第52話「偽りの経歴」

 その後三人は、揃って宿に向かう。

 入り口前の長椅子に、相変わらず置きっぱなしの荷物を珂惟かい然流ぜんりゅうが手際よく片付け、然流が座面を拭いている間に珂惟が隣の老婆に茶を頼みに行った。見事だわ…感心していると、

 「茗凛めいりんさんどうぞ」然流が席を示してきた。

 明らかに端の方だ。真ん中に座る気ね――そう思った茗凛が「熱いわねー」などと辺りを見回すしぐさで座らずにいると、

「何やってんのおまえ?」

 盆に茶を三つ載せた珂惟が怪訝な顔でやってくる。「はいはい」慣れた様子で然流がそれを受け取りながら、茗凛に示したのとは反対の端に座った。珂惟がまた当然のようにその隣に座りながら自分の茶を受け取り、「だから何やってんだ?」と不思議そうな顔で茗凛を見上げてきた。

 茗凛は自分の考えが妙に恥ずかしくなって、黙って然流に示された、珂惟の隣に座った。

 「どうぞ。熱いですよ」然流に笑顔で気遣いまでされ、恥ずかしさは申し訳なさにかわる。だから。

 「ありがとう」最大級の笑顔で返すと、「どういたしまして」と然流も笑いかけて来たので、少しほっとする。

「暑い日に熱い茶ってハマるよな」

「ですよねー」

「あー、ほっとする……」

 それからしばし黙って茶を堪能していた珂惟だったが、おもむろに口火を切った。隣の然流にふいっと目を向け、

「なあ前の上座かみざって、どんな人だったの?」

「とても厳しい方でした。講義での質問に曖昧に答えることは許さなかったし、生活態度についても厳しく言われました。だけど比丘びく沙弥しゃみの方にはもちろん、僕みたいな行者や雑用にまで等しく声をかけて下さいました。――今の上座と違って」

 温厚そうな然流だが、今の上座に含むところがありそうだった。

「なるほど。――じゃあ幽霊話なんて、一喝する感じじゃない?」

「確実に」

 彼から「ここだけの話」として聞いた話を珂惟にしゃべってしまったことがバレバレな状況に茗凛は焦るが、然流は気づいてないのかどうでもいいと思ってるのか、もしくはとっくに自分で喋っていたのか、然流がしみじみと頷いただけだ。

「そうなんだ。――ところで今の上座って、何者なのよ。瓜州かしゅうから来たって聞いてるけど、敦煌とんこうになんか縁でもあるわけ?」

「生まれも育ちも瓜州だって聞きました。前の上座の急病で急遽、法恩寺の上座に任命されたとか。それでこの春に敦煌にいらっしゃったんです。そのとき『初めて瓜州から出た』っておっしゃってたんで、縁はないんじゃないかなあ……」

「寺主(寺院の副責任者)が頼りないにしても、外部からわざわざ新しい上座を呼ぶ必要がどこにあるんだろ。仏教の聖地、この敦煌ならいくらでも人材いるのにな。――それに瓜州ねえ……。それは嘘だな。あの言葉、あれはもっと東の方の訛りだ」

「そうなの!」

 敦煌から出たことのない茗凛と然流は、声を揃えて驚いた。

 珂惟は頷き、残りの茶を一気に飲み干した。そうして立ち上がると、

「茗凛、そろそろ夕方の舞台だろ。然流、ちょっと送ってくるから、それ隣に返しといて」

 ――まだ早いんだけど、と言いかけた言葉を茗凛は飲み込んだ。珂惟が目配せしてきたからだ。

「あ、そうね、もう行かなきゃ。じゃあ然流さん、また」

 茗凛はそそくさと立ち上がり、歩き出した珂惟の後ろを追った。

「どこへ行くの?」

 隣に並んだ茗凛が珂惟に聞くと、彼はチラッと茗凛に目を向け、

「法恩寺だ、決まってるだろ」

「えっ、さっき行ったばかりじゃない。さすがにまずいでしょ」

「何言ってんだ。一回行ったからもう来ない、って向こうは思ってる。それに今頃、寺内のほとんどが胡楊樹の片づけにかりだされてるはずだ。むしろ好機だろ。もちろん、正面から入るつもりはないぜ」

 その言葉どおり、いつも法恩寺に行く際に使う小路より一本北から右街に入ると、そのまままっすぐ進んで行った。

 法恩寺の北は裏門側にあたるため通常は通用口となるべきものだが、境内の北東角にある件の建物に近いせいか、現在は閉鎖されている。おかげで北の小路から寺に近づいてきた二人を、見咎めるものは誰もいない。

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