すれちがい

藤村 綾

すれちがい

《どこにいるの?》

 突然電話をかけてくる彼。

 あたしは、駅にいた。今、まさに東京ゆきの新幹線に足を踏み入れたところだった。

《ああ、うん、ちょっと、用事で》

 駅の喧騒の中で、彼はあたしが今どこにいるのか、はっきりとわかっている。

《なに?どうしたの?》

 足を踏み入れた新幹線からくるりと向きをかえ、猛ダッシュで、階段を上がったトイレにかけこんだ。発車まで後、5分。

《あ、お昼から時間があったから、さ、》

 あったから、さ。で締めくくる。あたしから、じゃあ、会いたいとゆわないと、彼からは絶対にゆわない。ずるい、と思う。けれど、もう、今更だ。あたしは、素直にゆった。

《今日は無理なんだよ、今から出かけるから》

 でも……。行かなくてはならないとわかっていても、彼からの電話に単純に喜び、会いたいよ! そう、叫びたいのを、ひどく我慢し、あたしは、別の話に切り替えた。

《じゃあ、来週っことでいい?》

《ンー》ひらがなの、んー、ではない、カタカナのンー、とうい感じの声を聞いて、しばらくしたのち、彼が、付け足すように、ゆった。

《ワカラナイナー》

 また、カタカナでの単語が浮かんだ。

《わからないって、なにそれ?》

《来週になってみないとわからないってこと》

 自分勝手な意見。

 あたしのほうが、大好きだから、なにもゆわないと思っている彼。けれど、事実なにもゆえない。嫌われてしまうのを恐れ、従順するしかできない。惚れたら負け。本当にこころから思う。

《じゃあ、連絡待ってる》

《ああ、》

 電話が即座に切れた。彼はどうしてあたしが駅にいたのかの、くだんには全く触れなかった。どうでもいいのかもしれないし、聞いても濁されると踏んだのだろうか。東京で知り合いの個展があり行くとゆったしまったので、行くだけのことだった。

 けれど、本音は彼に至極あいたかった。

《行くなよ》

 そうゆったなら、行かなかった。会えないことに、後悔する。今はいつ会えるか定かではない彼からの電話だけが、日常の中で唯一無二に一番になっている。

 依存しているのだろうか。彼に。それとも、恋愛に。愛に。人に。

 誰かを思っていたい。

 誰かに思われたい。人間は欲深い生き物だと思う。

 自己肯定的な生き物。あたしもその一員だ。


 東京駅近隣のビジネスに泊まり、始発で帰ってくる途中、鞄の中で、スマホが振動した。朝の9時前だった。

《起きてるの》

 またしても、彼だった。

《え?どうしたの?日曜だよ》

 怪訝そうな口調で問いただす。日曜日に彼が電話をしてくることがなど、ここ最近まるでなかったから。

《現場からの帰り。昼にはそっちに着くけれど》

 けれど。語尾がきちんと、切られる。

 けれど、なに? ゆおうとした。けれど、やめて、やっぱり、

《あえるの?》

 また、自ら心の中の声を音に変換してしまった。あー、頭を抱えつつ、彼の言葉を待つ。

《うん、昼にいつものホテルでいい?》

 彼が当たり前にような感じで口にした。別々でゆくホテル。ホテルであって、ホテルで別れれば、2人でいるところを見られることもないし、安心だ。地元のホテルだけれど、一緒にいなければ、言い訳などいくらでもできる。

《じゃあ、あたし、先にホテル入ってるね、後で、部屋番号をメールする》

 彼は、うん、わかった、と、ゆい、後でね。ひとこと添えてから電話を切った。

 まさか、会えると思わなかった。驚嘆しつつも、顔がにやけているのが、いやでもわかる。昨日、会えなかったから、彼もまた、後ろ髪を引かれたのだろうか。あたしと、同じ思いだったらいいのに。同じ気持ちなのだろうか。ただ、抱きたいだけ。いろいろなことが頭の中で渦を巻く。あたしたちは、すでに終わっているし、先はないのだ。彼は開き直ったのだろうか。散々、あたしを泣かし、苦しめ、捨てたくせに……。

