第19話 天の言玉

 天使のような翼の生えた少女が、宙に浮いている。年の頃は小学校低学年ほどで、どことなく命に似ている。


『私は、天。天の道を征く者よ。あなたと、一つになりたい。さあ、私を手に入れて』


「『天』……あれが? 十二至玉にはそれぞれ意志があると聞いていますが……人の形をした言玉なんて、聞いたことが……」


 突如姿を現した『天』の言玉に、命は驚き戸惑う。


「あれは、明らかに異質過ぎます。他の十二至玉とも違う。もしかして、『天』はそれ以上の……?」


「あは。そりゃそうでしょ。あんた知らないのかい? 十二至玉の中でも『天』と『無』は別格なんだよ。あたしの『龍』が四位にあるなら、『天』はその一位。つまり、すべての言玉の頂天にあるのさ。あんたのお兄ちゃんが一番欲しがってる至玉だ」


 龍ヶ峰は小ばかにしたように笑うと、『天』の言玉を見て舌なめずりした。


「『天』と『龍』があれば……例え相手が魔人だろうと魔剣だろうと、敵じゃない。だから、大きなお友達に需要ありそうな姿形だろうと、あたしが喰ってあげる」


 龍ヶ峰は翼を広げ、『天』の言玉に向けて突っ込みながら右手を伸ばす。


「もらうよ、『天』! あんたはあたしの物だ!」


 『天』の言玉はニコっと可愛らしい笑顔を作ると、掌を龍ヶ峰に向けた。


『あなたは、違う』


 まるで時が止まったように、龍ヶ峰の体は動きを止める。そして、徐々に指先とつま先から凍り付いていく。


「何だ、動けないじゃないか、このロリ!」


『あなたはいらない。私が欲しいのは、一つになりたいのは、彼』


 龍ヶ峰の体は徐々に氷に侵食され、彼女の体を中心に氷山が築かれつつあった。


「ちくしょう、『天』が!! 目の前にあるのに! あれがあれば! あれがあれ――」


 みるみると龍ヶ峰の体は氷の中に消えていく。そして、完全に彼女の体は巨大な氷の棺の中に封印された。


「龍ヶ峰が……これが、『天』の……力」


『さあ、早く私を手に入れて。私と一つになれば、もっともっと大きな力が手に入るわ』


 『天』の言玉は天使のように微笑むと、征の目の前に右手を差し伸べた。


「大きな、力がオレの物に……」


 征の視界の端に、氷漬けになった龍ヶ峰の姿が入る。あの『龍』を一瞬で封じた力は強大だ。そして、それが自分の物になる。


『私と一つになりましょう』


 強大な力が目の前にある。さらにそれが、可憐で無垢な少女の姿で自らを求めている。


『あなたが欲しい』


 力を手に入れれば、すべてが解決する。言葉麗王の脅威を取り除き、平和な日常が戻ってくる。それだけではない。世の理を破壊し、世界すら自分の思い通りにできるかもしれない。


『さあ、早く』


「オレは……欲しい」


 征もまた、右手を『天』の言玉へ伸ばした。だが、互いの手と手が触れ合う瞬間、それは命によって絶たれてしまう。0


「征!」


 征は命に右手を引っ張られ、『天』の言玉の右手は空を切る。


「ダメです! それは……ダメです!」


「命?」


「『龍』の脅威は去りました。今ここであなたがそれを手にする必要はありません! だから、だから『こっち』へ来ないでください!」


 命は自分の左胸を右手で抑えながら、征の手を引っ張る。


「こっちへ来てしまったら、もう、後戻りはできなくなります。あなたには、今のままで……普通に生きていて欲しいから。普通でいられる幸せをつかんで欲しいから。巻き込んでおいて、こんなことを言うのは自分でもどうかと思います。けれど!」


「けど、君は『龍』に成す術もなかった。このままで、『王』に勝てるのか? だから」


「だけど!!」


 命は畳みかけるように征の言葉を遮り、つかんでいた手を放すと征を抱きしめた。


「あ」


「お願い。あなたには今のままで、普通でいて欲しいのです。お兄ちゃんのことなら大丈夫。確かに戦闘能力では敵いませんが、私には無限の命があるから……例え、肉が裂け骨が砕けても、私は勝てるまで戦います。なんとか、できるはずです。だから、こっちに……来ないで」


 地面にぽつぽつと、水滴が落ちていた。悲しみの証明、涙。その源泉は自分を抱きしめている少女の瞳。


「お願い……さっきあなたは、オレの大事な人と言ってくれました。私にとっても、あなたは大事な人なんです」


「わかったよ、命。そんなに泣かれたら、なんだかオレが悪いことしてるみたいじゃないか」


 一度覚悟を決めたはずだった。けれど、命の涙を前にしてそれを無視するわけにはいかなかった。同時に、心の底から命に感謝していた。至玉の持つ力に魅せられ始めていた自分を止めてくれたことに。


