フレスの正体

「ジーーーー……」


 フレスの視線はというと、ウェイルが買ってきたスコーンに釘づけであった。


「ジーーーー……」

「…………」


 ウェイルが無言で首を縦に振ると、フレスは目を輝かせて一心不乱に頬張り始めた。


「もぐもぐもぐもぐ……、うわぁ! これ、とってもおいしいね!」


 口の周りを汚しながら、にこやかな表情を向けてくるフレス。

 まるでハムスターの様に頬を膨らませながら食べ続けている。


「食べながらで良いから答えてくれ」

「もぐもぐ……、うん。……もぐもぐ」

「封印されていたんだよな。お前の正体は何なんだ?」

「もぐもぐ……ボク? ボクはねー……――うっ!!」


 突如動きを止めた彼女。

 見ると顔が真っ青になっている。

 何事かとウェイルは一度警戒心を強めたのだが。


「聞いているのか!? お前は一体――」

「うぐーっ! うぐーっ! み……水……っ!」


 彼女は唸りながら涙目になり、胸を叩く。


 ……どうやらスコーンで喉を詰まらせたらしい。


 その姿を見てウェイルは完全に警戒することを止めた。

 なんというか、警戒すること自体が馬鹿らしく思えたのである。


「な……なんなんだ、こいつは……バカなのか……?」


 思わず漏れた本音。

 急に部屋に現れたかと思えば、勝手にスコーンを食べ、挙句の果てに喉を詰まらせている。

 あまりの急展開に、ウェイルの脳は完全についていけず途方に暮れたが、とりあえず残っていた酒を彼女に手渡した。

 魑魅魍魎を体現したような彼女であるが、喉を詰まらせ、必死に酒を飲み干す姿はなんだかシュールでだった。


「ぷはー。いやー、死んじゃうかと思ったよ~。封印を解いてもらって、またすぐに死んじゃったら笑い話にもならないよ! にゃはは!!」


 そう言いつつも懲りずにスコーンを頬張り続けるフレス。

 度々喉を詰まらせ、またもやもがき苦しむフレスの姿を見て、頭を抱えるウェイルであった。


「……おい、そろそろ質問に答えろ! フレスといったか、絵から出てくるなんて普通じゃないんだ! 結局お前の正体は何なんだ!?」


 いい加減にしろとばかりに、ウェイルは語尾を強めて少女に尋ねた。

 するとフレスはこちらへ振り向き、驚きの答えを返してきたのだ。


「――ドラゴンだよ」

「――は?」


 思わずマヌケな返事をしてしまうほど、今聞いた言葉の意味は突拍子もないものであった。


 己の五感を信じなければならない鑑定士でも、耳を疑うレベルの解答。


「……すまん。よく聞こえなかった。もう一度頼む」

「だからさ、ボクは龍なんだ」

「待て! ちょっと待て! 俺は冗談に付き合うつもりはない」

「むぅ。ボク、冗談なんか言わないのに」


 フレスは確かに普通じゃない。

 どういう原理かは判らぬが、絵画に封印され、そこから出てきた少女だ。

 エルフ族のように、人に近しい神獣か何かだとは思っていた。

 だが、その正体が龍だというのは、にわかに信じられない。


「ボク、本当に龍だよ? 今は人の姿をしているけど。絵に封印されていたのを君が解放してくれたんでしょ」

「――解放……?」


 ウェイルは思わず言葉を失った。

 まさか自分がそのような行為を行ったなどと、身に覚えが全く無い。


「う、嘘を吐くな! 大体今だってお前が龍だってことすら信じられないぞ!! そりゃ絵から飛び出てきたんだから、人間ではないとは思ったが、それにしたって龍は考えられん!」

