第36話 さようならの少女

 父を迎える大仕事を終えても、有栖の日常は続いていく。

 平日の今日は学校に行く日だ。

 朝起きて学校に行く準備をして、エイミーと一緒にテーブルについて朝ご飯を食べる。

 それが今の有栖の日常だった。

 父が出ていったばかりの頃は不安になったものだが、今ではこっちの生活の方が日常に感じるのだから、慣れとは不思議な物だと思う。

 それは一緒にいてくれる仲間や家にいるエイミーのおかげかもしれないが。

 朝食の席で美味しそうに味噌汁をすすっている金髪の少女を見て有栖は訊ねた。


「エイミーさんは学校に行かなくて大丈夫なんですか?」

「ミーは通信教育を受けているので大丈夫です」


 何ともハイテクな答えが返ってきた。彼女らしい返事だ。

 ともあれ、エイミーが大丈夫と笑顔で言っていることで、有栖が気を揉んでもしょうがない。


「じゃあ、行ってくるから。留守番お願いね」

「行ってらっしゃいです、有栖」


 神社の留守はエイミーに任せて、有栖は学校に行くことにした。




 学校ではいつもの授業が続いていく。

 町に悪霊が増えようが巫女の仕事も増えようが、世間は平和だ。

 退屈な授業を暇だと思うこともあるが、こういう生活は大事なのかもしれない。

 少し前まで慌ただしかったので、なおさらそう思うのかもしれない。


「てんてこまいだったしね」


 天子の言っていたことを思い出して思わず笑ってしまいそうになる。

 学校から帰れば今日もまた巫女の仕事がある。今はこの平和で落ち着きのある生活を満喫することにしよう。


「じゃあ、ここを。伏木乃、読んでくれるか?」

「はい」


 先生に当てられて、当てられた場所を読む。

 黒板に書かれたことをノートに書いていく。

 有栖は控えめながら普通の学生をやっていた。




 何事もなく授業は終わり、休み時間になった。

 芽亜が機嫌の良さそうな人畜無害そうな顔をしてポスターを持ってやってきた。


「有栖ちゃん、今度は悪霊王に注意を呼びかけるポスターを作ってみたの。見てみてくれる?」

「はい」


 芽亜は優しい温厚な性格だ。有栖は安心してそれを見せてもらった。

 ポスターには大きなコウモリとそれに立ち向かう人々のイラストが描かれていた。

 そして、『打倒ジーネス、悪霊王をみんなで撲滅しよう』と文字が書かれていた。


「撲……滅……?」


 慣れない漢字に、有栖は目を見開きながら呟いてしまう。芽亜は可愛く小首を傾げた。


「難しかったかな? 完全に完膚なきまでに滅ぼそうって意味なんだけど」

「いえ、意味は分かるんですけど……」


 何だか優しい芽亜には似合わない言葉だなと思ったのだった。

 その反応をどう受け取ったのか芽亜は頷いた。


「分かった。じゃあ、横に分かりやすく抹殺って書いておくね」

「抹殺!?」


 殺すなんて今度こそ物騒な言葉だなと思ったが、相手が悪霊王ならそれぐらいでいいのかもしれない。

 悪霊王は下級とは比べ物にならないほど物騒な存在なのだから。

 芽亜のやることなんだし、彼女の好きにするのが一番いいと有栖は思った。

 思ったので正直にそれを伝えた。


「いいと思います」


 迷いは何も無いはずだった。芽亜もぱっと顔を明るくして喜んでくれた。


「ほんと? 良かった。またあたしみたいに悪霊に騙される人がいたら大変だと思ったから少し過激にしてみたんだけど、有栖ちゃんのお墨付きがあるなら大丈夫よね」

「悪霊に騙される……?」

「うん、悪霊は悪い物だって言ってくれて、有栖ちゃんに救ってもらったから、今のあたしがあるんだよ」


 そう言えば悪霊と仲の良かった彼女に説教をして縁を切らせたのは自分だった。

 あの時は悪霊は悪い物でそれに魅せられている彼女を救うつもりだったのだが、その選択は正しかったのか。

 前を見れば答えは明白に思えた。芽亜は優しく微笑んでいる。


「今度有栖ちゃんの神社にもこのポスター貼りに行くね」

「はい」


 芽亜の優しい言葉に、有栖も優しく頷いた。

 悪霊王に注意を呼びかけるポスターだ。神社に貼るのも良いかと思った。

 ともあれ、芽亜が幸せそうに喜んでくれて良かったと有栖は安心したのだった。




 今日は仕事の予定が入っている日だ。

 学校から帰って夕方になれば、みんなで神社に集まって空き地に出現する悪霊を退治しに行くことになる。エイミーは神社で電話番や事務仕事だけど。

 悪霊は夜に出現すると報告されているので、悪霊退治の仕事をする時間も必然的に夜になる。

 だが……


「芽亜の奴、来るの遅いわね」

「そうですね」


