四話
「まずは自己紹介しないとね。私は汐崎美咲。それと、私の隣にいる彼は雨夜維月。ここは彼の部屋で、きみが落ちてきた時、受け止めてくれたのも彼だよ」
部屋の端にどかしておいた丸テーブルを、部屋の真ん中に持っていく。
それを挟むようにして、雨夜と汐崎は件の女子と向かい合った。
汐崎が胸の前に手を当てて、そう説明すると、青髪の女子は少し眠たそうにまぶたを二回下ろしてから。
「せ」
と言って。
「せつな……は、
と言った。
口を大きく開かず、ボソボソと喋っているせいか、その声はか細く、あんまり聞こえない。
口下手というか話下手というか、会話というのがとことん苦手そうな口調だった。
「小坂井、せつなちゃんか。うん、かわいい名前だね」
「…………」
「せつなは漢字? それともひらがな?」
「…………」
「女の子の名前なんだから、多分ひらがなかな。漢字だとなんか殺伐とした感じだもんね」
「…………」
汐崎がどうにかコミュニケーションを取ろうとしているが、小坂井と名乗る女子は俯いたまま、答えようとしない。
笑顔のまま表情を固めた汐崎は、たらり、と冷や汗を流すと、少し乗りだしていた体を元に戻して、雨夜に耳打ちをする。
「なんていうか、昔の雨夜を思い出すぐらいの寡黙っぷりだね」
「僕は話さなかったんじゃない、話せなかったんだよ」
「そうだっけ。まあ似たようなものじゃない?」
「……?」
小坂井は首を傾げた。
まだ腹が空いているのか、ぐーーと、腹の虫が鳴りやむ気配はない。
さっき冷蔵庫の中身を食いたいだけ食って、食い散らかしていたというのに、まだ腹が減っているのか。と、雨夜は若干呆れたように、顔をしかめる。
「お腹、すいたの?」
汐崎が恐る恐る聞いてみると、小坂井は恥ずかしそうに頷いた。
どうやら寡黙になっていたのは、単にお腹が空いていたかららしい。
汐崎はくすりと笑うと、雨夜をちらりと見た。
アイコンタクト。
『何か食べる物用意してあげて』
多分、そう言いたいのだろう。
そう理解した雨夜はしかし、ぶっきらぼうな表情のまま、床に散らばった食べ物に目配りをする。
「そこら辺に食い散らしたのが落ちているだろ」
「ばっちいからダメ」
汐崎は笑顔で、両手でバツマークをつくる。
「ばっちいって……はいはい分かりました」
顔を少ししかめて、雨夜は嘆息する。
どうやら彼女には、三分ルールとかそういう概念はないらしい。三秒じゃないのは、単に雨夜が貧乏性なだけであり、特に深い理由はない。
渋々と言った感じに雨夜は立ち上がると、冷蔵庫の中から果物とか野菜と、生で食べられるやつを適当に取り出して、それを机の上に置いた。
「どうぞ、召し上がれ?」
皮肉混じりにそう言うも、小坂井はそれをまるで気にすることも無く、そもそも聞くまでもなく、机の上に置かれたそれを鷲掴みにすると、そのままガツガツと食い漁った。
まるで一週間ぐらい飲まず食わずで走り回ったかのような、そんながっつき具合に、雨夜と汐崎は不信感を覚えた。
「委員長」
「なに?」
「こいつに委員長は見覚えないのか?」
「ない……ね」
この街では、街の外を見張るような警備をしていない。
嫌われものが隠れるようにして住んでいる街とは言え、こんな、人里離れた山奥の更に奥に存在する小さな街だ。
そもそも地図にさえ載ってないような、こんな山奥の小さな街にやってくる人なんて、皆無に近いからだ。
とはいえ、この街の噂を聞いてか、同じ欠陥能力者がこの街を訪れることも、なくはない。
彼女もそういった類の人間なのだろうか。
「お前さ、この街の住人か?」
頭の中で迷っていても仕方ないし、雨夜は小坂井に単刀直入に聞いてみた。
果たして小坂井はセロリをポリポリ食べながら、首を横に振った。
「違うのか。じゃあどうしてこの街にいるんだ? 髪の色からして、同族だとは思うんだけども」
雨夜のそんな質問に対して、小坂井はボソボソと小さな声で答えた。
「せ、せつなは……逃げてきた」
「に、逃げてきたぁ?」
「逃げていて、そうしたら足を滑らせて……」
「ああ、なるほど。だから空から落ちてきたのな」
いやいやそうじゃなくて。
逃げてきたって。
誰から、何から、なんでどうして?
