第50話 助っ人参上
風に吹かれる高い鉄塔の上。
空を飛んできた上級悪霊の少女はそこに降り立って、静かに地上を見下ろしていた。
その涼やかな少女の視線の先には巫女達と中級悪霊の戦っている寂れた遊園地がある。
遠くから戦いの模様を感じ取って、上級悪霊の少女はその上品な顔に僅かに微笑みを浮かべた。
「この町の悪霊はよく頑張っているようですね。わたしが手を出す必要は無さそうです」
少女は風でなびく白い髪を手で抑え、白い翼をはためかせながら、遊園地の周囲の光景へと目をやった。
人で賑わう繁華街からは遠く離れたその場所には、静かな田園風景が広がっている。少女は優しく微笑んだ。
「さすがは人気のスポット。この町なら王様も気に入ってくれそうです。スケッチしていきますか」
そして、少女はポケットから小さなノートとペンを取り出し、さらさらとペンを走らせ始めた。
その姿だけを見れば、ただ綺麗でおしとやかな少女が絵を楽しんでいるだけのようにしか見えなかっただろう。
だが、彼女は上級悪霊だ。その不穏な空気を感じさせず、少女はただ高い鉄塔の上から町の観察を続けていった。
有栖の体を掴んだムササビンガーの凶暴な手が地面に振り下ろされようとする。その寸前だった。
「爆撃札!!」
突如投げ放たれてきた数枚のお札がムササビンガーの顔の周囲で起爆した。
「むぎゃ!」
吹き上がる爆炎からムササギンガーは慌てて防御しようとして手を緩めた。その瞬間を有栖は見逃さなかった。
素早くムササビンガーの手を蹴って抜け出し、地面へと降り立った。
「有栖ちゃん! 大丈夫!?」
「芽亜さん!」
そこに駆け付けてきたのは芽亜だった。一緒にジーネスも来ていた。
「有栖! 大丈夫か!?」
「ネッチーまで! どうして!?」
話をしている暇は無かった。爆風を払いのけ、ムササビンガーの邪悪な瞳が有栖と新しい乱入者達を睨んできた。
「なんなんだよ、お前達は! 僕の楽しみを邪魔するなよな!」
「有栖ちゃん! こいつって……」
「中級悪霊です!」
「中級悪霊!」
その凄まじい霊気を芽亜も感じ取っているようだった。その顔とお札を構える手に緊張が走っていた。
「有栖ちゃんはこんな敵と戦って……」
「一緒に戦ってくれますか?」
「もちろんよ!」
「お前は呼んでねえんだよ!」
ムササビンガーの大きな手が振り下ろされてくる。その手が辿りつく前に芽亜はお札を投げていた。
「雷撃札!」
芽亜が印を切るとともに、ムササビンガーの周囲を舞ったお札が一斉に雷撃を発射した。
その痺れる攻撃にムササビンガーはたまらず仰け反った。
「ぐあああ! 何なんだよこれ! うっとうしい!」
「さすがは芽亜!」
「でも、おいしいところを持っていかせるわけにはいかないわね!」
その隙に跳びかかる舞火と天子の箒がムササビンガーを急襲する。その動きを見逃すムササビンガーでは無かった。
「良い気になるんじゃねえぞ!」
両手から黒く染まる光の糸を発射する。それぞれの箒と打ち合い、舞火と天子は深追いすることを避けて、有栖の近くへと降り立った。
そちらに構わず、ムササビンガーはすぐにもう一人を探した。
「てめえらがザコなのは変わらねえんだ。もう一匹いたよな!? 黄色い奴!」
「ここです!」
頭上から振り下ろされる黄金の一閃をムササビンガーは後方へ下がって回避した。
闇を残すような残像のある動きに、エイミーの箒は空振りした。
「何なんですか! この動き!」
「お前も危ない奴だな! 消し飛べ!」
足元に降り立った金髪の巫女を、ムササビンガーの大きな足が蹴り飛ばそうとする。だが、その前にエイミーは素早くその場を跳び離れていた。
