回想-2
「あの、明日からここでお世話になります。琴子と申します…!」
三人に向かって深々と頭を下げる。とりあえず、最初の挨拶だけはきちんとしなければ。
「アドリア家の息子さんから話は聞いてるよ。色々あったんだねえ。とりあえず自分の身の振り方を決めるまではここで働くといいよ。急な話だったもんで、お給金を払うのはもうちょっとかかるだろうけど、ここに居れば住むところと食べるものには困らないからねえ」
三人の中で一番年配と思われる人が、のんびりとした口調でそういった。
優しげな雰囲気に琴子も少しだけ緊張がほぐれたが、アドリア家の息子さんが言っていた色々な事情が気になってしまう。シャンは何も言ってくれなかったが、どういった理由で琴子をここに紹介してくれたのだろうか。
「仕事はいっぱいあるからね、簡単なのからやってくれればいいから」
「はい。ありがとうございます!頑張ります!」
「ああ、そうだ。部屋に案内してあげなくちゃいけないわね。ユズリ、お願いしていい?」
ユズリと呼ばれたのは、最初に出会ったあの女の人だ。
ユズリさんは黙って頷くと剥きかけの芋を机において、琴子についてくるよう手招きをした。両手の荷物を持ち直して、いそいそと彼女の後をついて行く。
ユズリさんは朝注文を受ける台をあげ、中に入っていた。
その後に続くと、使い込まれた厨房が見えた。大きな鍋がいくつもある。壁にはお玉やフライ返しがいっぱいかけてあり、琴子にはよくわからない調理器具が置いてあった。
ユズリさんはそこをぬけ、さらに奥の扉を開ける。
「この奥が従業員の住む場所だよ。皆住み込みで働いてるから、私もケーナさんもミュルネさんもここに住んでる。奥の三部屋が空いてるから、どれでも好きなのにするといい」
扉を開けると真っ直ぐな廊下が続いていた。
両端に扉が三つ。奥の行き当たりのところにもひとつあった。
「ありがとうございます」
「ああ、そうだ。うちの食堂は朝が一番忙しい。ほんとはあんたにも手伝ってもらいたいけどいきなりじゃ時間を食うだけだから、あんたには主に夜の仕込みを手伝ってもらいたい。今日はたまたま仕入れが少なくて夜営業ができなかったけど、祭日でもない限りは基本朝と夜、昼はしない。賄は三食でる。朝は朝営業が終わった後、昼は夜営業の仕込みが終わったら、夜はすべての片づけが終わったら軽く食べる。きつい仕事も多いけど、まあ大体は女三人で気楽にやってるから、あんたもそんなガチガチに緊張しなくていいからね」
淡々と説明していくユズリさんの言葉を必死に頭の中で覚えながら琴子は何とか頷いた。
思っていたよりもずっと感じがいいのは確かだ。
ただ、厳しい部分は物凄く厳しそうだけど。
「私はユズリ。西部の出身だ。さっきあんたに話しかけたのがミュルネさん。ここの古株でケーナさんのお姉さんだ。分からないことがあったら私か、ミュルネさんにきくといい。あの人が大体のことを決めているから」
「わかりました。あの、明日は何時ぐらいに起きればいいでしょうか?」
「そうだねえ。あたしたちはだいたい四時ぐらいに起きてるけど、あんたは七時まで起きてくれたらいいよ。しばらくの間はあたしにくっついて、言われた仕事をこなしてくれればいいから」
「わかりました。ありがとうございます!」
「他に分からないことはあるかい?」
「いえ、今はないです。また何かあったら伺います」
「そうだね。あたしの部屋は左の手前から二番目だから。気軽に声かけてくれよ」
そういうとユズリさんは先に外へ戻っていた。
琴子は握っていた荷物を置いて、とりあえず奥の三部屋を覗いてみる。
どれも間取りは同じだと思うが、気に入った部屋に荷物を運び入れればいい。
そうしたら服を着替えよう。
誰も何も言わないが、ユズリさんの反応から琴子の服装を怪訝そうに思っているのがわかった。
もうここに来るまでのような居心地の悪い思いをするのはたくさんだ。
(ロウたちのとこに戻ったら、キチンとシャンになんて説明したか話してもらわなきゃ)
三つの部屋を見て回って、結局一番日当たりのよかった突き当りの部屋にすることにした。
廊下に置きっぱなしだった荷物を運びいれて、とりあえず着替えを探す。
これから冬になるからと、ロウが厚手のものを買うようにうるさかったので随分服が嵩張ってしまった。
その中でも薄めのものを選んで引っ張り出した。襟ぐりの部分に刺繍が施されたシンプルなAラインのワンピースだ。上下を考えるのがめんどくさかったので出来るだけワンピースを買うようにした。
あとは動きやすいようにズボンとシャツ。ロウには男みたいだと笑われた。
「ふう……」
止まってしまいそうになる身体と頭にムチを打って、次にやることを考える。
着替えて、すぐ使いそうな生活必需品だけを袋から出して、部屋に置いてあった棚の上に置いておく。
部屋の中にはベッドと小さな棚、それから洗面台がついていた。どれも少し埃っぽいが十分に使える。大きな格子窓にレースのカーテンが揺れていた。
窓の向こうにはもはや見慣れた森が見えた。
必要最低限の準備だけをして、琴子は食堂へと戻った。
一番奥の突き当りの部屋を使ったことを伝えると、すぐに寝られるようにユズリさんがベッドを用意しておいてくれると言った。ありがたくその好意に甘えることにして、琴子はロウたちのところに戻ることにした。
ミュルネさんに遅くとも日付が変わる頃には戻ってくるようにと言われ、一番奥の部屋の鍵と、厨房の扉の鍵をもらった。
「それじゃあ明日からよろしくね」
「はいっ、こちらこそよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げて食堂から出る。
気さくそうな三人の様子に琴子は少しだけ安心した。
琴子が部屋を出た直後。
バタンと扉が閉まると、もう中の様子は外には漏れない。
シャンは振り返り、ロウのことを横目で睨み付けた。
「………何考えてるんだよ」
「何がだ」
「あまりにも協力的すぎないか?あの子がここに居ついて俺らに何の得があるんだ」
「あいつを野放しにして、俺らに何の得がある?」
もくもくと、部屋に散在している本を片付けていたロウがおもむろにシャンに向き直る。
ロウの眼が真正面からシャンを捕えても、不服そうなシャンの表情は変わらない。
「得はなくても、損もない。あの子は危険だ。そりゃ最初の夜は、お前の訊問でかなり怯えていたし、かわいそうだと思ったし、俺自身彼女は無害だと思った」
「………学院長に何か言われたか」
「別に」
「………」
「ただ釘を刺されただけだ。何を企んでるんだって。ロウ、俺だって知りたいよ。お前が何を考えてるか」
「………」
「今回は協力してやったけど、俺がいつまでもお前のゆうことをほいほい聞いてると思ったら大間違いだぞ」
「……なんだ、出世に目がくらんだのか」
瞬間弾かれるようにシャンがロウの胸倉を掴んだ。そしてそのままぎりぎりと締め上げる。ロウはかすかに眉をひそめた。
「人をおちょくるのもいい加減にしろって言ったはずだぞ」
唸るような言葉にもロウは動じない。
掴んだシャンの腕が震え、ギリ、と、首元が締まっていく。
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