偽英雄

海野夏

第1話 ヒーローの尻拭いをする仕事

 高層ビルが立ち並ぶ、第七区域の中心部。今は通勤通学の時間帯なのだろう、多くの人が通りを行き交う。電話をかけている人、友人と話している人、寝惚け眼で躓いている人、急いで走っている人。何の変哲もない普通の日常風景だ。

『東の方向より、魔物が二体こちらに向かっております! 速やかに対魔シェルターへ避難してください! 繰り返します……』

 そんな日常を壊すように街に鳴り響くサイレン。人々は狼狽え、そして街の各所に設けられたシェルターへ逃げ出した。しかし、人々は恐れて逃げ込む中にも慣れが見えるほどになっていた。

 東の空、複数の魔物がこちらに迫る。

 魔王という者達が現れて、もう二百年。この国は魔王達によって分割され、人々はその支配下に置かれた。きっとこの国ばかりではないだろう。だが空も海も陸も魔物に制圧され、人類は他国の心配をするより先に生存圏を獲得せねばならなかった。人間がそれまで使っていた前時代の兵器は何一つ魔物に通用しない。その上魔王には多くの魔物の部下、いわゆる魔族がいた。

 そうして百年近く人々は魔族から隠れ怯える日々が続いた。ただの人間では太刀打ち出来ない。区域によっては、そこが魔族達の餌場となり、人間が死滅した所もある。全てがそうであった訳ではない。しかし、明日は我が身と、皆怯えて暮らしていた。


 ここ数十年で設置された避難シェルター内には、外の安全を確認するための大型モニターがある。今、そこには二体の魔物と、一人の少年が映し出されていた。

『出たな、魔物め。みんなの暮らしを脅かすお前らは、この俺が狩り尽くしてやる!』

 シェルター内の緊張が緩む。歓声が上がる。

 彼は勇者だ。ヒーローや英雄と呼ぶ人もいる。名は桐生光弥。この区域の学生らしいが、何度も魔物から人々を救っている。格好よくて優しい、みんなの勇者。シェルターの中は、まるでスポーツ観戦でもしているような熱狂に包まれた。

「ミツヤ様! 頑張って!」

「そんな魔物、切り刻んでやれ!」

『ちょっと! アンタ一人で突っ走るんじゃないわよ!』

 ミツヤと魔物が対峙していると、一人の少女の声がした。そして映った三人の美少女。途端に、こちらでは雄叫びが上がる。

「サエちゃん、こっち向いてくれ~!」

「アサギちゃ~ん! 今日も可愛いよ~!」

「スイ様! 美しい!」

 三人にはそれぞれ固定のファンがいるらしい。魔法使いのサエ、ガンナーのアサギ、剣士のスイ。勇者ミツヤの仲間だ。


 人間が長い歴史の中で生き残ってきたのは何故か。魔王が現れて人々は不安な日々を過ごしていた。そこへ、スキルという能力を持つ人が現れ始める。スキルは魔族に対抗できる力。人間は魔族の存在する現状に百年かけて適応して見せたのだ。スキルとは何か、人類の進化の賜物なのか、誰かが何らかの目的によって与えた力なのか、まだ何もはっきりと分かっていない。しかし餌となるばかりだった人類に差した一筋の光であったことは確かである。

 分かっていないことと言えば、称号というのもよく分からない。スキル同様、こちらも唐突に頭の中で声が聞こえるらしい。剣士や魔法使いなどの戦闘系から、鍛冶屋や薬師などの非戦闘系のものまである。称号を与えられた者はその称号の定める分野において、技術的にも身体能力的にも著しく成長することだけが分かっている。

 最初は皆、そんな非現実的なもの、とその存在を馬鹿にした。しかし、実際に目にしたとき、認識は改められた。ゲーマーや中二病真っ盛りの若者、非日常を求める者達、彼らは自分にもスキルや称号が与えられるのを夢見た。しかし夢見たところで与えられたのはほんの一握りどころか、塩に指を埋め、付いたのを軽く擦り落としてなお指先に残った分くらいの確率だ。普通のスキルも称号もない人間の方が圧倒的に多いため、スキルや称号を持つ人達は魔王達に対抗する要となっている。その為、一部彼らのようにファンがつくこともあるのだ。

『ごめんごめん。さぁ、みんな、行くよ!』

 サエ、アサギ、スイの三人はそれぞれ魔物に立ち向かう。

『重力操作』

 涼やかな声と共に、スイが重そうな大太刀を手に、魔物の腕を駆け登る。魔物がそれを振り払おうとすると、斬りつけながら飛び上がり、別の箇所へ。彼女はスキル保持者。重力を自在に操り、魔物の身体を縦横無尽に駆け、傷を増やしていく。そして一貫。魔物は真っ二つになり、息絶えた。

『ポケット、発動!』

 次に動いたのはアサギ。手を地面にかざすと地面が水面のように波打ち、そこから大きなマシンガンが現れた。少女には重たいであろうそれを軽々持ち上げると楽しそうに、

『発射ー!』

 逃げる間もなく、あっという間に魔物は穴だらけになった。

 サエは魔物に追われつつも、詠唱を終えたようだ。魔物に向き合い、

『鬱陶しいわね! ヘルフレイム!』

 強烈な炎が魔物を包む。炎の魔女とも呼ばれる彼女は、火を使った魔法を用いる。火が消えると、後には何も残らない。

 一方、勇者ミツヤの方も決着が着こうとしていた。魔物はミツヤに向かって爪を降り下ろす。ミツヤは逃げずに剣を構えた。

『閃光の剣、ホーリーブレード!』

 神々しい光を纏った剣撃が魔物を滅ぼした。魔物は綺麗さっぱり、跡形もなく消えてしまった。

 シェルター内では歓声が上がり、四人のヒーローを称える声が響いていた。



 彼は焦っていた。スキル「身体強化」を発動させて爆走するほど焦っていた。

 彼が働くカフェ店長は金と時間に煩い。彼が店でバイトを始める前からの付き合いだというのに、ミスをすれば給料カット、遅刻をすれば給料カット。仕方ないと言えばそれまでだが、今、彼は遅刻しそうになっていた。

 ズドォン!