 別れても、別れても、求めあってしまう。

 考えても応えが見つからない。求めあうは、もはや心ではない。心よりももっと、違うなにか。なんだろう。頭の中で模索しながら、あたしは、新幹線に揺られ寝息を立てていた。


【803号室です】

 部屋に入り、即座にメールを打った。

 初夏を思わす気候になり、うっすらと汗をかいたので、先にシャワーを浴びた。

 ホテルに先に入るなんて初めてだった。彼が先に入って待っている、そんなことは度々あったけれど、あたしの方が先にはいるなんてことは今までなかった。

 距離を感じた。距離は場所とかの距離ではない。あたしと、彼の取り巻きの距離をだ。

 下着だけつけて、ソファーに横たわった。疲弊した身体がソファーに沈む。あたしは、ぼんやりと、スマホを弄っていた。

 『かちゃ』

 玄関先から扉の開く音がし、音のした方に目をやると、彼が、オス、と、ゆいながら普通に入ってきた。

「え? 勝手に入れるんだね。知らなかったよぉ」

 あ、そう? なんて顔をしながら、あたしの買ってきたビールを見つけ、ガサガサと取り出し、いただきー! の言葉と同時、プルタブを開ける。

 そちらに目をむけつつ、あたしは、小さく呟いた。

「え? 今日皆、家にいるんじゃないの?」

「いるよ」

 普通にいうので拍子抜けするも、大丈夫なの? 心配口調で付け足した。

「大丈夫じゃあなければ、こないでしょ?」

 あたしの顔をまじまじと凝視しながら、彼が隣に座った。

 彼にあうと、ほっとする自分がいる。包まれているような、感覚にとらわれる。言葉はあまりない。天気がいいね。うん、そうだね。けれど、朝は冷えるよね。うん、そうだね。他愛のない会話でも、どこかも寂しげな感じに杞憂しながらも、どうでもいい話が続いた。

「よっと」

 彼が話の区切りで立ち上がり、シャワーをしに、お風呂に向かった。

 シャワーの捻る音。シャワーが床を打ちるける音は、いつもあたしをどきどきさせる。あたしは、薄く唇を噛んだ。

 タオルを腰に巻きながら、彼がソファーに腰を降ろす。あたしの太ももを彼がそうっと撫ぜた。

 「あ、やだ、ダメ、明るいし、やだぁ」

 彼が迫ってきて、あたしは、羞恥心を掻き立てる行為をうまく受け入れることができず、お願い、目を潤ませ、ベッドにお願い、ねぇ、と、懇願をした。

 無言のまま、手を引っ張られ、ベッドに寝かされた。

 薄暗くなった部屋で、あたしは、目を綴じ、彼の中で溺れた。もがいて、苦しんで、啼いて、喚き。彼の背中にしがみつき、好き、好き、何度も、何度も囁く。けれど、彼は、なにもゆってはくれず、好きとゆったあたしの言葉は全く不毛なものとなり、彼は耳を塞いだ。聞こえていないふり。彼は正直、愛だの恋だの、に辟易している。わかっている。互いに疲れているのだ。

 ただ、求め合うものは、互いの肉体。肉体を求め合うさきにあるものなど、もう、なにもない。ただ、永遠に交わることのない、心と心。言葉がなくても、わかっている。あたしたちは、本当に好き同士だということを。彼は認めたくない。現実からなるべく目を背けたい。そんなところだろう。

 抱かれているときだけ、素直になれる。解放されて、解き放たれた、とき、あたしたちは、やっと、一つになる。抱かれる意味。あたしは、ひっそりと、涙を流す。そう、涙を流すことだけが、あたしに許された行為なのだ。言葉にできない感情の表現方法は泣くという行為以外ないのだから。

 ベッドから立ち上がり、ドアを開ける。

 白昼の日曜日。青空が異常なくらいひどく蒼かった。

「なあ、行くか」

 目を細め呟く彼を一瞥し、あたしは、薄く笑う。

「ねぇ、お願いがあるの」

 

「は?やだ。ダメ」


「まだ、なにもゆってないじゃん! 」


 平和そのものな会話の中、淀んだ空気が初夏の風と交換され部屋を染めてゆく。

 


 

 

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すれちがい 藤村 綾 @aya1228

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