蒼き龍の絵画

 最後の鑑定依頼も終わり、一息ついた時のこと。

 バルハーの部屋の奥に、まるで隠すように置かれた一枚の絵画を見つけた。


「神父さん、この絵画は鑑定しなくていいのか?」


 埃を被り、乱雑に放置されたその絵を、ウェイルは手に取る。


「ついでだし鑑定しておこうか?」


 ウェイルがそう訊ねて、埃を払い、そして絵を一目見たその瞬間だった。


(……――な、なんなんだ、この絵画は……!?)


 全体的に青一色の、空翔ける龍が描かれていた。

 見たことも聞いたことも無いような、氷のように冷たい印象を受ける絵画であった。

 だが、何と表現してよいのか判らない、高揚感に近い感覚が、この絵を見ていると沸いてくる。

 単純に言えば、その絵画に圧倒されていたのだ。


「…………青い、龍…………」


 思わず漏れてしまった感嘆の声に、ウェイル本人が一番驚いた。

 ただただ美しいと感じ、鳥肌が止まらない。

 このような絵画が実在するのか、と思わず自分の目を疑ってしまったほどだ。


 ――こんなことは、プロ鑑定士になって初めての経験だった。


 高名な画家の描いた作品は、見るだけでその迫力に圧倒されてしまうことがある。

 セルクの作品はそのいい例だ。

 力強く描かれるタッチの一つ一つが、物言わずとも心に響き渡るのだ。


 日々鑑定依頼をこなし、絵画なんて見慣れているウェイルでさえ、時に心を奪われることがある。

 だがウェイルはこの絵ほど酷く純粋で美しい、尚且つ触れるだけで壊れそうなほど繊細な絵画を見たことがなかった。


 ――それは一瞬だった。


 僅か一瞬で心惹かれたのだ。

 ウェイルはしばらくの間、無意識のうちにこの絵に釘付けとなっていた。


「ウェイル殿? どうかなされましたかな?」


 バルハーの問いかけによって、ウェイルはようやく絵画に引き込まれていた自意識を取り戻した。


「……いや、何でもないよ。それよりこの龍の絵は鑑定しなくてもいいのか?」


 ウェイルが龍の絵を見せながら尋ねると、バルハーは露骨に怪訝な顔を示した。


「その絵画ですか? それについて鑑定は必要ありませぬ」

「コレクションの一部ではないのか」

「ご冗談を。それは昔セルクの絵を買った時、その画商がオマケに付けてくれた絵なのですよ。何でも作者のサインがなく、絵の劣化も激しく価値が付かなかったとかで。とりあえず頂いたものの、対処に困っている次第なのです。何せ描かれているものが描かれているものですから」


 他の絵が高そうな額縁に入れられ、大切に管理されている中、ただ一枚だけ埃を被り、乱雑に扱われていたこの絵画。

 バルハーの嫌悪の眼差しは、話している間ずっとこの絵へ向けられていた。

 だがそれは無理もない話。


 その絵画に描かれているのは『ドラゴン』だったからだ。


 ラルガ教会において龍という存在は、悪と異端の象徴とされ、彼らの聖書にも唯一神ラルガンの最大の宿敵と記されている。

 ラルガ教会は、龍を信仰する異教徒を殲滅する戦争を大陸各地で行っている歴史がある。

 いわばラルガ教会において、龍の存在は最大の禁忌だということだ。


 ――蒼き龍が天空へ翔け舞う様子を描いた絵。


 その冷たすぎる色合いはとても繊細であり、それでいて優雅さも感じられ、そして何よりも――とても脆く見える。

 薄い氷のように、触れば即割れそうな、そんな儚さがあった。

 優雅さと儚さの、絶妙なバランスを感じさせる、そんな絵画。


 ウェイルはプロ鑑定士だ。

 その自分の目が訴えている。


 これはただの絵ではない、と――


 ――そしてこれは是非とも、いや、なんとしてでも手に入れたいと思ったのだ。


 その理由は自分でも判らない。

 元来、鑑定士は根っからのコレクターであることが多い。

 ウェイルだって気に入った絵画を欲しいと思うことはある。

 だがこの絵画からはそういった感情はさっぱり浮かんでこない。

 ただ漠然と、絶対に手に入れたいと、そう思っただけなのだ。

 そこでウェイルはとある提案をしてみた。


「この絵画、是非俺に譲ってくれないか?」


 それを聞いたバルハーはさらに怪訝な顔を浮かべた。


 龍の絵画に興味がある、ということだけでも彼らにとっては怪訝な顔をするに十分な理由であるだろうが、もっと大きい理由は、あのプロ鑑定士が欲しがったという点である。

 芸術品の専門家であるプロ鑑定士が欲しがったということは、つまりその絵画には相当の価値があると考えるのが普通だ。

 勿論ウェイルもバルハー神父の懸念は十分理解している。

 ということで、彼の疑念を払うために先手を打った。


「この絵画の価値についてだが、おそらく大した価値ではない。何せ作者が全く判らないのだからな。作者が不明な作品は値が伸びにくいことは貴方ならよく知っているはずだ」


 ウェイルの指摘は、実際正しい。

 絵画というものは、絵画本体と、それを描いた画家情報の二つが揃って初めて価値が発生する。

 素人の書いた精巧な絵より、セルクのような有名画家の描いた落書きの方が圧倒的に価値は付くのだ。

 ブランド、ネームバリューというものは、芸術において馬鹿にはならない。


「でしたら『龍』について興味がお有りで?」

「そういうことでもないな。正直に言うと俺はこの絵画に使われている塗料に興味があってな。今まであまり見たことのない青色をしている。詳しく調べれば未発見の塗料が見つかるかも知れない」


 塗料や資材だって絵画を鑑定するうえで非常に重要な項目である。

 過去の作品の中には、塗料の材料情報が失われ、現代では精製方法が不明になっている塗料だってある。

 また塗料の色合いや材質の劣化具合を調べていくと、絵画の描かれた年代、うまく行けば作者だって判明するかも知れない。


 これほどの絵画だ。

 調べれば面白い結果が出てくる可能性もある。


「……う、うむ。どうしたものか……」


 おそらくバルハーはこの絵画を手放したいと思っている。

 龍の絵画を、ラルガ教会の神父が持っているなど、他に知られるわけにもいかないからだ。

 彼がネックに思っているのは、やはりプロ鑑定士が欲しがっているという点だ。

 バルハーの妥協点を、与えてやらねばならない。


「鑑定料の代わりってことでもいいんだがな……」


 ぽつりと呟いたウェイルの言葉の効き目は、彼がこれを手放す理由付けをするには十分だったようだ。


「そうですか。いやはや、私としても処分して頂けるなら助かります。神父の私が龍の絵を持っているなど、信者に知られてはまずいですからな。是非、鑑定料としてお受け取りください」


 言うが早いかバルハーは、今まで悩んでいたのが嘘だったかのように、すぐさま棚から譲渡証明書を取り出し、筆を走らせた。


(全く扱いやすい神父様だよ)


 バルハーはサインを施した譲渡証明書を丸め、ウェイルに渡してくれた。

 何はともあれ、この龍の絵を手に入れることが出来た。


 この絵画との出会いが、これからのウェイルの運命を大きく左右することになる。

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