「ミーも先輩達に倣うです!」
そして、有栖の傍に降り立った。
「巫女さん大集合です!」
「ここからが勝負です!」
有栖と芽亜が同時に投げるお札をムササビンガーは息で吹き飛ばす。
「何が勝負だ。僕を祝福する儀式だって言ってるだろ!」
舞火と天子の振る箒を悪霊は大きくジャンプして回避した。ムササビンガーはそこで両腕と翼を広げて静止した。空から巫女達を見下ろしてくる。
「お前ら、あんまり僕をいらつかせるなよな」
有栖は冷静に相手を分析する。
「ムササビンガーの中には囚われた多くの下級悪霊達がいます。まずは彼らを祓いましょう」
「分かったわ」
「了解」
「僕をいらつかせるなって言ってるんだよ!!」
ムササビンガーが滑空して向かってくる。その凄まじい突進を巫女達は何とか回避する。
闇の霊気と風と爪に大地が抉られ、瓦礫が砕かれて散らされていく。
ムササビンガーは再び宙に舞い上がって、攻撃の体勢に移行した。
風に阻まれ、闇の霊気に抑え込まれ、有栖や芽亜の投げるお札も、舞火や天子達の箒も敵に届かなかった。
「何よあいつ。近づいて来なくなったじゃない!」
「こちらを警戒するようになったんです」
「ほんと嫌らしい奴ね」
「何か手があるはずです!」
「お前らの手はもうお見通しなんだよ!」
ムササビンガーが空から風を放ち、地上から視界を奪って隙を作って突進していく。避けて攻撃しようとする頃には再びその姿は空にあった。
「ヒット&ウェイ。ゲームなら有効な手ですが……」
「敵を褒めてる場合じゃ無いでしょ!」
エイミーの軽口に天子が注意を飛ばす。有栖がさらに注意を飛ばした。
「あれに気を付けてください!」
「あれ?」
「おわっと!」
空から凄まじい速さで振り下ろされてきた黒く光る糸を天子とエイミーは何とか回避した。
「ありがとうございます、有栖」
「ありがとう」
「いえ」
「あいつに隙を作るにはどうすればいいの?」
「僕にもう隙は無いぞ!」
ムササビンガーが空でその巨大な腕を振る。竜巻が起こり、有栖達に襲い掛かっていった。
戦局の不利を見て、戦いを見守っていたジーネスも気が気では無くなっていた。
「何か……何かあいつらの助けになれるような武器は無いのか!?」
必死で周囲に目を走らせて、何か煌めく物が瓦礫の隙間に転がっているのを見つけた。
ジーネスはすぐにそれに走り寄って掴んだ。それは黄金に煌めく錫杖だった。
何だか知らないが、とても霊験あらたかそうで強そうに思えた。
ジーネスはそれを持ち上げて、有栖に向かって叫んだ。
「有栖! これは何かに使えないか!?」
「え!?」
「それって……!」
その黄金の錫杖をみんなが知っていた。前回の戦いで有栖が蹴ってどこかに行っていた巫女を退散させる錫杖だ。
前回それを予期せず使ってしまったエイミーが叫んだ。
「ネッチー! それを持って巫女退散と言っては駄目です!」
「え? 巫女退散?」
その時、不思議なことが
『起こらなくていいわよ!!』
巫女達は一斉にその射線上から跳び退いた。
予期せぬ動きに再び突進に入っていたムササビンガーの注意はそらされ、次の瞬間には黄金の閃光が顔面に叩き付けられていた。
「ぐわあああ! 何だこの光は!」
巫女を退散させる光は悪霊には効果が無かったが、ムササビンガーの不意を打って混乱させる効果はあった。
ムササビンガーは反射的に手で顔を覆ってしまい、突進の勢いのままに地面に墜落していった。
その隙を見逃す巫女達では無かった。
「ナイス! ネッチー!」
「今よ!」
一斉にムササビンガーに襲い掛かる。ムササビンガーはすぐに立ち上がって近くの瓦礫を無我夢中で投げつけた。
「雷撃札!」
