第13話 副大統領の画策
カワードは両手の親指で目頭を押しながら大きく息を吐き、未だ冷めやらない興奮を辛うじて静めると、部屋にいる閣僚たちに語りかけた。
「皆聞いてくれ。目下我が国は、IMFを中心とした管理金準備制度を敷こうとしている。計画を推し進めるためには、我が国は絶対に他国からの攻撃を受ける事があってはならない。
昨日の会議で設定した3か月のタイムリミット内に、V2ミサイルを発射した相手を特定し、その存在を消し去る必要がある。しかしそれが成しえない場合も想定しなければならない。東海岸中心にミサイル防衛網を再構築することは、目下国防の中で何よりも優先されることだ」
カワードが会議の席を見回すと、閣僚たちは皆が深刻な顔つきで頷いていた。
「大統領、よろしいですか」
ベンジャミン・ブラウン国家情報長官が挙手をした。
国家情報長官は米国のインテリジェンスコミュニティーのトップであり、CIAや国防総省のDIA、NSA、司法省のFBIまでを統括する立場にある。
「何だベン」
「次の会議に、CIAのグラハム長官を招聘したく思います」
「理由は?」
「昨年、クリスマス・イヴの3日前に、IMF本部ビル脇で、ある殺人事件が起きました。殺された男はモサドの諜報員で、死の間際に、ナチスの化学兵器の名を口にしています」
「化学兵器だと?」
「そうです。ザビアという最強最悪の化学兵器です。V2に積まれていた化学クラスター弾頭に関係している可能性があります。グラハム長官には、その内容を説明してもらいたいと思います」
「分かった、許可しよう。次の国家安全保障会議は明日の早朝から行う」
カワードの言葉で、その日の会議は終了した。
――2018年1月6日、8時30分、小笠原――
矢倉と玲子が、ピックアップトラックにダイビング用具を積み込んでいると、一人の男が近づいてきた。それに気付いた矢倉が男に声を掛けた。
「やあ、君は昨日の――、確か、新藤君と言ったね」
「そうです、お早うございます」
「お早う、君は今日どこに潜るの?」
「実は、“一の岩”というポイントで、ドリフトダイビングをする予定だったのですが、潮の流れが悪いので船の出航を見合わせると、たった今連絡があったばかりなんです」
「それは可哀そうだな」
「それで――、お願いなのですが、出来たら今日は、矢倉さんのポイントにご一緒させてもらえませんか?」
「構わないけれど、こっちは沈没船の見物で、二見港の入口に潜るだけだよ。綺麗な磯や魚は見られないけど、それでも良いの?」
「構いません。レックダイビングはこれまで何度か経験していますし、むしろ好きな部類です。一通りのトレーニングも受けています」
「そうか、それなら安心だ。今日行く船はまだ内部の調査も行われていなし、ガイドもついていない。未経験者には危険だからね」
「矢倉さんは、どれくらいレックダイビングを経験なさっているんですか?」
「全く経験したことが無いよ。ただオイルダイバーという仕事柄、レックの環境には慣れているつもりだ。
毎日のように真っ暗な海底に出て、狭く入り組んだ空間に体をねじ込んでは、ライトの明かりだけを頼りに、ボルトの開け閉めや溶接作業をやっているからね」
「今日は何故、沈没船に潜ろうと?」
「今月末から俺は、ポルトガル沖に潜りに行くんだ。個人的な興味からの、宝探しのようなものだ。今日はその予行演習というわけだよ」
「予行演習――、ですか?」
「幾ら普段の仕事で慣れていると言っても、実際の現場では何が起きるかわからないからな。一度くらいは似たようなレックの環境を経験しておきたいんだ」
「そういう事ですか。しかし沈没船なら、沖縄をはじめとして、もっと良い場所が沢山あるはずです。なぜここ小笠原を選んだのですか?」
「これから見に行くのは旧日本海軍の駆逐艇だ。“甲標的”という特殊潜航艇を曳航している途中で、米軍機の空襲で沈められたんだそうだ。近くにはその甲標的も沈んでいるらしい。どうせ沈没船に潜るなら、それを見ておきたくてね」
「何でまた、そんなものを?」
新藤は不思議そうな表情を、矢倉に向けた。
「君は“回天”という特殊潜航艇を知っているか?」
「もちろん知っています。人間魚雷回天――、特攻兵器ですね」
「俺の祖父は、その回天の搭乗員だった。甲標的、蛟竜、海龍、回天と、日本海軍には特殊潜航艇が色々あったらしいが、中でも回天は出撃したら必ず死が待つ最悪の兵器だ。祖父は一体どんな思いでその回天の搭乗訓練を受けていたのだろと、時々切なく思う事が有る。
一度だけ博物館で回天を見た事があるが、陸上に飾られた潜航艇には、血の通わない単なる金属の筒という印象しか湧かなかったよ。
甲標的は回天とは別物だが、海底で眠っている実物を見れば、少しは祖父の気持ちが分かるのではないかと思ってね」
「そんな経緯があったとは露知らず、同行のお願いをして申し訳ありませんでした」
