はじまりの日-2
女子寮と男子寮の兼用になっている食堂に見知らぬ女の子がやってきたのは二・三日前のことで、なんでもシャンの知り合いの少女らしい。何やら事情があるようでシャンの口利きで食堂の雑用をやるようになったとか。別にシャンから直接話を聞いたわけではないから確かなことは分からないが、面倒事を持ち込むのが大好きなあそこのことだから今更驚くことでもない。
狙撃場から離れて暫くいった頃だった。丁度木々の向こうに寮が見えた。
ふいにランが別方向を見て立ち止まり、訝しげに何かを見ている。
「アーリア」
「なに、どうしたの?」
「あの子がさっき話題に出てた女の子?」
「えっ?」
ランが一点を指さす。アーリアも目を凝らして、木々の向こうを見つめる。
確かにいた。
女の子が一人。走っている。
森の木が邪魔をしてよく見えないが寮からこっちの方向へ走ってきている。確かにあの食堂で働いている女の子だ。
「なんか訓練場に向かってない?」
「………この先が+Aの訓練区域だって知らないのかしら」
「そうかも。普段こんなところ来ないしね。危ないって言いに行こうか」
ランがそういった時、女の子の周りに一瞬黒い影が見えた。
「え、」
半透明の黒い影。
血に染まったような紅い仮面。
「あれって…!」
アーリアが瞬きをしているうちに不気味な影が少女を囲む。掠れた悲鳴が聞こえた。
「〝鴉の宿木〟!」
言うが早いがランは地面を蹴りだしていた。
アーリアも慌てて自分のエフェクトを起動させる。
『嵐が来る。逃げられない。波は高く、』
ランが詠唱を始めた。駆け出したランが少女のところに行き着くよりも早く、一人の影が振り返り彼女に向かって手を向けた。
『散』
『船は沈む。逃げられない君はそこにいるしかなっ』
影が出した突風によってランが吹き飛ばされた。
「ラン!」
まさか、どうして、こんなところで!
すべての仮面がアーリアを見た。異質な雰囲気に、一瞬飲まれそうになる。
「私は平気っ!」
地面に落ちつけられながらも体勢を立て直したランが叫んだ。
バチバチィ‼
吹き飛ばされる直前にランが放った術式が展開し、紫電が影を地面へと縫い付けた。
影がゆらりとゆれる。身動きが取れないのだ。
紅い仮面が無機質にこちらを見る。
瞬間乾いた銃声が仮面を撃つ。アーリアが自分のエフェクトを構えていた。彼女に与えられたのは炎属性の拳銃。撃った対象を内側から爆破する。
『爆ぜろ』
爆音が辺りに響いた。
爆発の勢いにランが思わず顔を覆う。
「仕留めたっ?」
「いや、弾かれた!」
狙った弾は当たったはずだがアーリアの術は弾かれた。
もうもうと立ちあがる煙の中、一番に飛び出してきたのは、不気味な影でも、あの少女でもなかった。
「なっ」
「ロウ!?」
『風よ押せ!押せ押せ押せ押せっ!』
どこから出てきたのか。
いなかったはずのロウがスピード強化の呪文を重ねに重ねて、突風のように木々を抜ける。その腕には少女が抱えられていた。
一拍おいてあの影たちも物凄いスピードでロウを追いかけはじめる。
ランを吹き飛ばした奴とは違う影がまたロウに向って手を向けた。
『散』
鎌鼬のようなものがロウのすぐ横を走った。途端に目前の木が真っ二つに割れる。
ロウと影の移動速度が速すぎてアーリア達は手出しができない。
ギリギリのところで倒れてきた木を避けるとそのままロウが呪文を叫ぶ。
『此処が何処だか忘れている。自分が誰かもわからない。右も左もわからぬのなら、私を救え!森の騎士!』
轟音が聞こえた。
ロウの詠唱が終わると同時に周囲を囲んでいた木々が走る影へと襲い掛かった。葉っぱが散弾のように影を貫き、木々がロウの後を追えぬように道をふさぐ。確かな敵意を持って枝や根が逃げ惑う影を縛り上げた。
「まさか、いまの精霊呪文……?」
ぽつりとつぶやくランの声が聞こえた。呆気にとられていたアーリアだが、仮面が動かなくなったのを見るとすかさず自分のエフェクトを構える。
(たぶんあの仮面が本体だ!)
ロウが動きを封じているうちに何とかしないと。
制限いっぱいまで神力を込めて引き金を引く。
銃声が何発か響いた後、全ての影の仮面が音をたてて燃え始めた。
「ロウ!」
地面にぶつかる音がした。
スビード呪文が切れたロウはそのまま地面に突っ込むようにして倒れた。
かろうじて少女を下敷きにしないように自分の胸へ抱え込んでいる。
彼のもとに駆け寄った二人はロウの様子を見て視線を合わせた。服は裂け血が滲んでいる。
「ロウ、応急処置をするわ。彼女を放して」
「シャ……」
呻きながらロウが何かを言おうとする。
腕の中の彼女は衝撃で気を失ったままだ。
「なに?何があったの?」
「シャンが、怪我、」
「うそ!」
「ロウ、シャンはどこにいるの?」
「食堂だ…!」
「ラン」
ランはアーリアと目を合わせると一つ頷いてそのまま寮の方へ走っていく。
「ロウ、これはどういうことなの?どうして〝鴉の宿木〟なんかに追われてるのよあんたは!」
上宮のお膝元であるこの学院に、〝鴉の宿木〟が襲撃してくるなんてただ事ではない。
手早くロウの傷を調べながら、アーリアの表情は険しくなるばかりだ。
ぱっとアーリアが見ただけでもロウの傷は相当のものだった。
切り傷、打撲、特に左脇腹の出血がひどい。素早く止血をするための呪文を唱える。
こんなのはあり得ない。ここは学院の中なのに。
「今までの厄介ごとの比じゃないじゃない!一体あんた達は何考えてるの!」
アーリアの応急処置では限界がある。
次に何をすべきか考えあぐねているとき、気を失っていた少女が目を覚ました。
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