第6話 報道特番

――2017年12月25日、4時50分、東京――


 矢倉はホテルの部屋で目を覚ました。いつの間にか少しまどろんだようだった。


 気が付くともう玲子は部屋にはおらず、時計を見ると4時50分を回っていた。TVを点けてみると、先程彼女が言っていた報道特番が始まっていた。

 画面の中央には、いつも22時からの帯で報道番組のメインキャスターをしている古賀太一という男が映っており、その右隣に、深刻そうな表情の玲子がいた。司会席の左右に伸びるテーブルには、訳知り顔の学者や評論家たちがコメンテーターとして鎮座していた。

 矢倉はつい先ほどまで、自分の体の下で喘いでいた女が、涼しい顔でTVに映っていることに、不思議な感覚を覚えた。


「先程から何度もお伝えしておりますが、ギリシャが国債のデフォルトを表明し、IMFがその対応策について、重大な会見を行うとしておりますが、まだその会見は始まっておりません」

 古賀がカメラ目線で視聴者に語りかけた。


 話ぶりからすると古賀はどうやら、そのフレーズを番組内で、もう何度も繰り返しているようだった。そして続けて「ワシントンDCの立花さん、その後何か動きはありましたか?」と現場の特派員に質問を投げた。


「はい、こちらIMF本部ビル前の立花です。各国の報道陣が入口付近に多数詰めかけておりますが、まだ何も発表もなく、また会見が始まる気配もありません」

「IMFのビル内には、何か動きは無いのでしょうか?」

「残念ながら、ビルの窓は全てブラインドを下ろしていて、内部の様子も全く窺い知ることができない状態です。クリスマス休暇の時期でもあり、職員の出入りもありません」

「立花さん。現場に変化がありましたら、すぐに知らせてください」

「分かりました、古賀さん」

 立花特派員が慣れない口調で答えた。


「番組が始まってから、既に一時間近く経とうとしていますが、お聞きの通りまだIMFの会見は行われていません。この間に、国際経済にお詳しい、慶応大学の武本教授にご意見を伺いたいと思います。武本教授、この状況をどうご覧になりますか?」

 古賀はコメンテーターの一人である武本に話の水を向けた。


「ギリシャのデフォルト危機は、今に始まったことではありません。ついに破綻したかという感想です。ギリシャはこれまでにも5回、1826年、1843年、1860年、1893年、1932年にデフォルトしています。常習犯とも言えますし、その都度立ち直ってきた逞しい国とも言えます」

 武本は難しい経済問題を、視聴者に分かりやすく伝える語り口が評判で、古賀の番組には度々登場する男だった。


「デフォルトすると、その国はどうなってしまうのでしょうか?」

「国は個人とは違うので、債務免除を受けることはできません。債権国との話し合いで、国債の償還期限を延ばすのがせいぜいで、借金は必ず返す必要があります」

「そこで疑問に思うのですが、そもそも経済状態の悪い国が、借金を返すことなどできるのでしょうか?」

「少々乱暴な言い方になりますが、何とかなってしまうものなんです。デフォルトした国では信用失墜で通貨が暴落し、ハイパーインフレが起きます。それが巡り巡って、結果的に国の経済を救う事になります」


「もう少し分かりやすく説明していただけますか?」

「日本経済に置き換えると分かりやすいでしょう。超円安が起きたと想像してください。まず輸出産業が潤うことはお分かりでしょう。

 次に海外からの輸入品が超高額になってしまうため、国内生産品の方が安く、有利になります。これで国内産業が活性化する訳です。やがて国力が回復してきますから、それによって債務の返済が可能になるのです。

 もちろん国ごとに、輸出入のバランスが異なりますし、食料や資源が国内で賄えているかなど、細かな前提条件が違いますので、復活に掛かる時間の尺度には差が出ますがね」


「なるほど、それではギリシャのデフォルトは、重大な問題ではあるものの、被害は限定的であると考えてよろしいのですか?」

「そうですね。ある意味でその考えは当っていますが、完全な正解ではありません」

「と言いますと?」

「ギリシャの場合は、事が少し複雑なのです。統一通貨ユーロで他国と経済が連動しているからです。デフォルトはギリシャ一国に止まらず、ユーロ加盟国の中でも経済の弱い幾つかの国を、巻き込んでしまうことは避けられないでしょう」


