ドラゴンが弟子になりました

「どう? 翼って、人間には無いよね? これで信じてくれた?」


 翼の生えた少女の姿を、ウェイルはただ呆然と見つめるしか出来なかった。

 フレスの言う通り、翼を持つ人間は存在しない。

 そしてウェイルは、ラルガ教会で初めて龍の絵を見た時と同じ感覚に襲われた。


 ――ただただ、美しいと。


 ついフレスの翼に見入ってしまうウェイルだった。

 他の感情など一切捨て、ただ美しいとそう断ずるにいささかの躊躇もないほどに。


「あれ? これじゃ信じられない?」


 フレスが不安そうにウェイルに声を掛けたところで、ようやく正気に戻る。


「……あ、ああ、もう判ったよ。お前を信じる。だから早く服を着てくれ。目のやり場に困る」

「良かった! 信じてもらえて!」


 少女は喜びながら、部屋の中を裸のままピョンピョン跳ねていた。

 そこでウェイルは本当の問題に気づく。


 ――こいつが本物のドラゴンだったら、余計にまずいのではないだろうか? 

 仮にも神と対等、もしくはそれ以上の力を持ち、世界を混乱に陥れかねない龍だ。

 龍の力を利用しようと、邪な考えを持つ者が近寄ってくる可能性だってある。

 何よりもこいつ自身が、これから何を為そうと考えているのか判らない。

 考えてみれば、彼女はアレクアテナ大陸を滅ぼす力を握っているのだ。

 さらに言えば、元々は封印されていた存在だ。

 過去に封印されるような何かをしでかしたのだと考えるべきだ。

 もしそれがフェルタリアに関係したとなれば尚更だ。

 見た目はただの無邪気な彼女だが、実はとても危険な思想を持っているかも知れないのだ。

 まずそのことについて言及し、事実を確認する必要がある。


「お前は封印が解けた今、一体何をしようと思っているんだ?」


 尋ねる声は震えていた。

 もし人間の倫理に反する答えが返ってきたら。

 ウェイルはこの龍をどうしたらよいものだろうか。


「何をするか? う~ん、そうだなぁ……。……――復讐、かな?」


 なんとも恐ろしいことを、しれっと答える彼女。

 この回答だけでは要領を得ない。

 ウェイルはさらに、恐る恐る質問を重ねる。


「復讐って、……まさかアレクアテナ大陸を滅ぼすつもりなのか?」


 返答次第では、この子を排除する必要があると、ウェイルは覚悟を決める。

 もっとも戦ってウェイルが勝つ見込みなんて全く無いのだが。

 そんなウェイルの杞憂をよそに、彼女は笑い転げた。


「ニャハハハハ! 何言ってんの! ボクがそんなことするわけがないじゃない! だってボク、アレクアテナ大陸は大好きなんだしさ! それよりこのとっても美味しい食べ物は、なんて名前なの?」


 世界の存亡を賭けた話をしていたつもりのウェイルだったが、話題が急にスコーンに戻ったので、ホッとした反面、ドッと気を抜かれる結果となった。

 どうやら世界の壊滅は免れたらしい。

 過去の彼女のことは知らないが、今の彼女は有害ではない。

 それが判っただけでも儲けものだ。


「とにかく、早く服を着てくれ。いい加減目のやり場に困る」

「あ、そだね」


 彼女はそそくさと服を着た。

 そして改めてウェイルに向き直る。


「次はボクが質問していい? どうしてボクのことを解放してくれたの?」

「……どうして? 解放……?」

「うん! ボクを解放したってことは、何かボクに用があったんでしょ!? ボク、君のこと気に入ったし、力になるよ!」

「…………」


 無邪気に目を輝かせるフレスに対し、ウェイルは言葉を失った。


(……い、言えない……。酒をこぼしてしまって、その結果解放してしまったなんて……!!)