 目の前に何かが落ちてきた。大慌てで彼は停止する。土煙の中から現れたのは、二体の魔物だった。

「ふー、あぶねぇ、あぶねぇ。もう少しで、エンジェル・俺、になるところだったぜ」

「エンジェル・俺、とか気色悪ぃな。ネーミングセンスねぇの」

「うるせぇな! お前こそ、自分から焼かれに行ってたじゃねぇか。まさかドМってやつ?」

「んなわけねぇし! あれだよ、人間がやる灸とかサウナ的な? お前も今度やる?」

「いらねぇ! にしても、あいつら運が悪かったよなぁ。よりによって、剣士とガンナーの相手とか」

「まぁ、あいつらの犠牲のおかげで俺らは生きてるんだけどな。貴方達のこと、アタシ絶対忘れない!」

「お前さっきからそのキャラ何なんだよ」

 道を塞いで雑談を始めた。げらげらと耳障りな笑い声が人気のない通りに響く。

 少年は腕時計を見る。ここから店まで全力で走って約三分。バイトの時間まであと五分。この邪魔な奴らをご丁寧に相手していたら……。冷静になろうと口に入れた飴をガリッと噛み砕く。彼の苛つきは最高潮だ。最早彼にとって、目の前の魔物も、所構わず井戸端会議を始めるおばちゃんと大差ない。

「ねぇ、あんたら邪魔なんだけど」

 声に気付き、振り返る魔物。声をかけてきたのが人間だと知ると笑った。

「へっ、たかが人間が魔族様に話しかけんじゃねぇよ」

「俺さぁ、弱い癖に逆らってくる奴見ると、苛つくんだよねぇ。だから、ちょっと俺らの玩具になって遊んでよ」

 魔物達はそう言うと、攻撃を仕掛けた。一体が拳を降り下ろし、もう一体が爪で切り裂こうと振り回す。辺りは土煙でよく見えない。二体はお互いの位置を確認し、そして自分達の手に当たった感触から、その人間を仕留めたと思った。

「何だよ、弱っちい奴。楽しませろよな」

「人間のガキごときが魔物に楯突くからそうなるんだよ」

 魔物達はゲラゲラと笑い、背を向けた。

「バイト、完全に遅刻じゃん」

 魔物達が振り向いた頃には遅かった。彼がいたはずところには傷ついた瓦礫、地面に敷かれたアスファルトがその下の岩盤ごと捲り上げられていた。それを理解するまでの一瞬の不意、魔物たちの背後で少年が二体の魔物の足を掴むと、魔物の身体が宙を舞っていた。そしてそのまま、勢いよく叩き付けられる。地面には亀裂が入り、魔物がめり込んでいた。

「たかが人間が魔族様に話しかけんじゃねぇ、だっけ。奇遇、弱い癖に逆らってくる奴を見て俺も苛ついたから、一分だけ、ちょっと遊んでよ」

 先程の魔物の言葉を借りてそう言うと、彼は一分間魔物を目にも留まらぬ速さで殴り続けた。

「……あ、やばっ」

 一分後、腕時計を確認した少年は顔を青ざめさせ、何が起こったのか分からずに動けないでいる魔物には目もくれず、再び先程までのように駆け出そうとした。が、すぐに立ち止まり、動けない魔物を振り返り、

「魔王に言っておいて。部下の教育はしっかりしろ、って。由影って言えば分かるから」

 そうして、今度こそ走り去った。


「はい、残念。給料カットしておくよ」

「龍之介さん、勘弁してくださいよ! 今回は仕方ないじゃないですか!」

 案の定、バイトには遅刻した。店長の三好龍之介さんはご立腹だ。

「お願いします! 今回だけ!」

「その、今回だけっていうのは、いったい何回まで適用されるんだい?」

「ねぇ、ヨッシー。今日は何体倒したの?」

 先輩バイトの六角先輩がワクワクという表情で俺を見る。彼は俺が魔物を倒すと楽しそうだ。魔物嫌いって訳じゃないんだけど、よく分からない。

「えっと、朝一体、昼休みに一体、放課後に二体なんで、四体ですね」

「スッゲー! ヨッシー本当に強いよね!」

「しかも、どれも勇者殿の後始末っていう」

「ハイハイ、由影君も六角君も、勇者殿の話は置いておいて、仕事を始めなさい」

 龍之介さんの言葉で、俺達は仕事に取りかかる。とにかく忙しい。

 客層がとても広いのだ。若い女性からご老人、休憩中のサラリーマン、そして魔物も来ている。この店は、金さえ払えば誰でも皆客だ。逆に金のない奴は人間だろうと容赦なく叩き出す。差別しない、人魔平等な店だ。

「由影君、外へ」

「了解」

 当店名物、魔物バトルショー。これを見に来る人も多い。俺が店辺りに現れる有害な魔物とバトルするだけ。このショーのことは、店の外へ漏らしてはいけない決まり。それでも見に来る人達は、何て物好きなんだろう。

 今日も現れた魔物。数は三体。武器なんて使わない。肉弾戦だ。

「エプロン、新調したばかりなんだけど」

 店の外に出る。店内から聞こえる応援。

 お客さんを楽しませるショーを始めよう。


 彼の名前は宇野由影。

 第七区域守護者の称号を持つ、

 何の変哲もない、一介の高校生である。

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