雨夜は少し訝しみながらも、視線を下げる。
小坂井が着込んでいる服は、これなら雑巾を着込んだほうが見栄えが良さそうなぐらいボロボロで、その喋りながらも、食べる事は忘れない食いっぷりは確かに、何かに巻き込まれたというのを雄弁に語っているようにも思える。
思えなくもない。
逃げていることを前提に推測してみたら、の話だけど。
「あ、あの小坂井さん。逃げてきたっていうのは、どういう事?」
汐崎も気になったのか、それを聞いてきた。
彼女の事は名前以外、能力も何も知らない雨夜と汐崎だったけど、かと言って、このまま何も無かったことにするには、少し話を聞きすぎてしまった。
逃げてきた。そんな話を聞いて無視できるほど、二人の性格は悪くない。
「多分……だけど」
小坂井はちょっと喉が乾いたような声で、食べることを止めずに答えた。
「超能力者」
「は?」
「超能力者って名乗ってたから……間違いない」
唖然とする雨夜に突きつけるように、小坂井はもう一度その名を言った。
超能力者。
え、ちょっと待て。超能力者?
それってテレビとかで笑い者にされている、あれとかの、事だよな……?
「知らないの……?」
雨夜のその困惑した表情が、よほど不思議だったようで、小坂井は困惑した表情を浮かべて、首をくてん、とかしげた。
長い青色の髪がさらりと、かしげた方に動く。
「テレビとか、見ないの……?」
「いや、外のテレビとかは映らないけど、それでも一応見るには見る、けど。超能力者ぁ?」
雨夜が訝しむように言うと、小坂井は小さく頷く。
「うん……正義の味方。欠陥能力とは違う、代償も必要ない、好かれた異能」
「へー」
「信じてない……?」
「信じてる信じてる、うわーすごいなー超能力者かー」
「バカにしてる……」
「いやだって、超能力者ってなんだよ。マジシャンに追われて逃げ惑っているのかお前は」
「マジシャンじゃない、超能力者……才能によって開花する天性の能力」
頭ごなしに否定されたのがよほど不服だったのか、小坂井はむすっと頬を膨らませて、ふてくされながら文句を言ってくる。
けど実際、いきなり『超能力者に追われて逃げてきた』なんて聞かされて、それを信用する人なんている訳が……。
「へえ、それは大変だったね。超能力者っていうのは、私たちとは別の能力者という認識でいいのかな、それとも、外にいる欠陥能力者がそう名乗っているのかな?」
……いた。
人を疑うことを知らない──というよりは人を信じることを知っている委員長、汐崎美咲がいた。
雨夜は呆れ半分な目で汐崎を睨む。
「委員長、そんなにあっさり受け入れるなよ」
「同じ異能力なんだし、欠陥能力者があるんだから、超能力があってもおかしくないでしょ」
「いや、そりゃーそうだろうけどさ、そうなんだろうけどさ」
雨夜は小坂井の方を、ちらりと見る。
確かに嘘をついているようには見えないけれど、だからと言ってそんなにあっさりと鵜呑みにしていいのだろうか。
「まあ、仮に超能力者なんてものがいるとして、だ。というか、そもそも、超能力っていうのは何だ? 僕らと同じ異能持ちってことか?」
「本人が聞いたら、否定しそうだけど……そう」
小声でボソボソと、しどろもどろに話す小坂井の話を纏めると、つまり、こういう事らしかった。
超能力者はつい最近、その存在を世間に露出しだした。
曰く、才能の能力らしい。
曰く、肉体強化能力を基本装備しているらしい。
曰く、暴走することなく、その異能力を完璧に操れるらしい。
それだけを聞けば、暴走しないだけで、欠陥能力者と同じ末路を辿るんじゃないかと思ったのだが、しかし彼らはとことん社会に迎合する事を選択したらしい。
つまり、正義のヒーローになったのである。
悪事を働くものを滅し、困っている人を救う。
