わが青春のツキミソウ
木野さくら
第1話 硝子のビー玉
高校2年の5月。
中学の頃よりも登校時間が遅くなり、初めは心配で早く家を出たりした。しかしそれも1年も前のこと。今ではどの時間の、どの電車に乗ればいい感じで、いい時間に、授業開始数分前に着くのかだいぶ分かるようになった。
「今日あつ…」
緑のよく映える道を歩く。
地球温暖化だとかで、梅雨前だというのに25度以上の気温。日差しも暑い。もう梅雨越して夏にでもなったんじゃないの。
熱いため息を吐きながら木造で出来た駅舎のベンチに座った。
「あー、ちょっと早かったか…」
時刻表をちらっと見てから携帯の画面の時間に目を戻す。相変わらず、本数が少なすぎる。もしいつか遅刻したらどうしよう。
「はあ…」
まだ電車が来るまで時間がある。
喉が渇いたな、と思ってきた。
一応こんな田舎にある無人駅の駅舎でも、自動販売機はある。わたしの持つICカードはこの駅の改札口では使えるが、違う駅ではワンマンカーの電車のため、車掌に見せて降りるのだ。便利なのか便利じゃないのか分からない。
まぁ、まだこの駅は無人駅の中でも便利な方だと思っておこう。
「えー…と」
たいして新しい商品が並んでいることもなく、いつも見ているようなものばかり並ぶ自販機の前で悩む。こういうとき、わたしの優柔不断の性格が出る。
「全部飲めるか分からないし…」
ボタンを押し、ピッという音が鳴って商品が音を立てて落ちた。
結局、紅茶。これを家でできたてのものを飲んでいたら、朝から優雅なことだ。
「あ、来た」
ひとくち、ふたくち、と飲みキャップを閉める。やっぱり全部は飲めなかった。キャップが正解だ。
やってきた電車に乗ろうと片足を踏み出した。
「あ、ちょっと」
くい、と後ろに引っ張られた感触。
急な事に反応が遅れた。
「…え?」
「これ、落としてない?」
後ろを振り向くと、わたしのICカード。
どうやら、落としたらしい。ブレザーのポケットに入れてたと思うんだけど…。
すいません、と拾ってくれた人にお礼をと思い顔を上げようとすると、電車が発車するというアナウンスが聞こえた。
「やばっ」
「あ、ごめん引き止めて。-いってらっしゃい」
どん、と背中を軽く押され、電車の中に駆け込む形で乗ることが出来た。
「あ、ちょっと…!」
朝からいつもと違うことが起こりすぎて、何が何だか分からない。お礼も言ってないし、と思い、振り返ってその人の顔を見た。
「またね」
「はい…?」
私服の男性。髪は色素が薄く、女顔。
わたしが思ったのは、かっこいいなとかそういう事ではなく、ただ、どこか違う雰囲気を出す人だなと思った。
*
「……」
次の日の朝。今日も少し早めに家を出た。
なんとなく、昨日の事がずっと頭の片隅に残っていた。お礼が言えなかったという事と、どこの誰なのかというのが気になった。
また会えるかもしれないと思いながら、改札口を抜けた。いつものベンチ。
「やっぱりいないか…」
でも昨日の人、電車にも乗らずになんでここに居たんだろう。本数も少ないし、次来るのは何時間も後だ。学校や仕事に行くにしては、格好は私服のようだった。
「(考えたら考える程不思議な人…)」
「あ、やっぱりいた」
聞こえるはずのない他人の声。
わたししか居なかったはずなのに、なんて考えはその人の顔を見てから気が付いた。
「き、昨日の…!」
「よく考えたら、女の子にいきなりあれは酷かったよね」
ごめんね、と持っていた本をパタンと閉じて何事もないように笑顔で謝ってくるその人は本当に謝る気があるのかないのか。
「あ、昨日…ありがとうございました。その、カードを…」
「…ああ。いいえ」
一瞬なんのことかと思われたみたいで、目をパチパチとし、真顔になった。
「あれ無くしちゃまずいでしょ。降りられなくなるし」
「え、ええ…」
「今日も早いね」
「外の方が風があるし、気持ちいいかな、って…」
「うん。俺もいっしょ」
本当の事を言えるはずも無く、咄嗟に答えた嘘。でもそれを、この人は笑顔で俺も、と同意してくれた。その笑顔は嘘偽りない綺麗な笑顔で、純粋に同意してくれたと考えると、なんだか悪い気がしてくる。
「最近ここに来たんだけど、都会よりいいね。自然豊かで」
「…そうですかね。都会のほうが、いろいろと便利だと思いますよ」
「いや。ここよりずっと、汚れてるよ」
笑顔が少し曇ったように見えた。
しかしそれもすぐに優しい顔に戻り、もうすぐ電車が来る時間じゃない?と問いかけてきた。
「あ…」
「今日も無事行けそうだね」
「あ、そのことも…ありがとうございました」
「ううん。いいえ。いってらっしゃい、柊ちゃん」
「え?なんで…」
電車がホームに向かってくる。その人の言葉に驚いて振り返った。しかし、そこにはあの人はいなく、変わりにあの人が持っていた本が置いてあった。
「わすれもの…?」
日記、という題名が書いてあるその本。中を見てみたい気にもなったが、他人のものだ。勝手に見るのは…と迷っていると、ドアが閉まるというアナウンスが流れ、慌ててその本を持ってきてしまった。
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