クレハ-1





 



 

 一方、病室を後にしたクレハは急いでそのまま同じ兵舎の三階へと向かった。


「状況は」


 扉を開けた瞬間、複数の視線が一気にクレハを射抜いた。部屋の中にいたのは彼の右腕であるガランデとガランデ班の中でも情報が早いチュナシ、そして一階の病室に残してきたマテラ班の残りの二人だった。


「学院長が今朝早々に議事堂にやってきました。議会は大荒れだったようですが」

「地下街の動きは不気味なほど静かですよ。一体奴らはどこに消えたのか」

「現皇の側近のシザーが数日前から姿を消しています。何か現皇の密命を帯びていると考えるべきかと」

「ホシの目星は?」

「やだなあ。聞かないでくださいよ。ついてたらいの一番に報告しますって」


 部下たちがそれぞれに好き勝手に話す報告を聞きながら、クレハが指定の位置に座った。


「そもそも将軍はどの段階で今回の一件をお気づきになったんで?」


 はげた頭を摩りながらそう問いかけてきたのはクレハの倍近い年のチュナシだった。

 パッと見ただけで正規の士官上がりでないことはよく分かる。彼はクレハが地下街から自身の手で引っ張り上げてきた男だ。


「いや。気づいたのは俺じゃない」


 部下の視線が一斉に自分に集まる。


「現皇だ」


 部下たちは何も言わない。

 わかっていたのか、予想外だったのか。彼らの反応はわかりにくい。


「さて、整理しよう。昨日昼前、唐突に学院の一部が何者かによって乗っ取られた。使用されたのはある程度神術に詳しい人間なら誰でもできる人払いの結界。ただ、既に張られている学院の結界に無理やり入り込んだ挙句、馬鹿みたいな規模を一気に結界で隔離した」


 クレハはそこまで一気に言い切って、同じ卓を囲んでいる部下たちの顔を眺める。卓上には上宮と学院の詳細な地図がある。


「やり手ですね」

「その場にいた学生によると、物凄い腐臭がしたらしいです」

「〝腐蝕〟、やっぱ〝鴉の宿木〟だと思います」

「いや違う」


 まだ二〇代そこそこの若者、ヨーの言葉をチュナシが否定する。


「おらあ単独犯だと思いますね」

「根拠は」

「思想がない」


 端的な言葉に、その場にいるチュナシをじっと見た。


「〝鴉の宿木〟っつーのは思想犯だ。将軍もよーくわかってるでしょ。今回の行動に思想が全くないわけじゃないかもしれないが、それにしてはメッセージ性が薄い。この事件を知って群衆はどう思います?よくわからんでしょう」

「それは、反撃の狼煙って意味なんじゃないんですか」


 ヨーの言葉は、クレハ自身も考えたことだ。


「だとしたら効率が悪い。以前の〝鴉の宿木〟なら狼煙を挙げるにしてもそこにメッセージを組み込みましたよ。摩道を愛するものよ!今が立ち上がる時だ!ってね」

「なるほど、確かにチュナシの言うことも一理ある」

「だが、これほどの力を持つ神術師がただのごろつきとは思えんな」


 今まで黙っていたガランデが、そこでようやく声をあげた。マテラ班の若手らが強く頷く。しかしチュナシは言葉をやめなかった。真っ直ぐにクレハ将軍を見て、自分の意見を述べる。


「十年前、奴らは一度壊滅寸前まで陥ってます。正直今のあいつらにかつてほどの力があるのかどうかは怪しい。それに今回は怪我人ばっかで死者は一人もいねえ。以前の奴らなら考えられないでしょう」


 〝鴉の宿木〟は十年以上前にこの都を乗っ取り、クーデターを成功しかけた組織だ。

 その際にどれだけの血が流れたかは、ある程度年のいってる者なら忘れようとしても忘れられない。


「目的が以前と違うのか。我々をどうこうするための行動ではなかったと言いたいんだな?」

「ええ。さすが将軍話が早え」

「おだては要らん」

「十年前に壊滅しかけている奴らに以前のような組織力があるかどうかは怪しいもんです。おれは今回の事件は奴らの関係者か、奴らの名前を語る単独犯だと考えます。まあ、どっちにしたって、ガチでやったらちびっちまうぐらいの神術師には変わりねえですが」

