第14話 バディシステム
バウアーは更に言葉を続けた。
「管理金準備制度に傾いた合衆国の流れを止められるのは、最早あの潜水艦しかいない。もしも次に、空包ではなく実包のミサイルが我が国に打ち込まれれば、もう秘匿することなど不可能だ。
我国の国防への信頼は一気に失われる。つまり管理金準備制度が無に帰するという事だ。いつか失敗するものであれば、早い方が傷は浅い。管理金準備制度が実行に移される前に、我々は攻撃を受けた方が良いんだ」
「副大統領、私は軍人です。自らの国土への攻撃を容認することなどできません。我が国の国防上の信頼を失うことも、看過できないことです」
「1発や2発撃たれだけなら、限定的なテロ攻撃のようなものだろう。仮にそれで国防上の信頼を失ったとしても、目に見えた形で軍備を拡充すれば、後で幾らでも回復できる。しかし管理金準備制度はまずい。
始まれば取り返しのつかない事になる」
「副大統領、ご存知の通り、私は国家安全保障会議の中では軍事アドバイザーの立場でしかなく、管理金準備制度の体制については詳しくは知らされていません」
「確かにそうだったな。簡単に言えばあの計画が実行されると、世界中の富が5分の1に一気に縮小されることになる。全体が一様に縮小するのであればデノミと一緒で、混乱はあっても不公平は生じない。
しかし管理金準備制度には、我が国だけに富が集中するような巧妙な仕組が潜んでいる。合衆国がまず栄え、その繁栄を合衆国への貢献に応じて、同盟国に分け与えてやろうという奢った考え方だ。許されることでは無い」
「……」
「協力してくれないか? ギャビン」
「私に何をやれと?」
「ミサイル防衛網の再構築をできるだけ遅らせろ。それから海上に配置する空母にも出来るだけ距離を取らせ、相手が侵入できるだけの隙間を開けるのだ」
「そんなことなど出来ません。副大統領」
「良く考えろギャビン。ミサイル防衛網の再構築が済めば、その時点で君は国防の不備の責任を取らされ更迭だ。しかし私なら、愛国者の君にそんな不名誉なことはさせない」
「と言いますと?」
「V2が我が国に着弾すれば、カワードの方こそ、管理金準備制度失敗の責任をとって任期途中で引責辞任。そうなれば私が大統領だ。君には私の政権で、国防長官の座についてもらおうと思っている。これまでの国防体制を刷新するための、重要なポジションだ」
「副大統領、そんな……」
「どうした? もしも国防長官が不満ならば、私の右腕となる首席補佐官でも構わないぞ」
バウアーが差し出す右手を、ミラーは破顔しながら強く握り返した。
――2018年1月6日、9時30分、小笠原――
二見湾を回り込むように移動して振分山の海岸に付くと、矢倉達はピックアップトラックからダイビング用具を降ろした。そして3人はドライスーツに身を包むと、30m程の砂浜を歩いて海に入った。
矢倉と玲子は水中スクーターにつかまり、新藤は矢倉の足首を掴んで引っ張られていった。おおよそのポイントまでたどり着くと、3人は目で合図を送り合い、矢倉が親指を下に向ける仕草をするのと同時に海面から消えた。
予め知らされていた通り、海中は澱んでおり、透明度は良くても15m程で、悪い場所では5m程しかなかった。矢倉は海岸線を背にして、南北に舐めるように海底を往復した。
10分程経過したところで、「カラン、カラン」というダイビングベルの音が聞こえてきた。玲子か新藤が駆逐艇を見つけたという合図だ。
矢倉は音のする方向を見極め、水中スクーターを走らせた。やがて靄の中からは、鈍い緑色の大きな影が現れ始めた。それは船の船首部分だった。
恐らくその後方には、ブリッジが立ちあがっているのであろうが、灰色の靄が視界を遮り、見る事はできなかった。艦首の上甲板がはっきりと見え始めると、突起物に掴まるように、ダイビングベルを振っている新藤がいた。更に新藤の向こうからは、玲子が近寄ってくるのが見えた。
3人が船の中央部分に移動していくと、上を向いたままの主砲が現れ、その更に5mほど後ろにブリッジがあった。ブリッジの左舷側には楕円状の入口が見えた。
かつてそこに有ったのだろう水密扉は、空襲の衝撃のためなのか完全に失われており、ぽかりと穴が空くばかりとなっていた。その脇には下部の船室に続くのであろう四角い形の開口部と、垂直ラッタルが見えた。
矢倉は腰に下げているアンカーロープを手に取り、先端の金具を垂直ラッタルに掛けて、もう一方の端にロール状に巻いたビニール製のマーカーブイを繋いだ。