「くっそ! うっとうしいな、お前!」
芽亜の投げたお札がムササビンガーを痺れさせる。その隙に投げられた瓦礫を回避した舞火と天子の箒がムササビンガーの腹を強く叩いた。
「悪霊退散!」
「あんたはもういい加減に退散しときなさいよ!」
「ふざけんなよ! ザコどもが!」
ムササビンガーの両手から黒く光る糸が発射される。それはすぐに回避した二人のいた地面を抉っていった。
「すばしっこい奴らめ!」
「次はミーの番です!」
「あ? ぎゃはああああ!」
地面に目が向いた隙を狙ってエイミーが跳んでいた。その黄金の一閃がムササビンガーの頭部を再び強く打ち叩いていった。
「ぐうっ! また僕の頭を叩きやがったな!」
見ることもせず伸ばされる腕をエイミーは回避する。ムササビンガーの体勢が崩れた。
「有栖、今です!」
「悪霊退散!!」
狙い違わず、有栖の投げたお札がムササビンガーの腹に貼りついた。その霊力に干渉する力にムササビンガーは悲鳴を上げた。
「ぐわあああ! 何だこれは! 僕の! 王の力が! 抜けて」
「みんなの力です! みんなを解放してもらいます!」
「げひゃあああ!」
有栖は精神を集中して、お札に送る霊力を強める。
それはムササビンガーの体を伝わって、その中で爆発を続ける悪霊達を鎮めていった。
ムササビンガーの体から霊達が昇っていく。
解放されたみんなは優しい微笑みを見せて、天へと昇っていった。
「巫女達よ、ありがとう」
「兄ちゃんが待ってる……」
その中には安らかな顔を見せるカマイタチの兄弟の姿もあった。
「どうかお元気で」
有栖は成仏していく下級悪霊達を見送って、地上へと意識を戻した。
まだ祓わなければならない最悪の敵が残っている。
「お前ら、よくも僕が王になる計画を邪魔したな! よくもよくもよくも、よくもお! 邪魔したなあああ!」
ムササビンガーが血走った目をして叫ぶ。有栖は冷静に相手の姿を見据えた。
「中級悪霊ムササビンガーを祓います。皆さん、力を貸してください!」
『もちろん!』
有栖の言葉にみんなが答える。ムササビンガーが吠えて、跳躍した。
「お前ら、もう勝った気でいるんじゃねえよ!!」
滑空して突撃する攻撃を繰り出してくる。巫女達も臆せず迎え撃つ。
両者が激突しようとする瞬間だった。
突如、純白のまばゆい光線が両者の間を迸った。白い光が地面に着弾して爆発を上げる。
宙にいたムササビンガーは後ろに吹っ飛び、有栖達は何とか防御して耐え抜いた。
直撃ではない。ただ爆風が来ただけだ。それでもかなりの威力だった。直撃していたらどうなっていたかなど考えたくも無かった。
白い翼が戦場に降り立つ。その翼を背に広げた少女から軽やかな声が掛けられた。
「見ていようと思ったんですけどね。苦戦しているようなので助けに来ました」
その戦場にはあまりにも場違いな透き通った声。上品で美しい少女の姿に誰もが言葉を失ってしまった。
「何あれ? 天使なの?」
「いえ、あれは……」
その天子の疑問に答える言葉を有栖は持っていた。計らなくても相手の持つ強大で底知れない力を理解できてしまった。
有栖はお祓い棒を握る手を震わせて、その答えを口にした。
「上級悪霊です」
「上級……!」
誰もが言葉を失う光景を前にして、白い髪と翼の少女はただにこやかに礼儀正しく挨拶してきた。
「はい、初めまして。わたしが上級悪霊のドナルダです」
胸に手を当てて微笑む少女。その背には天使のような白い翼がある。
上級悪霊が現れた。
さらなる大きな戦いの予感に誰もが動けないでいた。
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