第64話「長安からの手紙」
上座は、手にしていた書簡を
「そなたらの
「「えっ!」」
二人が揃って驚きの声を上げた。
「
兄の声が、どこか遠くから聞こえる。茗凛は右手に添えた左手を固く握り締めながら、自分の膝頭をひたすらに見つめていた。
琅惺の通う講義が明日終わるを受けて、明後日は上座の勧めで敦煌最大の仏教遺跡である莫高窟を見に行くこととし、その翌日に二人が敦煌を発つことが決まった。
「そりゃまた、随分急な話だねえ」
おかみにため息混じりに声をかけられた珂惟は、小さく苦笑すると、
「本当に、こっちの都合はお構いなしなんだから。いきなり『行ってこい』って追い出されて、今度はいきなり『帰って来い』だもんな。勝手すぎて――参る」
そう目を伏せた。
昼の舞台が終わったばかり。今日も成功に終わった公演に高揚感に沸いていた天幕の中は、講義を抜けてやってきた珂惟の突然の告白で一気に静まり返った。
「嘘だろ、俺まだ葡萄園に連れてってないのに」
「俺もまだ笛教えきってない」
「観光客が落ち着いたら、城外観光に行こうぜって言ってたのに……」
たちまち顔を曇らせる三兄弟。ついさっきまで、車座の中央にところ狭しと置かれた干葡萄や西瓜や瓜やらを奪い合うようにして手を伸ばしていたのに、今はみな、茶を手にしたままで目を伏せてしまった。隣に座る霞祥が気ぜわしげにこちらを伺っているが、茗凛は気づかぬふりで、平然と茶を飲んでみせる。おかみが急遽、良質なものに換えたようだが、なんの味もしない。沈み込んでいく雰囲気を払うように、珂惟は両手を振りながら明るく笑って、
「やだなあ今生の別れでもあるまいし。今度は長安に遊びに来いよ。色々案内してやるからさ。大丈夫、二ヶ月も歩けば着くから」
「今生の別れではない」と言いつつ、二度と会うことのない者たちがどれほどいることだろう。旅立つものは慰めに、もしくはある意味本気でそう思うのかもしれない。「また会える」と。いずれにしてもそれは、行く者が残していく優しい気持ちだ。だからそれは適わぬことだと諭すことは無粋で、無意味だった。
「ほら喰っとけ、当分味わうことがないぞ」
大兄が大皿の干葡萄を鷲づかみにし、珂惟の手に握らせる。それを自分もつまみながら、
「長安か、いいな。洗練された美女を見たいもんだ。なんせ俺の周りには、うるさい女しかいない。いい店、探しといてくれよ」
「おーお、よく言うよ。女となんてまともにしゃべれないくせに」
「本当だよ。こんな美女たちを前に、よく言ったもんだ」
おかみがそんなことを言うもんだから、一同は爆笑する。
琅惺が迎えに来たのを機に、珂惟は立ち上がった。二人は、一座が天幕と舞台道具を片付けるのを手伝い、それらを荷車に載せると、一緒に主要大路を北上した。あれだけ身を焦がすほどに強烈だった陽光は、幾分落ち着いたものになっていた。
「じゃあまた明日」
大路を左右に別れるとき、珂惟は大きく手を上げた。いつものように。
だから茗凛は答えた。「うん、また明日」いつものように。
「茗凛……」
小路を進んで十字路を曲がったとき、霞祥が心配げに声をかけてきた。先を歩くみんなが馬鹿話をしながらこちらの様子に神経を集中させていることは分かっている。茗凛は霞祥に柔らかく笑いかけ、
「大丈夫よ。だって知ってたから。こういう日が来るって」
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