── 夜の私室
風・二二 夜中
人払いがしてある私室は妙な静けさがある。部屋の主はゆったりとした絹の部屋着を身に着け、窓際にもたれかかっている。シザーが部屋に入ると視線を向けふんわりと笑った。
こちらへ来いと手招きされるまま、二・三歩近づく。今、室内にいるのは皇とシザーだけだった。いや、もしかしたこの宮にいるのも、二人だけかもしれない。
「皇様…何度も申しておりますがこういうことはやめた方がいいと…」
「報告は聞いた。娘は消えていたと」
「……」
あの後すぐにシザーは祭場に向かったが娘の姿はなかった。その旨をガラマス経由で報告していた。
「申し訳ありません。保護しに行ったときにはすでに人影はありませんでした。ただ私より先に誰かが祭場に入った気配もありません。私には忽然と消えたようにしか思えませんでした」
「なるほどな」
シザーの報告を受けて現皇は訝しげに眉をひそめる。
月明かりが微かに入るような室内ではそのいぶかしげな表情さえも優美であり、どこか蠱惑的でもある。
シザーは密かに視線を外した。構わず皇は言葉をつづける。
「お前を責めているわけじゃない。ただ不可解だ。あの娘は確かにあの時点ではこの宮にいたのだ。この眼に嘘が映ることはない」
「承知しております」
「ならば娘がどこかに移動したことになる。どこに?誰が?どうやって?この宮に入り、祭場まで出向き、ここから出ていったのは誰だ?重要なのはそこだ。私にはわからない。全く不便なことだ。すべてを見通す千里眼とは名ばかり……ただの疫病神でしかない。シザー、娘の行方を追ってくれないか」
「かしこまりました」
頭を垂れ忠誠を誓う。今度こそは主の意の沿うような働きをしなければ。
ただ彼の主はそんな側近の心中など知らぬとばかりに微笑んだ。
「ふふふ」
「…皇様?」
「聞かなくていいのか?娘のことを。夢見中だった私が、なぜ突然覚醒し、今までできなかった物見までして、そしてなぜ少女がいきなり現れたのか。まあ、お前は実際見ていないけどな」
「教えてくださるのですか?」
「いいや、それは無理だ。なにせ私にもわからないから」
シザーの問いににっこりと満面の笑みで皇が返す。
「……悪戯をする暇があったら身体を休ませてください」
「ふふふ、まあそういうな。我らが祖先から受け継ぐ伝書にこういう記述がある。初代の妃は稀人であったと」
「存じております。初代様の妃殿は獣人であったと。偉大なる初代様の力を制御しこの地をお治めになった、良き妃だと評されておりますね。私たち獣人がこの国では人として認めていただけるのは、初代様の妃殿のおかげです」
皇は笑顔のまま、シザーの言葉を聞いていた。
シザーが語る内容はこの国で一般的に言われている創成期の歴史。田舎の子どもでも知っているようなことだ。こんなことをわざわざ言わせるということは、裏があるのだろう。主の思惑は自分にはわからない。シザーはじっと主の反応を待った。
「これは皇族に伝わる伝承によるものだから私にもまだ何もわからないんだ。だからそう構えず聞いてほしい」
皇の表情はいつの間にか真剣なものに変わっていた。
「近いうちに、もう一度世紀末が起こる」
「世紀末、…ですか?」
それは約千年前に起こったとされる全世界同時型巨大災害。
原因不明。経過不明。その災害で人々のほとんどは滅び、多くの文明、国家が崩壊した。今存在する国々はその復興とともに成立している。皇国は世紀末後、最初にできた国の一つだ。
「それは、一体どういうことですか?」
「詳しいことは言えない。まだ私にも確証がない。ただ私の物見も娘の登場もその予兆だろうな」
「その娘、いかがするおつもりで」
「わからない。会って話してみないことには見極められない。だからここに連れてきてほしい。出来るだけ内密で。頼む」
「必ず。娘がいなくなった原因も含め、調べてまいります」
「ありがとう」
「…しばらくお世話をすることは出来ませんが、くれぐれも身体に気を付けて。まだ夢見の影響が残っているでしょうから」
「わかっているよ」
口うるさい側近の言葉に笑みを返す。
シザーは小さく礼をすると静かに私室から退室した。そのまま人気のない宮を抜け、上宮を抜け、音もなく市街の闇にまぎれていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます