トミノじゃない

第11話「うたた寝は落日に染まった」

 真っ赤な夕焼けが、放課後の終わりを静かに告げる。

 一礼して職員室を出た日陽ヒヨウいづるは、窓から差し込む斜陽しゃようの光に目を細めた。

 たまたま日直だったいづるは、今日は担任の先生に頼まれて学年集会の資料作りを手伝っていた。だが、こうした居残り作業も苦ではない。事前にメールをしたら、丁度友達も……友達以上な阿室玲奈アムロレイナも生徒会で遅くなると言っていたから。

 一緒に帰ろうと約束したら、時間はあっという間に過ぎ去っていった。

 いづるは心なしか弾んだ気持ちで生徒会室を訪れる。


「失礼しまーす……阿室さん? こっち、終わりましたけど?」


 ノックをしても返事がなかったので、そっと生徒会室に入ってみる。既に人の気配はなく、夕闇迫る中にいづるの影が長く引き出される。

 そして、いづるの探す人物は大きな執務机の上に上体を投げ出していた。

 生徒会副会長の玲奈が、自分の腕を枕に眠っていた。


「あれ、阿室さん寝てるのかな……待たせちゃったからかなあ」


 静かな寝息をたてて眠る姿は、しどけなく机に沈んでいてもある種の気品が漂う。まるで、こういう姿に作られた一種の美術品のようだ。長い髪がさらさらと、夕日に淡い光沢を広げている。突っ伏し眠る玲奈の顔を覗き込んで、いづるはそっと周囲を見渡した。

 今、生徒会室に二人きりで、玲奈の普段は見せない顔を覗き込んでいる。

 そのことに不思議な背徳感と罪悪感がある一方で、自分以外のだれにも今の姿をみせたくないといづるは思ってしまった。


「ん……いづる、君」

「あ、起きたかな? あのー、阿室さん」

「大丈夫……いづる君、平気よ」

「な、なんだ……寝言か」


 ムニャムニャと桜色の唇を小さく動かして、玲奈はまだ夢のなかにいるようだ。

 起こそうかと思って華奢きゃしゃな肩に手を伸ばして、いづるはどうしたものかと一瞬考える。もうちょっと、この時間を一緒に過ごしたい。それに、急ぎの用事がないから起きるまで待ってもいいのだ。

 普段の知的で怜悧れいりな表情とは違って、玲奈はあどけない顔で眠り続けていた。


「いづる君、早くしないと……急がないと翔子ショウコさんが」

「どんな夢を見てるのかなあ。……多分、ガンダムだと思うけどね」


 クスリと思わず笑みが零れた、その瞬間だった。

 突然、玲奈が「ん……」と鼻を鳴らしたかと思うと、小さな呟きを漏らす。


「いいわ、いづる君……合体しましょう!」

「がっ、ががが、合体っ!?」


 いったいどんな夢を?