矢倉はタンクから伸びているオクトパス――つまり予備のレギュレーター――からエアーを入れて、マーカーブイを膨らませた。それは見る見る内に長く伸びていき、矢倉の身長よりも長い2m程の細長いフロートになった。
エアーの口を塞いだ矢倉が手を離すと、マーカーブイはまるで打ち上げられたロケットのように、アンカーロープを引きながら、海面を目指して真っ直ぐに浮かび上がっていった。
矢倉は一連の作業を終えると、玲子と新藤に向き直り、真っ直ぐに親指を上に立てて、浮上すると言うサインを送った。
それを見た新藤は首を横に振って、自分の残圧計を指さしてから、“1”、“6”と指を立てて示した。つまり200気圧で充填した空気が、まだ160気圧残っているという事を矢倉に伝えているのだ。
新藤の背負っているタンクは12Lの容量なので、ざっと暗算すると、水深30mの4気圧下でも、エアーは60分ぶんも残っている計算になる。新藤とすれば、折角ターゲットまで来ているのだから、もう少しここにいたいという意思表示なのだろう。
矢倉は新藤の願いを聞き入れず、首を横に振って再度親指を上に立てると、BCDにエアーを入れて先に浮上していった。玲子がそれに続き、新藤もしぶしぶそれに従った。
自分の吐き出した空気泡を追い越さないよう、ゆっくり浮上した3人は、水深5mで、ダイビングコンピュータの指示に従って、3分ほど安全停止のために滞留し、それから海面に顔を出した。
「矢倉さん、慎重なのは良いですが限度があります。もう少し柔軟に考えても良いんじゃないですか。先程の潜水は僅か15分でしたよ。30分くらいは潜っていても無理は無かったと思います」
砂浜に戻った新藤が、勝気な目で矢倉に詰め寄った。
「そうかもしれないが、そうでないかもしれない。それが俺の答えだ」
「どういう事ですか? 意味が分からないですよ」
「あのままあそこに残って、君の言う通りに、あと15分沈没船を見物したとしよう。きっとそれは心躍る、素晴らしい経験だろうな。そしてその15分が経った後、君はどう思う? タンクのエアーにはまだ余裕がある。もう15分いたって良いじゃないか。きっとそう考えるんじゃないか?」
「その時になってみないと分かりませんが、否定はできませんね」
「その判断は、もしかすると、窒素酔いで判断が鈍った中でしているかもしれない」
「たった30分ですよ。しかも深度は30mそこそこ。窒素酔いなんて考えられない」
「いや、窒素酔いは本人が自覚をしていないだけで、いつだって起きているんだ。ダイビングに常識は通用しない。耳抜きをしないで潜れば、鼓膜は水深3mで破れることがある。減圧症だって早ければ水深5mから発生する。今俺が問題にしているのは、潜水前のクリアな頭で決めたプランを、もしかすると窒素酔いで混濁した意識で、覆しているのかもしれないという恐ろしさを、君が正しく理解していない事だ」
「そんなに大袈裟なものなんでしょうか?」
「そんなものだ。君がこの先オイルダイバーになって、ずっと生き延びて行こうとするなら、臆病になることが大事だ。そして海底では自分の身は自分で守るしかないということを、きちんと理解する事だ」
「分かっているつもりです」
「分かっていない。例えばダイビングの基本のバディシステム。君はあれをどう思う?」
「仲間と助けあい安全を確保する、素晴らしい仕組みだと思います――。違うんですか?」
「軽度なトラブルなら、その仕組みを尊重すれば良い。しかし根本のところでは、そんなものクソ喰らえだと考えておくべきだ。例えば君と仲間がバディになって、一緒に潜ったとしよう。仲間がタンクの点検を怠っていて、ガスが空になりそうだと気が付いた。そんな時に君はどうする?」
「自分のオクトパスを咥えさせて、エアーを分けてやるでしょうね」
「では君のエアーも、もう残り少なくなっているとしよう。海面に上がるのがぎりぎりの量しかない。さあ、どうする?」
「それでもエアーを分けてやります。呼吸を浅くして、エアーの消費を節約しながら、二人で協力すれば何とかなります」
「愚の骨頂だな。君のバディはその時点で、まず間違いなく、パニックに陥っている。一度オクトパスを渡せば、君の貴重なエアーを一気に吸い尽くしてしまうだろう。世の中には自分が生き残るために、バディのタンクごと奪った馬鹿なやつもいる」
矢倉は新藤を突き放すように言った。
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