「『天』。消えてくれ。オレはまだ、このままでいい。命の涙と言葉を裏切れるほど、力を渇望しているわけじゃないんだ」


 征は『天』の言玉に向けて、きっぱりとそう言い放った。


『残念。私はいつでもあなたを求めている。それに、あなたは絶対にもう一度私を呼ぶ。私と一つになることを望むの』


「それは……どうかな」


『また会いましょう。そして、その時こそ、私と一つに』


 まばゆい光を放つと、『天』の言玉は忽然と姿を消した。


「……あれが、『天』の言玉。正直、助けられましたね」


「そうだな。ところでさ、命」


「何でしょう?」


「いつまでこうしてるんだ? オレはすごい嬉しいんだけど」


「え?」


 征の一言で命は自分の置かれている状況を確認する。瞬間、命は真っ赤になって爆発した。


「ひ!?」


 命は征に力強く抱き付いていた。それも、破けたスカートとぼろぼろの布きれになったブラウス姿のままで。


「は、離れてください! 赤ちゃんができたら、ど、どう責任を取ってくれるんですか!」


 命に両手で押され、征は地面に尻餅をつく。


「いや、こんなので赤ちゃんできないって!」


「できます! もし赤ちゃんが男の子なら、思いやりのある優しい子に育てたいです! 女の子なら、おそろいのお洋服を作って着せるんですからね!」


「な、なんだよ。途中から意味不明なんだけ……ど!?」


 征は途中でしゃべるのを止めると命に向けてのしかかった。


「命! 動くな!」


「な、何をしているんですか!」


 突如、征と命の頭上を強烈な風刃が駆け抜ける。


「いつまでラブコメやってんのよ、センパイ」


 ばらばらと氷の塊が周囲に飛び散り、龍ヶ峰が氷の牢獄から抜け出してくる。


「龍ヶ峰!?」


 征は命から体を離し立ち上がる。


「ふう。ひどい目にあっちゃった。続きしよっか、センパイ? そんな堅物女より、あたしと遊ぼうよ。きっとすっごく楽しくて気持ちイイよ?」


 ニタリ、と龍ヶ峰は同年代の少女とは思えないほど妖しく微笑む。


「遠慮しとくよ。お前と遊んでたら、体を食われちまいそうだしな」


「傷付くなあ。あたし、今までコクられたことあっても、コクったことなかったのに。初恋なんだよ、これ? それがいきなり食われちまうからなんて袖にされたら、へこんで三日は寝込むっての」


「だったら、今すぐ寝込めよ」


「ぶー。それはできません~。『天』は無理だったけど、『命』はもらっていくよん」


「ち! 逃げろ命!!」


 龍ヶ峰が一歩踏み出した瞬間、突然レトロな電子音が鳴り響いた。


「ん。メールか。センパイちょい待って」


「はあ!?」


 龍ヶ峰はスカートのポケットから携帯を取り出すと操作した。そして、画面を見て一瞬硬直する。


「……悪いセンパイ。今日はこれで失礼するね。今度はもっとイイコトいっぱいしよ」


 龍ヶ峰は『龍』の力を解除すると元の姿に戻り、制服の上着を羽織る。


「な、なんなんだよ一体」


 突然龍ヶ峰は背中を見せ、中庭を去ろうとした。


「あ、そだ。忘れてた」


 振り返り、龍ヶ峰はゆっくりと征の前に移動すると、征の顔を両手で包み込むように抱きしめる。


「し、しまった!?」


 あまりの突飛な行動に思考がついていけず、征は動くのが遅れてしまう。


「ウフ」


 首の骨を折られる。首をもがれる。顔面を潰される。いくつか悲惨なパターンを連想するが、龍ヶ峰の行動は征の想像の斜め上をいくものだった。


「な!?」


 征にとって、それは初めてだった。頬に何か温かいものが触れて、一瞬思考停止する。


「な、舐められた!?」


 龍ヶ峰に頬を舐められた。征はそれを理解するのに数秒の時間を要した。


「あは。マーキング完了」


 龍ヶ峰は口を閉じると、征を解放する。


「な、な、な、あなた、自分が何をしたかわかっているのですか!?」


 命は顔を真っ赤にして、龍ヶ峰の腕をつかんだ。


 真っ赤になって今にも爆発しそうな命に対し、龍ヶ峰はいたって冷静に答える。


「んー? マーキングですが、それが何か?」


「マーキング、って……何を考えてるんです、あなたという女は!」


「目の前であんなアツいの見せられたら、黙ってられないじゃん。あたしの本能がそうさせるのさ。メスとして、優秀なオスの遺伝子を求めるのは当然でしょ? これは、あんたに対しての宣戦布告でもあるんだよ、『命』」


「な! わ、私は彼のことを、そんな風に思ってなど!」


「ふーん。まあいいや。あんたの『命』もセンパイも、あたしが手に入れる。あ、そうそう。誤解されたくないから、一応言っておくね」


「って、今度は何だよ!」


 再び龍ヶ峰は征の顔を優しく包み込むと、耳元でささやく。


「あたし、これでも処女だから」


「はあ!?」


「じゃあね、センパイ」


 今度こそ龍ヶ峰は去って行き、後に残されたのは呆気にとられた征と命だけだった。


「何だったんだ、あいつ……」


「理解できません……まるで、本能のまま生きる獣のような女です、彼女は……」


「だな。それはそうとして……命。賢見はどうしてる?」


 征が賢見という単語を出した瞬間、命ははっと表情を固くする。


「いえ、それが……昼休みになってすぐ様子を見に行ったのですが……その、いなくなっていたのです」


「え?」

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