「単独犯か。そこまでは俺も賛成だ。ただしその単独犯と〝鴉の宿木〟との関係はもう少し慎重に考えた方が良いだろう。どちらにしろ、ここまで騒動が大きくなったことも奴らにとっても不本意なのかもしれん」

「おそらくそうでしょうな。確かに今回の騒動で民衆に〝鴉の宿木〟の復活を印象付けることは出来たかもしれませんが、それ以上の何かは何もない。損害と言えば学院の寮が少し壊れたぐらいで、奴らの労力に見合った何かが得られたとは考えづらい」


 老獪の将であるガランデの言葉が不思議な重みを持って卓上に響く。


「では、奴らが得たかった何かとは何だろうな」


 続くクレハの言葉に、部下たちは黙り込む。


「………組織の、シンボル、とか?」


 今まで議論にあまり口を出さなかったマテラ班のアランが、ぽつりとつぶやいた。

 行き詰った卓上の面々に、その言葉がじわじわと浸透していく。


「単独犯だとして、単身で国の中枢である学院に潜入するのは大変危険です。結果、大きな騒ぎを起こした割には大したものは得られなかった。にも拘らず、それらを顧みず学院に潜入したのは、どうしても手に入れたいものがあったから。メッセージ性を大事にする思想犯で、かつてほどの組織力がないのだとしたら、その組織力を取り戻すため、自分たちを奮い立たせるためのシンボルと言うか大義名分のようなものが必要だったのではないでしょうか」


 若い声が興奮を抑えながら静かにそう言いきった。その迷いのない視線を一瞥して、随分といい若いのが育ったとクレハはほくそ笑んだ。彼の愛すべき部下たちは、着々とその実力と勢力を伸ばし、この国の一角を担うところまで来ている。


「アランといったか、良い視点だ。あまり考えたことがなかった。奴らに大義名分か……考えたくないな」

「だとすると、それがどうして学院の中にあったんでしょうな」

「早く目星をつけないと、次も出遅れますぜ。奴らはきっとまたやってくる。学院の結界に潜り込んでまで手に入れたかった何かだ。そう簡単に諦めちゃくれませんよ」


 チュナシの厳しい指摘をクレハはひらひらと手を振っていなした。


「わかっているさ。とりあえず、面白そうなのを何人か拾ってきた。今マテラ班の若いので色々聞きだしているところだ。ガランデと二人はここに残り俺の耳となってもらう。チュナシは地下に潜って探ってみろ」

「へえ。もう一人ぐらい足が欲しいですが」


 チュナシが直属の上司であるガランデを盗み見る。


「……好きなのを連れていけ」

「へえ!それじゃあ二三日したら報告しましょう!」


 それだけ言うと、嬉々としてチュナシは部屋を出ていった。元々地下街の溝沼で生きてきたような男だ。上宮の清廉された空気はどんな毒よりも彼の身体を蝕むらしい。

 ガランデが思わずと言った様子でため息を漏らす。


「……優秀な男です。優秀な男だからこそ、何とも惜しいですな」

「あれが地下街出身なことがか?上宮にいることだけが幸せではないと体現してくれる良い存在じゃないか。我々の価値観が偏ることを防いでくれる」

「ええ、本当に。貴方のおかげで思う以上の人種と関わるようになってしまいました」

「はは!まだまだ働いてもらうぞ。アラン、ヨー、お前らはガランデに付き、上宮を探れ。この魔窟の渡り方をしっかり仕込んでもらえよ。マテラからは俺から話を通しておく」

「はい!」

「わかりました」

「……さて、俺はそろそろ会議に行くか」


 壁にかけかけてある時計を見ると、あと半刻もしないうちに議会が始まってしまう。クレハは心のどこかを入れ替えるように、大きく息を吐いた。


「ご武運を」


 物々しい顔つきでそう送り出す生粋の軍人に、クレハは思わず苦笑いをした。


 そう、ここから先は軍人では踏み込められないもう一つの戦場。アランやチュナシに見せていた厳しくもどこか親しみのある上官の顔は捨て、クレハの顔には能面のような笑みが宿る。それは琴子が見ていたようなやる気のない横顔とも異なる面。

 クレハは飄々と片手を振って、会議室から議事堂へと向かった。




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