「いいんだ、こちらこそ、もしも君を暗い気持ちにさせたとしたらすまなかった。今の話は俺の勝手な思いだ。気にしないで、君は君のレックダイビングを楽しめば良い。ただし、現場では俺がリーダーだ。俺の判断には従ってもらうよ」
矢倉は新藤の肩を軽くたたいた。
「今日は仲間が一人増えたって事ね。新藤君にもダイブの手順を説明しておきましょう」
2人の横で話を聞いていた玲子が言った。
「エントリーポイントは二見港の対岸にある振分山の海岸だ。昨日のガイドが言っていたが、漁業権の問題でボートが出せないらしいので、ビーチからのエントリーになる。
海岸から400m程沖に出たところが駆逐艇の沈没地点だ。水深は約30m。湾の内側なので、海流が少なく澱みが酷いらしい。3人で別れてまずはターゲットを探す。見つけたらダイビングベルを鳴らして合図をしてくれ。そこからマーカーブイを海面に上げる。
1本目のダイブはそこまでだ。体力とエアーに余裕があっても、そこで一旦海岸に戻る」
「今日は船内にも入るんですよね?」
新藤が確認するように訊いた。
「もちろんそのつもりだ。2本目のダイブでターゲット周辺を外から観察し、侵入プランを立てて、午後の3本目で中に入る。状況次第で4本目もあり。そんな感じだ」
「分かりました。随分と慎重なんですね」
「安全第一、それが海で生き残る唯一のコツだ」
そう言って、矢倉は笑った。
――2018年1月5日、22時15分、ホワイトハウス敷地内――
「ギャビン」
疲れた顔でホワイトハウス西棟を出ようとするギャビン・ミラー統合参謀本部議長を呼び止める声が有った。振り返るとそこにはデニス・バウアー副大統領が立っていた。
「良かったら、これから私の部屋で少し話をしないか」
バウアーは続けて言った。
訝るミラーを先導するように、バウアーは車寄せ西側の石段を下りて行った。その先の小道を横切った正面、アイゼンハワー行政府ビルの中に副大統領の執務室はある。
ブレイクを始めとした大統領補佐官たちのオフィスが、大統領執務室と同じ西棟にあるのとは対照的で、その小道こそが副大統領と大統領の立場の差を表す象徴とも言える。
バウアーは執務室に入ると鍵を掛けて、目の前のソファーをミラーに勧めた。
「先程の大統領の一連の発言は、君に対する礼を失しており、大変に不適切だったと私は思っている。大統領に代わってお詫びをする」
「何を仰います副大統領。私こそあの時、大統領の発言を制して私の立場を守って下さった事、感謝いたしております」
「そもそも国防体制と言うものは、何代もの政権の実績と失策の積み重ねの上に出来上がっているものだ。それが仮に脆弱であったとしても、君が責を負うべきものではない」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、幾らかは気が楽になります」
「大体、あのコレットという男も気に入らない。本来ならば先程、君を庇わなければならなかったのは、国防長官たるコレットだろう。それが大統領の顔色ばかりを窺って、一緒になって君を責めた。私はあのようなやつを信用しない。君だってそう思うだろう?」
「はい――、いえ、しかし、私には何とも申し上げようが――」
ミラーは答えに窮した。
「ブレイクの振る舞いだっておかしい。首席補佐官とは本来が閣僚の立場ではなく、大統領の単なる政策アドバイザーだ。そんなやつが、合衆国で最も重要な意思決定の場、国家安全保障会議を牛耳っているのだからな」
「確かに、それは仰る通りかもしれません」
「ブレイクはカワードの、大学院時代の恩師だったそうだが、やつらの様子を見る限り、私にはそれだけの関係だとは思えない」
「と言いますと?」
「ブレイクが時折カワードに向ける妖しい目つき。あれは女の目だ。やつらはもしかすると、不適切な男女の関係にあるかもしれないぞ」
「……」
「そのうち尻尾を出す時がきたら、尾ひれを付けてスキャンダルに仕立て上げてやるつもりだがね」
ミラーはバウアーの言葉に、ただ黙すしかなかった。
「ところでギャビン、ここからの話は絶対に秘密だ――。私はあの2人が主導している、管理金準備制度というやつを全く信用していない。必ず失敗すると思っている」
「ちょっと待って下さい、副大統領……」
「あの2人の考えている事は、学者がひねくり回す空論に過ぎん。人の感情を無視した傲慢な力の政治、力の経済の押し付けだ。国民は決して幸せにはならんだろう」
「副大統領、一体何を仰ろうとしているのですか……」
「私はむしろ、あの謎の潜水艦を応援し、その成果に賭けているんだ」
「えっ……」
ミラーは予想もしなかったバウアーの発言に絶句した。
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