琴子-2
「まぶっし」
目を焼くような朝日に叩き起こされて、琴子はこの世界の朝を迎えた。
泥沼にはまるような睡眠からまだ頭が抜け出せない。部屋を見るとカーテンが閉められていなかった。そのせいで眩しいだけの朝日が暴力的に室内に差し込んでいる。
朝起きても世界は相変わらず奇妙なままだった。
制服のまま寝たせいで妙に身体が凝っている。肩を回して体を伸ばしながら、世界が何も変わっていないことを密かに恨んだ。
(そうは上手くいかないってか。夢落ちはファンタジーの鉄板だろうに)
だんだんと心の整理が出来てきた。やっぱり一晩の睡眠は素晴らしい。
今何か、琴子の常識じゃ考えられないことが起こってる。もうそう納得するしかない。だって本当に意味不明だ。電車に乗ったら電車が落ちて、気が付いたら全く知らないところに居ました。建物も内装もどこか古めかしくて、まるで日本じゃないようです。
おまけに私を捕まえた人が言うには、ここは東の大国で、なんとかっていう術?が使える?
「んなアホな」
笑っちゃう。本当に笑っちゃう。
だから琴子がいますべきことは、そんな馬鹿げた状況を馬鹿みたいに真面目に考えるんじゃなくて、なんだっていいから、帰る方法を考えること。このとんでもない状況から抜け出す術を見つけること。
一人でウジウジ考えるのはいつだって出来る。
ベッドの上でストレッチを続けていると、外から朝の活気が聞こえてくる。昨日は気づかなかったけれどここにはたくさんの人がいるみたいだった。琴子はふと、一つの足音がこっちに向かってくるのに気付いた。
「コトコ!」
バァンという効果音が付きそうな勢いドアが開いた。
「朝飯を食べに行くぞ!」
そういって現れた金髪を、琴子はポカンと呆けて眺めた。
「え、あ、あの……えっ?」
(な、何言ってるんだこの人……)
びっくりして言葉が出ない。
金髪は何も気にしていない様子でずかずかと部屋の中に入ってきた。
「昨日はロウが悪かったな!色々気まずいと思うけど、とりあえず今すぐお前をどうこうしようとは思ってないから、とりあえず朝飯を食べに行こう!」
(はあああああああああああ?)
そして勢いよくそう宣言すると、琴子が反応を返す前にその手を取って歩き出してしまった。大柄な彼に引っ張られてはついて行くことしかできない。琴子は転がるようにベッドを降りて、引きずられるように部屋を出た。
廊下には何人か人がいた。
思った通りここには他の人がたくさんいるのだ。
なんとなく人に見られるのはまずいような気がするのだけどそういったことは気にしないらしい。彼の足取りは迷いがない。
(なになになに、何なの!?どうしていきなり?)
出来るならあふれ出てくる疑問を口に出して騒ぎたいところだが、それはさずがに怖くてできなかった。金髪に引っ張られて何度目かの曲がり角をまがった時、ふと思い出したように彼が口を開いた。
「あ、あらためて名乗っとくと、俺はシャン・アドリア。ロウはロウ・キギリ。俺らもな、あんたの存在についてあれからいろいろ考えた。そして仮説を立てた」
「仮説…?」
「あんた、青の世界の人間だろう?」
「はっ?」
この人は何を言ってるんだろう。
琴子の困惑とした視線には気づかず、シャンが言葉を続ける。
「俺らの国に伝わる伝承に、青の世界っていうのがあるんだよ。この世ともあの世とも違う青の世界。この世界と紙一重でつながっている、そういう世界。よくうちの教授なんかは双生的関係とかいうけどね」
「それって……パラレルワールドってことですか?」
「さあ?あんたの世界でなんていうかは知らないけど。ロウ曰く、そうだとすれば俺とあんたが今こうして言葉を理解して会話できてることも説明できるらしい」
建物は意外と入り組んでいて、どんどん進んで行けば行くほど、人が多くなってきた。琴子は正直その足について行くのが精いっぱいで、ろくに話に集中できない。
青の世界?なにそれ。
急にそんなことを言われても、琴子の地元はちっとも青くなんかない。