 玲奈の夢も疑問だったが、いづるは合体という言葉に自然と思春期真っ盛りの青い性を励起れいきさせられる。自覚はないが、いづるはかなりのムッツリスケベだった。

 合体……それは、十代の若者にとっては夢、そして希望……欲望にして願望。


「あっ、ああ、阿室さんっ! ちょ、ちょっと! ……起こさないでおこう。もう少し、もう少しだけ」

「急いで、いづる君……早く、来て」


 だが、いづるの淡い桃色ピンクの幻想は木っ端微塵に打ち砕かれる。


「ドッキングセンサー! ……ダブルオーライザー、敵を駆逐するわ!」

「ア、ハイ……ま、まあ、知ってたけどね。わかってたさ」

「トランザムを使うわよ、いづる君。いづる君からも翔子さんに呼びかけてみて」

「……どんな夢ですか、どんな……いったいこれは。……ん?」


 苦笑を零すいづるはその時、玲奈のある異変に気付いた。

 それは恐らく、毎日誰よりも玲奈へ視線を注いできたいづるだからこそ気付けたのだろう。未だに放課後の眠り姫である玲奈の、その美しい容姿に大きな変化が起こっていた。


「あ、あれ? 阿室さんの……か、髪がっ!」


 玲奈のチャームポイントでもある、額のVの字のアホ毛……はからずも本人は意識していないようだが、ガンダムに似てるあのアホ毛が。

 その、アホ毛が。

 閉じていた。

 二房の前髪がぴたりと一本に収斂しゅうれんされ、一本角になっていたのだ。それはあたかも、純潔の乙女を象徴する一角獣ユニコーンのようだ。


「へぇ……これ、どうなってるんだろ。寝る時は閉じるのかな」

「ん、ムニャニャ……いけない、GN粒子残量が」


 ピン、と額に立ったアホ毛が僅かに揺れる。

 どういう原理かはわからぬが、いづるは大きな執務机に腰掛け玲奈の寝顔を見下ろす。ひょっとしたら副生徒会長というのも忙しくて、疲れてるのかもしれない。

 そうしてゆっくりたゆたう時間に身を委ねていた、その時だった。

 突然、生徒会室の扉が開かれる。

 そしていづるは、その音に振り返るや執務机から飛び降りた。


「阿室! そろそろ生徒会室を閉めるぞ。むっ、誰だね君は! 部外者が勝手に……いったい誰なんですよ!」


 それは、長身の上級生だった。襟章えりしょうから察するに、恐らく玲奈と同じ二年生だ。すらりと背が高く、眼鏡をした顔は眉目秀麗びもくしゅうれい……同性のいづるが見てもイケメンだと思える。几帳面で神経質そうな切れ長の目が、じろりといづるを見ていた。


「あ、僕は、えと……阿室さんの、友達、ですけど」

「阿室に友達が? 冗談は寝て言え。まあいい、阿室は……ン、なんだこっちが寝てるだと? おい、阿室!」

「ちょ、ちょっと待って下さいよ。僕が起こしますから」


 なんだか、いづるは妙な気分に胸の奥がモヤモヤした。

 いきなり現れた先輩は、愛しの玲奈を「阿室」と呼び捨てにしている。

 執務机の玲奈に駆け寄ろうとする男に、自然といづるは立ちはだかってしまった。それは、玲奈の手の中で彼女の携帯電話が目覚ましのアラームを響かせるのと同時だった。不意に、まるでNHKの大河ドラマのような壮大な音楽が鳴った。どういう訳か、いづるの心に大勝利を予感させる雰囲気が満ちてゆく。


「ん……あら、もうこんな時間。ん、んーっ! ……ふぅ。あら? いづる君」

「あ、おはようございます、阿室さん」

「やだ、起こしてくれてもいいじゃない? ずっと、見てたの?」

「いえ、よくお休みみたいだったので。それに……その、つい……」


 玲奈は目覚めると同時に、まなじりに涙の光を灯しながら上体を起こした。

 閉じていたアホ毛が、いつも通り左右に割れて開き、Vの字になる。

 相変わらず機械が苦手なのか、玲奈は携帯をいじりながらアラームを止めようとしている。だが、まだ寝起きで意識がぼんやりとしているらしく、眠そうな目でちまちまと指を動かしていた。

 見兼ねたいづるが手伝って、どうにか盛大な音楽の盛り上がりを止めた。

 その間ずっと、例の男は腕組み二人を見下ろしていた。


「起きたかっ、阿室! 無防備に過ぎるのよね、警戒心薄いぞ! なにやってんの!」

「あら? キミは……」


 ようやく意識がはっきりしたらしく、玲奈は男を見て「まあ」と口に手を当てた。

 いづるは玲奈の視線が向かう先を目で追って、再度男の顔を見る。

 そこには、奇妙な敵愾心てきがいしんの中に雑多な感情がゆらいでいるのが見える、そんな気がした。謎の二年生は、なでつけた髪へ手をやりつつ二人を交互に見詰めてくるのだった。

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