「どんな国が巻き込まれるのですか?」

「まずはポルトガルとスペイン、そしてイタリア、アイルランドあたりは連鎖してデフォルトする危険性があります。またそれらの国々と貿易をしていたり、国債を引き受けている国も、経済的に打撃を被るはずです。

 しかし私はそれが、全世界的な大恐慌にまで発展するとまでは思っていません」


「要するに武本教授のお考えは、ユーロ圏内の特定の数か国には甚大な被害が及ぶが、その他の国には、痛みはあるが致命的ではないだろうといことですね?」

「その通りです」

 武本は古賀の言葉に深く頷いた。


「ちょっと待って下さい、私はその考えには同意できませんね。楽観的過ぎます」

 挙手をして発言を求めたのは、国際政治学者の増渕洋介だった。この男も古賀の番組では定番で、いつも武本と反対の意見を述べて、議論を白熱させるのが常だった。


「増渕先生のお考えはどのようなものですか?」

「経済はグローバル化しており、どこからどこまでが連動しているかは、今や誰にも分かりません。現代は金融資産が実体経済を大きく越えて膨張しています。ギリシャ発の世界恐慌は、十分にあり得る話だと私は思いますね」


「その金融資産の膨張について、もう少しかみ砕いてご説明いただけますか?」

「世界中の金融資産は一体どれくらいあるのか、古賀さんは想像がつきますか?」

「申し訳ありません。不勉強なので全く見当が付きません」

「1980年の段階で、世界中の金融資産残高とGDPはほぼ同額でした。それが1990年には、金融資産残高がGDPの200%となり、その後も10年ごとに100%ずつ差が開いています。2000年で300%、2010年で400%。2020年には確実に500%を越えます」


「5倍もですか――。それは驚きです」

「金融資産と言えば、私達は現金預金や手形、貸付債権などをすぐに思い浮かべますが、それらは実体経済と乖離するものではなく、金額も大きくありません。

 GDPを大きく上回って伸びているのは、株式やオプション取引、スワップ取引など、金融工学的に生み出される仮想の価値であると言って良いでしょう」


「分かりやすく言うと、世界中の全ての産業が作り出す年間生産高を、遥かに上回る仮想のお金が存在する訳ですね?」

「そうです。つまりギリシャのデフォルトは、実体を上回る規模で世界に波及していく可能性があるのです。そしてそれは、実際にそれが起きて見ないと、被害が及ぶ範囲も規模も見当が付きません」


「なるほど、それで増渕先生は先ほど、楽観できる状況にないとおっしゃったのですね」

「その通りです。今回のデフォルトに関する会見は、本来ならばギリシャの大統領や財務大臣が行うべきものです。しかしそれをIMFが行うという事が、事態の重大さを表しているのではないかと私は考えています」

 増渕は古賀に同意を求めるように視線を送った。


 武本と増渕の対立の構図をベースにして、無知で中立な古賀が、とぼけたようでいて、実は議論をリードする的確なつっこみを入れるというスタイルが、古賀がキャスターを務める報道番組独特の予定調和であり、高い視聴率の源泉だった。


「お二人のご意見は良く分かりました。それでは一旦CMを挟んで、ギリシャのデフォルトが日本に与える影響を検証してみたいと思います。その前にもう一度ワシントンを呼んでみましょう。ワシントンの立花さん、その後、何か変化はありましたか?」

「はい、IMF本部ビル前の立花です。こちらは16時を回ったところですが、いまだに状況は変わっていません。実は先程、ここからすぐ目と鼻の先にあるホワイトハウスに、グレン財務長官が入り、続けてバウアー副大統領を筆頭とした主要閣僚が、次々と入ったとの情報が入って来ています。顔ぶれはボーフォート国務長官、コレット国防長官、そしてエドワーズ・エネルギー長官です。それが今回のギリシャの危機を収拾するためのものなのかどうかは、分かっていま……」


――プチッ――

 という音と共に、TVの画面が消えた。

 矢倉が電源を落としたからだ。


 まったく、報道特番というのは同じフレーズの繰り返しで、いつ結論が出るのかわかったことじゃない。


「今夜のニュースを見れば分かる話だ」

 そう矢倉は独り言を言って、大きなあくびを一つだけし、そしてもう一度布団にくるまった。


――第二章、終わり――

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