 解放した理由など、何一つない。

 ただ単に、手が滑っただけである。

 そのことを素直に打ち明けるのは、なんだか彼女に申し訳がないような気がして、とても気まずい沈黙が続いた。


「ねぇねぇ、なんでなんで!? ボク、君のために何をすればいいのかな!?」


 フレスは瞳をキラキラさせながら、ジッとウェイルを見つめている。

 その目は、それ相応の理由を期待している目だ。

 ウェイルは居心地の悪さを感じざるを得ない。

 スーッと冷や汗すら出てくる。

 解放させたくてした訳ではない。

 言ってしまえばただの偶然、というより失敗だったのだ。


「ねぇ、なんで、なんで?」


 そうとは知らず、深い理由を期待して、ズイズイと迫ってくるフレス。


(正直に言うか? ……いや、言える訳が無いよな……)


 相手はドラゴンである。

 もし下手に答えて彼女の機嫌を損ねるようなことがあっては、アレクアテナ大陸は危機に晒される可能性だってある。

 ウェイルが必死に言い訳を考えていると、ふと先程のヤンクとの会話が脳内を過ぎった。


 『――弟子はとらないのか?』


 期待の眼差しに追い詰められた時に唐突に浮かび上がった、そこそこ合理的な嘘。

 迫りくるフレスのプレッシャーに負けた時、勝手に口が動いていた。


「で、弟子が欲しかったんだよ」

「弟子?」


(い、言ってしまった!!)


 咄嗟とはいえ、何故こんな嘘を吐いてしまったのか自分自身、理解出来なかった。

 正直な話、今まで一度として弟子が欲しいと思ったことは無かったのだ。

 それに彼女は龍だ。

 そばに居ると何かと災難や面倒事に巻き込まれる気がする。

 とにかく今のは無かったことにしたい。

 ウェイルはすぐさま否定に乗り出す。


「すまん、今のは無しで――」

「弟子!? 確か君、鑑定士って言ってたよね!? 鑑定士の弟子! やる、やる!! ボクを君の弟子にしてよ!!」


 前言撤回の言葉は、やる気満々な了承の言葉によって遮られた。


「お……おい……? 本気か……?」

「本気も本気! ボク、鑑定士やってみたい! ボクが封印される前にも、鑑定士っていたんだよ! 一度やってみたかったんだよね!! それで鑑定士ってどんなことをするの!?」


 瞳の輝きは先程の数倍以上。

 キラキラと目から光線すら出て来そうなフレスに、もはや撤回の言葉は通じそうもなかった。


(俺はなんてことを言ってしまったんだーー!!)


 思わず床に手を着いて、後悔するウェイル。

 軽い嘘から大きな責任へと発展してしまったことに、息苦しささえ覚えた。

 しかし、こうなった原因を作ってしまったのも全てウェイルだ。


 ウェイルだって男だ。


 ここは覚悟して受け入れなければならないと、己を無理やり戒めた。

 それによくよく考えてみると、龍である彼女をこのまま野放しにする方が危険だとも思えた。

 彼女が龍であることはウェイルしか知らないわけだから、手元に置いておけば何かと都合が良い。

 少なくとも誰かに利用されることはないだろう。


「判ったよ。お前は今日から俺の弟子だ」

「はい、師匠! よろしくお願いします!」

「……おう」


 師匠と呼ばれるのは、少しくすぐったかったが、想像以上に悪くはなかった。

 突然すぎる弟子の採用であったが、案外上手くやっていけそうな気がしていた。


「鑑定士の業務内容は大変だが、よろしく頼むぞ。フレス」

「任せてよ! ねぇ、握手しよ! ボクが君のパートナーになる契約の証!」


 満面の笑みと共に手を差し出してきた。


「これからよろしくね! ウェイル!!」

「ああ、よろしくな」


 こちらも手を差し出し、お互いに握手を交わす。

 まさかこんな形で弟子を迎えることになろうとは、一体誰が想像できただろう。

 握ったフレスの手は、人間のように暖かかった。


「じゃあお師匠様に早速お願いがあるんだけど! これ、お代わり!!」

「……え?」


 すっと差し出されたのはスコーンが乗っていた皿。

 上にあるべきスコーンの姿は、綺麗さっぱり見当たらない。

 口元の汚れをペロリと舐めて、ニコニコとしている。


「俺の晩飯、全部食べたのか……」

「師匠は弟子を養わないといけないんだよ?」


 なんていけしゃあしゃあと言ってのけるフレス。


「なんて図々しい弟子なんだ……」

「ウェイル、早くお代わり~」


 仕方ない、買ってくるしかないだろう。

 フレスの為にというのは少しばかり癪だったので、あくまで俺の晩飯だと、自分に言い聞かせる。

 皿を片手にウェイルが部屋を出ようとした時。


「甘いジュースも飲みたいなぁ! ねぇ、お師匠様! お願い~!」


 図々しすぎる呑気な声が飛んできたので、ウェイルの怒りは頂点に達した。


「知るか!」

「リンゴの果汁がいいなぁ」

「やかましい!」


 ――これが龍と鑑定士の初めての出会いだった。



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