そう言った行動を最初期から続けたお陰か、彼らは欠陥能力者と違い、社会に受け入れられ、尚且つ、どうやら、畏敬の対象となっているらしい。
「ふうん、悪魔みたいに恐れられて、嫌われている僕らとは正しく対称の存在なんだな」
「……そう」
雨夜がそう総括するように言うと、小坂井はなぜか申し訳なさそうに呟いた。
どうもこうも、否定的というか、消極的な女の子である。
「まあ、超能力者っていうのが、欠陥能力と違って、人に好かれている異能力だということは分かった、理解できた」
それで、と雨夜は一旦区切ってから続ける。
「そんな奴に、お前が狙われている理由はなんだ?」
「分からない……」
「分からないって」
なんだか信憑性が薄れてきた。
いや、元々信憑性なんて皆無だったけど、嘘をつくにしても、もっと話を練ってからすべきだろうに。
嘘をついていない人の特徴は『分からない』としっかり言うことらしいが、だからと言って、人を無条件で信じる汐崎じゃああるまいし、これを信用しろ。という方が無茶だ。
何もかも虚言妄想の方が、まだ現実味がある。
「ホントに分からないのか?」
「うん……」
小坂井は自信なさそうに、少し弱気のまま頷いた。
なんだか、信用しづらい。信頼しづらい。
怪しさ満点の女子だ。
けど。
彼女が空から落ちてきた。それだけは事実だ。
たかだか『超能力者に追われている』という妄言を吐くためだけに、そこまでするだろうか。
雨夜には小坂井と名乗る彼女の事情はさっぱり分からない。
どうしてそんな嘘をつくのかも分からないし、もし仮に本当だとしても、どうして追われているのかも分からない。
けれど、空から落ちるという、雨夜がちょうどその場を歩いていなければ、アスファルトの地面に体を叩きつけていたという現実だけは、さすがの彼にでも理解できた。
確かに、彼女は何かを抱えている。
汐崎の方も同じ結論に至ったのか──いや、彼女の場合は超能力者の話を鵜呑みにしているだろうから、理解はしているのか。
彼女がなんらかの事に巻き込まれていて、たった今逃げている最中だった。という結論に至ったようで、雨夜と汐崎は目が合うと神妙に頷いた。
まあ、一言でいうなら。
厄介事に巻き込まれてしまった。
と、言うことだろう。
「まあ、彼女の所在については明日調べようか。今日はちょうど金曜日で、明日は休みだし」
汐崎は息をはきながら、そう言った。
「それには賛成だけど……じゃあこいつ、今日の夜はどうする。委員長の部屋に泊めるか?」
「ダメだよ雨夜。狙われている人をそうも簡単に外に出そうとしちゃあ」
「そりゃあそうか。もし仮に。本当だったら、だけどな」
「用心に用心を重ねて損はないと思うよ」
「……えと、ちょっと待って委員長。ということは、あれか? 今日まさか」
「そう、そのまさか」
苦笑いを浮かべる雨夜に、汐崎は少し申し訳なさそうに、控えめに笑いながら言う。
「小坂井さんを泊めてあげて?」
***
「ねえ、雨夜」
「なんだ委員長」
「押し入れの中に布団が一つしかないけど、来客用とか予備用の布団とかないの?」
「ないよ、必要になるとは思ってもみなかったからな」
「そっか」
「つーか委員長、
「いいじゃない、きみと私の仲でしょ?」
「……前々から思ってたけどさ、委員長って僕に対しては、結構遠慮なしというか傍若無人だよな」
「あれ、気付かなかった? ともあれ、布団が一つしかないのなら、三人で分けあうしかないね」
「僕は掛け布団がいい」
「了解。小坂井さんはどれがいい? 毛布か敷布団かの二つに一つなんだけど」
「……え?」
さくさくと進んでいく、自分を取り囲むその状況の変化に乗り遅れて、ポカーンと口を半開きにして呆然としていた小坂井が、やっと声をあげた。