「まあ後はロウに聞いてくれよ。俺はそういうのは守備範囲じゃないんで」
シャンがそういった時、ちょうど目的地についたらしかった。
「おせえ」
入り口に仏頂面の男が立っている。間違いない。昨日の黒髪の男だ。
琴子は思わず身じろいだ。昨日の冷たい視線がよみがえる。
向うは琴子の方を見ない。
「ちゃんと席取ったか?」
「お前と一緒にすんな」
「コトコ、ここが食堂だ。昨日お前のこと組み敷いちゃったからな。今日は俺が奢ってやるよ」
「えっ」
予想外の申し出に言葉が詰まった。何て答えたらいいか分からない。
琴子が答えないうちに、二人は入り口から中に入っていってしまった。慌ててその二人についていく。ついてはいくけど、果たしてこの二人を頼っていいかもわからない。
(……あやしい。あやしいけど、だからといってここで騒いでも)
ここは一つ、流されておくのが正解な気がした。
よく考えたらこの二人しか琴子は知らない。家に帰る方法を探ろうにも自分一人でどうすればいいだろう。今はとりあえず、状況がわかるまでこの二人の後をついていこうか。
中に入ると、まず人の多さにたじろいだ。
たくさんの学生がざわざわとしながら朝ご飯を食べている。食堂はこれだけの人が使うのには少し手狭なように思えた。
入ってすぐ目に入るのは大量の椅子と机。木製の重そうな机に、同じく木製の椅子が並べられている。机の上には等間隔に調味料が並んでいた。奥の方でおばちゃんが忙しなく動いている。あそこで注文をするのだろう。壁には一面に手書きの紙が貼ってあり、たぶんメニューなんだろう。
とりあえず、ものすごく居心地が悪い。
雑多な声の集まりは、本来そこにいない人に対してある種の威圧感を生む。
(なんか、日曜のフードコートに似てるな)
ガヤガヤとうるさいところとか、びっしりと人で埋まった机の合間もトレーを持った人がうろうろしているところとか。その中を琴子は落ち着かない様子で歩いていった。自分が部外者だというのをひしひしと感じた。
ロウが席を取っていたのは食堂の奥まったところにある一角だった。
「まあ食えよ」
席につくとロウが壁に張られたメニューを示す。
その様子に居心地の悪さなんてものは微塵も感じない。
ケロっとした態度に琴子は呆れた。朝から気になっていたけれど、彼らの中でまるで昨日の訊問はなかったことにされてるみたいだ。
琴子も壁の方に目をやる。
「えっと…これなんて読むの?」
「字は読めないのか?」
「見たことない字だから…」
「なるほどな」
「なら俺のオススメを食えよ!お前の口に合うかどうかはわからねえけどうまいから。ロウはいつものでいいだろ?」
「ああ」
シャンは気さくに(多分元がそういう性格なんだと思う)琴子の肩を軽くたたいくと、人混みの中に入っていった。
なんとなくその背中を見送る。金髪が人混みにもまれていく。
背中が見えなくなってしまうともうやることがない。
とたんに居心地が悪くなった。
琴子は手持無沙汰のまま、壁のメニューを眺めていた。せめて字が読めればメニューが読めるのに、ミミズがのたうち回ったような字は琴子が知っているどの文字にも似ていない。
「座らないのか?」
「えっ」
急に声をかけられて、上擦った声が出た。
頬杖をついたロウが、つまらなそうにこっちを見ている。
「読めないのに、見ても面白くないだろう」
「そうだけど…会話は出来るのに字は読めないの、何でかなと思って。あれがメニューでしょ?」
「会話が出来るからといって字が読めるとは限らない」
「それはそうかもしれないけど………あ、あの、青の世界ってなんですか?」
琴子は椅子に座るとロウに向かい合った。
「…正しくは蒼の世界だ。青の世界ということもあるがな。神術上、もしくは神道上で重要視される架空の世界のことだ」
「シャンが、あの、金髪の彼が、お前はそこからきたんだろうって」
「ああ。俺はそう考えている」
「なんで?」
「説明したら長くなる」
琴子は思わず顔をしかめた。
昨日の質問攻めを思い出す。高圧的で一方的で、嫌な話し方だ。