「と言われても本当のことだからなぁ。それに解放してくれたのは君でしょ? このボクに何か用事があったんだよね?」

「俺が解放しただと!? 全く身に覚えが無いぞ!」

「だって、絵を濡らしてくれたんでしょ?」

「絵を濡らす……?」


 ――事の発端。


 手が滑って、コップが落ちて、酒をぶちまけてしまって、絵を濡らして。

 そしたら絵が輝き始めた。


「まさか……」

「身に覚え、あるでしょ?」


 ふふん、と得意げな笑みを浮かべ、スコーンを頬張り続ける少女。


「絵を濡らすだけで解放できる封印があるなんて聞いたことないぞ……」


 ウェイルは封印という現象について、いくらか知識はあった。

 神器を用いて魔獣や神獣を封印することは、稀にある。

 罪を犯した神獣や、暴れ回る魔獣を止めるのに、封印術は最適なのだ。

 プロ鑑定士として封印術に立ち会ったことも、数少ないとはいえ確かにある。

 だが絵を濡らすだけで解放できる封印術なんて聞いたことが無かった。


 そしてその回答は彼女の口から明かされることになる。


「そりゃそうだよ。ボクら龍の封印方法なんて、知ってる人は少ないよ。龍は皆、封印されるときは絵画になるんだ。ボクは水を司る龍だから、水を掛けてもらったら解放されるってわけだよ。でもボクの封印を解いた水、結構きつい匂いだったね。腐ってたのかな?」


「…………」


 それは酒だ、というツッコミを必死に押さえるウェイルである。


 ――ドラゴン


 それはこの世界に存在する神獣の中で、最強の座に君臨する伝説の存在。

 神話では幾千の神々とも互角に渡り合える力を持つといい、その姿を見た者はいないとされている。

 龍が暴れまわれば、このアレクアテナはたちまち焦土と化すと語られている。

 かつて五体の龍が大陸を滅ぼさんと暴れたという伝説は、アレクアテナに住まう者なら誰でも知っているほどだ。


(想像上の神獣だと思っていたぞ……)。


 しかしウェイルは目の前の少女が龍であると、どうしても信じることが出来なかった。

 なにせ見た目は幼く、可愛らしい美少女そのものなのだから。


「これ、すっごくおいしいね! なんていう食べ物なの?」

「なんてお気楽な奴なんだ……。さっきと態度が全然違うし」


 今のフレスの頭の中には、スコーンのことしかないようだ。

 対してウェイルの方は、混乱しすぎて頭が爆発しそうである。


(……なんだか無性に腹が立ってきたぞ……!)


「お前、本当に龍なのか?」

「うん。そうだけど」

「証拠はあるのか? さっき名乗った時に言ったが俺は鑑定士をしている。自分の目で見たもの以外信じられない。お前がいくら自分は龍だと主張しても、その証拠が無ければ信用することは出来ない」

「証拠、かぁ。それって人間には無くて、龍に有るものを見せるってことでいいの?」

「構わない。本当にそんなものが有るのならな」


 少し意地悪な質問だとも思ったが、とにかく今のままでは信じることは出来ない。

 龍の少女は「しょうがないなぁ……」と呟くと、どうしてか着ているワンピースを脱ぎ始めた。


「なっ……、お前、何をする気だ?」

「何って、ボクが龍である証拠を見せるんだよ?」


 なんてほざいているが、どう見ても服を脱ぎ捨てているだけだった。

 ワンピースを脱ぎ、肌着だけとなったが、それでもまだ服を脱ぐことを止めようとはしない。

 終いには着ていた衣服一切を脱ぎ捨て、一糸纏わぬ裸となった。


「急に何しているんだ!? 服着ろよ!!」


 ウェイルは目を伏せてそう叫んだが、


「まあ、見ててよ」


 と、やけに真剣な声がしたので、ウェイルは瞑った眉を遠慮がちに少しだけ開いてみる。


「…………!!」


 やはりというか、そこにあったのは、すらりとした美しい裸体。

 フレスは深呼吸して呼吸を整えると、どうしてかトコトコこちらへやってきた。


「お前、一体何を……」

「ちょっと恥ずかしいけど……――えいっ!」


 フレスはウェイルの手を掴むと、そして――


 むにゅ……。


 ――その手を自分の胸に当てたのだ。


「な、なななななっ!?」

「……しっかり見てて……!!」


 ウェイルの手を握ったまま、フレスの身体が徐々に青白い光に包まれていった。


「な、なんなんだっ!?」

「いくよ……!!」


 次の瞬間、バサァッと少女の背中から一対の大きな青い翼が現れた。

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