? 超能力者にぶちかましをした辺りから記憶が途切れてるんだけど」

「ああ、そう言えば記憶を遡ってるとか言ってたな。えっとな……」


 高坂は、雨夜の記憶が途切れている部分を話した。

 敵の超能力者の能力は『炎』であること。

 超能力者に腹を貫かれたこと。

 高坂が華麗に超能力者を追い払って、ピンチの雨夜を救ってみせたこと(かなり誇張)。

 その後、小坂井の能力で体の治療を受けて、彼女の欠陥能力の『不便』な部分で、記憶が遡ってしまったこと。


「なるほど、じゃあ高坂は僕の命の恩人って事か。ありがとう、助かった」

「そうそう、どんどん俺を褒めろ讃えろ賞賛しろ」

 調子にのる年上を冷たい目で見ながら、雨夜は話を続ける。


「僕になんか用でもあったのか?」

「用?」

「あのアパートには、僕しか住んでないはずだろ? ってことは僕に用があるってことだろ」

「ああ、そうだそうだ。用があったんだ、なんか色々ありすぎて忘れてたわ」

 高坂は快活に笑ってみせると。


「俺、あいつの事を知っていた」


 と、言った。


「……は?」

「いや、どっちかっつうと思いだした。の方が正しいか。最初見た時から、なんか引っかかってたんだけどな、ふとした拍子で思いだした。いやあ、髪の色っつうのは、人の印象をガラリと変えるな」

「なるほど、それで思いだした事を僕に伝えようとしにきたら」

「お前が襲われていた」


 雨夜は神妙な顔つきで頷く。

 これで高坂が現れた理由が判明した。

 その代わり、別の疑問が浮上する。


「あれ、今お前、髪の色が違うって言ったか?」

「言った」

「その言い方だとまるで……」


 欠陥能力者の中には、それになってから、髪色が変わった者もいる。

 例えば雨夜維月は黒髪から、色素が抜けた白髪混じりのような灰色の髪になったし。

 例えば小坂井せつなは、透き通るような青色に変わっている。

 高坂は『髪の色っつうのは、人の印象をガラリと変える』と言った。

 雨夜は高坂の目を見る。

 高坂は一度頷いてこう言った。


「俺は、彼女が欠陥能力者になる前を知っている」


 それは詰まる所。


「彼女が、欠陥能力者になった時を、知っている」

 と言う事だ。


***


「知っている。と、まるで全てを見透かしてるみたいな、堂々とした物言いの後でこんな事を言うのもなんだけど、俺と彼女に、接点と呼べるほどの接点はない」


 そんな前置きをしてから、高坂は語る。


「接点とよべるほどの接点はないけど、家は接してた。俺の家と、彼女の家族の家は道を挟んだお向かいにあった。

 交流自体は無かったから、顔を知ってるってだけなんだけどな。多分彼女は、俺の名前さえ知らないと思うぜ?

 彼女の家は四人家族だったと思う。彼女を含めた四人。絵に描いたような、幸せそうな家族でさ、俺もいつかあんな家族が欲しいなーとか、あんな可愛い娘が欲しいなーとか思いながら、一人寂しく夕飯を食べたりしたもんだ。

 おい、本気でひくなよ。別にいいだろ、しがない独り身男性の悲しい妄想だと思って聞き流してくれよ。

 昔の彼女は健全な黒髪だった。前髪も今と比べてそこまで長くなかった。

 そんな彼女の髪が青色になった日。つまり、世界中で欠陥能力者がこの世に現れた日。

 俺も例に漏れず、欠陥能力を手にいれて、例によって例の如く、暴走した。

 体中が唐突に爆発した。辺り一帯を巻き込みながら、爆発は続いて、止まった時には辺り一面は、焼け野原みたいになっていた。

 ぶっ壊した後、体内の酸素を絞るだけ絞り尽くされて酸素不足になった俺は、空気を欲して大口を開けて空気を吸っていた。

 向かいの家は爆発には巻き込まれていなかった。ちょうど俺の家と彼女の家が挟んでいる道が線になっていて、こっち側は焼け野原。あちら側は普通のままって感じだったな。

 いや、普通じゃなかったか。

 家の中には人が一人しかいなかった。

 泣きじゃくる女の子。髪の色が青色に変わった彼女。

 目を真っ赤にして、大粒の涙をボロボロ流しながら、服を抱きしめるあの子の姿が、あった。

 周りには上下が揃った服が二組ぐらい落ちていた。

 あの時はよく分からなかったが、今なら分かる。

 彼女は遡らせたんだ。記憶を、体の記憶を。

 大人から子供に、子供から赤ん坊に、赤ん坊から胎児に――産まれる前にまで。

 だから服だけが残った。全て消えてなくなって。

 残ったのは記憶という概念がない、物だけ。


 つまり彼女は――家族を殺している」


 最後まで言い切った高坂は、息を吐いた。

 暴走時の犯罪は、罪には問われない。

 彼らだって暴走したくて暴走した訳じゃあないんだから。

 欠陥能力者の暴走後、国はそう決定した。

 罪ではない。


 とはいえ、彼らの心には深く刻まれている。

 街中の誰もが、心にトラウマを抱えている。

 それは汐崎美咲だってそうだし、高坂鋼屋だってそうだし。

 当時なにも出来なかった雨夜維月だってそうだし、街の住人ではない小坂井せつなだってそうだ。

 そしてその逆で、相手側にも、何かしらの遺恨は残る。残ってしまう。


「なるほどな……」

 全て聞き終えた雨夜はしかし、特に驚く様子もなく、少し眉をひそめながら言った。

「でもそれって、今回の話になんか関係あるのか?」

 高坂はニヘラ、と乾いた笑みを浮かべる。


「いや、多分関係ないな」

「……関係ないのなら、そんな大仰に話すなよ」

「だから俺は、あいつを見たことがある。としか言ってないだろ」

「それはそうだけどさあ……」

 乾いた笑みを見せる高坂に、雨夜は落胆のため息をついて、がっくりと肩を落とした。

 高坂はハハハ、と笑ってから。


「それよりもさ、これからどうするんだ?」

 と、話を切り替えた。


「下に降りて、覗きでもするか?」

「しねえよ、吊るされたくないし」

「おいおい、思春期男子がそんな奥手でどうする」

「三十路のおっさんがそんな馬鹿でどうする」

「いやいや、お前は大事なことを見逃してるぞ」

「大事なこと?」

「確かに美咲ちゃんのは……まあ、見逃しても仕方ないぐらいしかないが、もう一人はかなりあったぞ」

「……かなり?」

「おう、あの青髪がのる程度には」

「マジか!?」


 なんて。

 男二人が中々下衆い話をしている最中だった。

 がくん――と。

 二人の体が横に揺れたのは。

 というか、建物全体が横に震えたのは。


「っとと……」

「なんだ地震か?」

「僕の家はあっさり崩れたけど、この家は頑丈だな」

「あのボロアパートを前提に考えたら、藁の家だって頑丈だよ」


 ぐらぐらと揺れる部屋の中で、二人はそんな会話をかわしながら、この揺れに不自然さを覚えていた。

 地震……というには少し違和感を覚える揺れ。

 地が震えている、というよりは、何か強い力で横殴りに叩かれたような、そんな揺れ。


「……」

「……」


 二人が不信感で、顔を見合わせたその直後に。

 床が火を噴いた。

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