ちらりと、ロウが琴子の顔を見た。
それに気づいてはっとする。まずい。思い切り顔に出ていた。
「…………」
「…………」
琴子は気まずくなって横を向いた。何かまた、昨日のように詰問されるんじゃないかと思うと、自然と身体が強ばってしまう。目に映る何もかもが奇妙で、知らないうちに外国に迷い込んでしまったかのようだ。
「…いきなりここに飛ばされて、お前が一番意味分からないのは、俺でもわかる」
ぎょっとして、琴子は彼の顔を見た。
ロウは、まっすぐに琴子のことを見ていた。
「聞きたいことがあれば聞けばいい。俺もただお前が突然現れた理由を知りたいだけだ。昨日は……俺らもお前を疑う必要があった。ただやりすぎたかもしれない。悪かった」
「……えっ…あ、」
言葉が詰まる。
ありがとうと、言えばいいのか。他に何を言うべきなのか。正直に言うとぎょっとして、でも少しだけ安心した。ぱくぱくとただ動かすだけの口が、我ながらひどく滑稽だと思う。でも本当に、なんて返せばいいのかわからない。気まずい間に、ふたりの視線が漂う。
単純に彼の髪がとても綺麗な黒髪で、彼の肌が嫉妬しちゃうぐらい真っ白なことだけはよくわかった。
「なんだ、謝れたのか」
「!シャン」
その気まずさがどうしようもなくなったとき、タイミングよくシャンが帰ってきた。
「良かったな!気にしてたもんな、ロウ!」
「ああ?」
「ほれ、日替わりでいいだろ?コトコにはこっちだ」
両手に持ったトレイをそれぞれの目の前に置く。
ふわり。おいしそうな匂いがした。
琴子の目がついついトレイの上に引き寄せられる。シャンが持ってきたのは朝食というには豪華な定食だった。何かの調味料に漬けられた焼き魚に、野菜の胡麻和えのようなもの、蒸かした芋のつぶしたようなものが添えられている。これが主食だろうか。透明なスープにとくに具は入ってなかった。
「随分奮発したんだな」
琴子の前におかれたものを見てロウが言った。ロウとシャンの前にあるのは簡単な、サンドイッチのようなものだった。それに琴子にもついている透明なスープだけ。
二人が食べている方が一般的なものなのだろうか。
茶色いパンのようなものに、野菜とたっぷりのソースがかかっている。ロウは片手をあげて何かをすると、そのままそのサンドイッチらしきものに齧り付く。
「そりゃあ、いくら状況が状況だとはいえ、女の子に手を挙げたのには変わらないしな。コトコは気にせずくえよ!」
「う、うん…」
シャンに促されて目の前のものを見つめる。
動揺。動揺しかない。この二人が、何を考えているのかわからない。
食欲も、正直いうとほとんどない。
それでもふっと鼻をかすめる香ばしい匂いにつられてトレイの上の食器を取る。
当たり前だけど箸じゃない。先割れスプーンのようなものがここでは使われているらしい。魚は少し焦げ目がついていて、見るからに美味しそうだった。香ばしい匂いもここからきている。食器の先で少しほぐすとほくほくと湯気を立てる白い芋と一緒に口に運んだ。
「!」
「どうだ?」
「………おいしい」
魚は噛むとぎゅうっと味が出てきて、ほんの少ししか食べてないのにそれでもう十分だ。芋は普通のジャガイモよりもホクホクしている。淡泊な芋の味わいと濃厚な魚のうまみが口の中に広がる。肩の力が抜けるような、ほっとする味だ。
「だろ!?」
シャンが嬉しそうに笑う。ロウも少し意外そうに琴子の方を見た。
「そうなんだよ、やっぱ魚だよな!肉もうまいけどさ、魚のうまさはハンパないと思うんだわ!」
「いちいちうるせえな」
「なんだよロウ、青の人に認めてもらえると思ったらうれしいじゃねえか!」
「まだ決まってない」
「でもお前はそう思うんだろ?」
「その可能性が一番高いと思っただけだ」
「自分でもある程度確信があるから、教授にも憲兵にも突き出さないでいるんだろ」
シャンの言葉に、少しずつ食べすすめていた琴子の手が止まった。
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