「た、助けて……くれるの……?」
「超能力者とかそういう譫言は信じてないけどな」
雨夜は汐崎から掛け布団を受け取りながら言う。
「けど、困っているっていうのは、嘘じゃなさそうだから、それに、委員長が助けるべきだって言うから、助ける」
「恥ずかしいからって私に責任を押し付けないでよ、雨夜」
「おしつけてねーよ」
「本当は可愛い子だから助けて、その恩につけこもうとか考えてるんでしょ? あーやだやだ。雨夜も一応は男の子なんだー」
からかうように言う汐崎。
割かし珍しいテンションだった。
「……けだもの」
小坂井が半目で雨夜を睨みながら三歩ほどさがっていった。
なんだろう、よく分からないうちに、スゴく嫌われているような気がする。
雨夜はため息をついて。
「あー分かった分かった。それで良いよ弁明するのも面倒くさい。僕はかわいいかわいい小坂井に一目惚れしたから、助けてやろうと思いました。それでいいですか、得心しましたか?」
「納得……」
「しちゃうんだ」
どうやらこの青色前髪、自分の容姿には少し自信があるようだった。
まあ確かに長い前髪のせいで殆ど見えないけど、可愛らしい顔つきをしているとは思う。
前髪で殆ど見えないけど。
ちょっとだけごきげんになった小坂井は、汐崎から毛布を受け取ると、ちょうど雨夜がいる四隅から対角の反対側に移動すると、こてんと、カーペットもなにも敷いてない床に転がった。
暫くするとすーすー、と静かな寝息が聞こえてきた。
長い前髪が寝息で揺れる。その様子を見る限り、寝てしまったようだ。
「疲れてたみたいだね」
汐崎は小坂井が持っていた毛布を、体を丸めて眠っている小坂井の体に優しくかけた。
小坂井は少しくすぐったかったのか、体をもぞもぞ動かしたものの、目を覚ますことなく、またすーすー寝息をたて始めた。
「腹一杯になって眠かっただけだろ」
なんせ冷蔵庫の中にあった食べ物をほぼ全部食い散らかしたのだから。雨夜は怨敵を見るような目で、すやすや寝ている小坂井を睨みつける。
「まったく、無粋だね雨夜は。少しは心配してあげてもいいのに」
「心配するのもアホらしいぐらい、こいつに緊張感がないからな」
命を狙われていて逃げ惑っている割りには、起きてからまず取った行動が『お腹空いた、冷蔵庫の中を漁る』なのだから、真摯になりづらい相手なのは確かだ。
「それよりも委員長。なんかゴメンな。めんどうな事に巻き込んだ挙句、こいつの世話まで手伝ってもらって」
「ううん、気にしなくていいよ。私が勝手に首をつっこんだだけだから」
言って、破顔する汐崎。
うん、やっぱりいい人だな委員長は。と、雨夜は口元を緩めた。
「困ったときはお互い様っていうしね。それでも、雨夜の良心が痛むというのなら……うん、そうだ。今度ケーキをおごってよ」
「委員長がそれでいいのなら、別に構わないけど」
「ワンホール」
「太るぞ」
「冗談冗談。じゃあ、モンブラン三つで手をうとうじゃないか。これで恨みっこなし」
「分かった。うまい店を探してお──」
おく。
と、言いたかったのだろう。
しかしそれよりも先に、雨夜の体は床に伏せた。
眠ってしまったのだろうか。
いや、それにしてはあまりにも不自然な倒れ方だ。まるで、操り人形の糸がぷつん、と切れてしまったようだった。
ガラケーをパタンと畳むかのように、腰を折って頭から床に落ちた。
ごちん、とイヤな音がしたが、それでも雨夜は起きることなくズルズル……と足を滑らせて床の上に伏せた。
汐崎はそんな彼を見下ろしながら優しく微笑むと、かけ布団を彼にかけた。
「お休み、雨夜」
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