 天子が言った通り、芽亜がまだ来ていなかった。

 もうすぐ太陽の沈む時間だ。

 空き地は近所なので30分もあれば行けるが、出来れば仕事は早く片付けたい。

 あまり早くに行って、出現する前に悪霊に警戒されても困るけど。

 芽亜はいつも真面目に楽しそうに来ているので、何かあったのか心配になってしまう。


「まあ、あいつはこの神社で雇っている巫女じゃないから、いなくてもいいんじゃない?」

「もう少し待ってみます」


 舞火の意見は正しいのだろうが、ここまで手伝ってもらっているのだから待とうと思う。

 それに彼女を正式に雇うことを考えた方がいいのかもしれない。

 芽亜は友達だし、彼女自身が今の待遇を気にしていないようなので、有栖も今まで彼女を雇うという考えをしたことが無かったのだが……


 正式に芽亜を雇用することを考えた方がいいのかもしれないと有栖は思い始めていた。

 そう思っていると、神社に見慣れた姿がやってきた。芽亜だ。だが、いつも天真爛漫な彼女が今日は酷く落ち込んでいる様子だった。


「有栖ちゃん、ごめん……」

「どうしたんですか? 芽亜さん」

「もう聞いてよ! 有栖ちゃん!」

「はい」


 芽亜は落ち込んでいるかと思ったら、急に叫ぶように言い出した。有栖はびっくりしながらも話を聞いた。


「あの糞ばばあが、家に帰ってきたんだけどね!」

「はい」


 もしかしたら芽亜のお婆ちゃんも外国に行っていたのだろうか、有栖はそう推測しながら頷いた。

 芽亜の話は続く。叫ぶような声も、今は神社に一般の来客はいないので迷惑にはならない。芽亜もそう分かっているから声を上げるのだろう。

 思いのままに、信頼の出来る仲間達に向かって訴える。


「他人を手伝う暇があったら、家を手伝えと言うのよ! 酷いと思わない!?」

「ええまあ」


 芽亜は優秀な巫女だ。悪霊が増えている昨今、人手を欲しがるところはあるだろう。

 お婆ちゃんの方が正しいのではと有栖は思ったのだが、芽亜の気分を害しそうなので話を合わせることにした。


「酷いと思いますね」


 有栖には思い出せることがあった。

 父が依頼人と話し合っている時のことだ。有栖は隅っこで黙って話を聞いていたのだが……

 なぜか依頼人は明らかに間違ったことを言っているのに、父は笑って頷いていたのだ。 

 あの頃はなぜ父があんな態度を取るのか理解できなかったが、今では分かる気がした。

 依頼人に反対意見を述べて気分を害しても何も良い事はない。むしろ互いに相手を言い負かそうとムキになって、関係は険悪になってしまうだろう。

 父は相手をよく見ていた。よく見て話しを合わせていたのだ。有栖も相手をよく見て話しを合わせておこうと思った。

 話し相手には良い気分になってもらって損は無い。芽亜の話は続く。さっきよりも勢いを増して。


「でしょ!? なのに家の連中はみんなあたしを束縛しようとするの!」

「芽亜さんは優秀な巫女ですから」

「あいつらは自分の力を大きく見せたいだけなの! 権蔵さんや鑑美さんや有栖ちゃんの実力に嫉妬しているのよ!」

「そう……なんでしょうか」


 両親はともかく有栖は自分の実力をそう高くは評価していなかった。

 それまで元気に叫んでいた芽亜はそこでがっくりと肩を落としてしまった。


「だから、ごめん有栖ちゃん。あたしにはお婆ちゃんの決定をひっくり返せる力が無いの」

「分かりました。今までありがとうございました、芽亜さん」

「有栖ちゃん……あたしがいなくて困らない?」

「それは困りますけど。芽亜さんは優秀な巫女ですから、必要とされるのは仕方のないことだと思います。同じ仕事をする者同士として、向こうでも頑張ってくれるとわたしも嬉しいです」

「うん……ありがとう有栖ちゃん。また学校でね」

「はい、また学校で」


 そう言って、芽亜は少し寂しそうながらも笑顔で手を振って去っていった。

 夕暮れの境内で有栖も手を振って彼女を見送った。


「芽亜さん……」

「あいつがいないと寂しくなるわね」


 気持ちは舞火や天子も同じだった。有栖は前を向いて気を引き締めた。


「はい、ですが同じ仕事をする仲間であることに変わりはありません」

「じゃあ、行きますか。この気分は悪霊をぶっ飛ばしてすっきりさせないとね」

「はい!」


 天子が冗談めかして言ってくれて、有栖の気分も楽になった。

 芽亜がいなくなってしまったが、仕事は続いていく。

 今まで手伝ってもらった好意に感謝して、有栖達は悪霊の出現が報告されている空き地へと向かった。

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