いざ摂淵島へ
翌朝、すずめの
隣にいたはずの緋里はすでにいなくなっており、敷かれていた布団も俺のだけになっている。
目を覚ます意味も込めて、大きく伸びをする。
「うっ。うーん」
背骨がポキっと音を立てる。差し込む朝日がやたらと強いように感じる。
俺はおぼつかない足取りで顔を洗うために洗面所に向かう。
「って、緋里のやつどこにいんだよ」
部屋が何個もある広い部屋でもないのに緋里の姿が見当たらず、少々不安に思いそう口走る。
不安を消し去るかのように息を吐いてから洗面所兼脱衣場のスライドドアを開ける。
「うげっ!」
ぽかーんと口を開けたままその場でフリーズする。
瞳に映る一糸まとわぬ姿の緋里。濡れた髪の毛先から滴り落ちる雫が妖艶な雰囲気を醸し出す。
シャワーでもした後なのか体がほんのり紅く火照っており、その胸部は僅かだか膨らみが見てとれた。
「こっち見んな、バカ!」
一瞬遅れで緋里から罵倒が浴びせられる。
「はいはい」
焦っているのを悟られないように自然体を装いながらそう答え出ていく。
やっべ……。あ、あれが……、女の裸。
思い返しただけで鼻の奥がツーンとなり、今にも鼻血が出てきそうになる。
でも、もうちょい胸があったらな……。
「いいわよ」
そんな思考を巡らせている間に服に着替えた緋里がスライドドアの隙間から顔だけ覗かせて恥ずかしそうに告げる。
「お、おう……」
そんな風に言われたら俺も恥ずかしくなる。思わずどもってしまった。
それでも何でもないを装い、スライドドアを開け、洗面台に向かい顔を洗う。
「ねぇ、摂淵島行きのチケットの出航日みたいなのいつだったわけ?」
何故かちょっと怒った気にそう訊いてくる。
「わかんねぇ。ってか、そんな締切的なものあんの?」
「いやいやいや、そりゃああるでしょ」
馬鹿なの、とでも言い出しそうな勢いで詰め寄ってくる。
「そーなんだ。じゃあ、確認しに行かないと」
そう言うと誰かから、と言っても緋里以外誰もいないから緋里なのだが、空気と遜色ないか細い声が流れた。
「なんか言ったか?」
「だから、私も連れてってくれない?」
ふんっ。心の中でそう嗤う。
「どうしよっかなー」
これは弄りがいがありそうだ。
「なっ。何でそんなこと言うの!?」
「べっつに〜」
ぽんと置きっぱなしになっていたタオルで洗った顔を拭く。
「な、な、な」
「どうしたんだよ?」
急に壊れた緋里。何事だと思い訊く。
「む、むっくん。今何した?」
「今? 顔拭いた」
「どのタオルで?」
「ここにあった。これで」
そう言って使ったピンク色のほんのり全体が濡れたタオルを見せた。
「そ、それ……、私が体拭いたやつなんだけど
……」
「えっ……」
声と呼べるかどうかもわからない。息の声のようなものが漏れる。
「わ、悪い。わざとじゃないんだ!」
「許さないって言いたいところだけど、その代わり私を一緒に連れてってよね」
「は、はい……」
こうして俺は緋里を連れて摂淵島に行くことが決まった。
***
俺たちは俺の家に戻りチケットの捜索にあたった。
机の上に放置してたチケットはすぐに見つかった。だが、ピンチはそこからだった。
「やばいじゃん!!」
緋里のこの声からすべてが始まった。
「今日の21時発が最後だよ!」
チケットに目を通した緋里が悲鳴に近い声を上げる。
その船が出る港は
電車を乗り継いでやっと到着できる。新幹線を使えば1時間ほどでつくのだがそんなお金はどこにもない。
故に新快速電車を乗り継いで行かないといけない。簡単に計算しておよそ2時間30分。そこから港まではバスが運行しているらしい。 そして現時刻は13時30分。
ここから駅までは自転車で30分ほど。故にどんなに急いでも駅に到着するのが14時。そこから電車がすぐにあったとして到着が18時。……いける!
「おい、緋里! 急げば間に合うぞ!」
ニカッと洗いたての白い歯を見せて笑う。
「そうね、急ぎましょ。自転車は何台ある?」
「えっ、俺持ってないけど」
当然のように答えたが、ここに大きな落とし穴があった。
1人で思い切り漕いで30分ほどなのだ。2人乗りとなるとそうはいかない。
「ま、まぁ。大丈夫だろ」
男らしく俺が漕いでやる、と言い切りサドルにまたがる。
「しっかり捕まってろよ!」
少女マンガなどで自転車の二人乗りをする時にありそうな言葉を放ち、思い切りペダルを踏み込む。
最初は良かった……。だが、5分もすると脚がパンパンになった。脚が重たい。外れそう。落ちそう。
「はぁー、はぁー。しんどい」
吐息に交えてそう漏らす。
「変わろっか?」
「アホっ。女子に漕がせられるもんか」
そう格好つけたものの既にスピードは漕ぎ始めからは大いに落ちている。
小学生の算数の問題になりそうなほどの減速だった。
「この先、大きな坂あるよ。大丈夫?」
それほどまでに急なのだ。目視で言うならば角度は60度ほど。体感は90度だ。これは流石に鬼でも泣くな。俺はこの日初めてこの鬼泣坂という通称に共感した。
***
ヘトヘトで汗だくで、そうしてやっと辿りついた
「やっぱり私が漕いだ方が良かったんじゃない?」
「かもな。でも、俺の体裁があるだろうがよ」 荒れた息でそう答える。
「ふーん。むっくんにも体裁とかあるんだ」
「たりめぇーだ。緋里だって、他の女に二人乗り漕がせる男子と一緒にいるとこ見られたくねぇーだろ」
「そんなこと考えてたんだ」
緋里が感動の眼差しを俺に向ける。
そんな眼差し向けられても困るな。口からでまかせなのに。
そこからは俺の体力的な問題でほとんど会話を交わすことなく電車が来るのを待った。
電車は時間通りに来た。16時50分。裕福そうなおば様たちがお帰りの時間らしく電車の中はそのような層が大半である。
座席は全く空いてなくクタクタの俺を休ませてくれない。マジでバアさん席変われよ。ほんの一日前まで引きニートだった俺に立ちっぱはきついよ。
そんなことを考えるとどっと疲れが襲ってくる。大きく息を吸い込み、それら全てを吐き出す。電車の中の空気は篭っており、どこかむさくるしい。
「ねぇ、あそこ空きそうだよ」
次の駅に着くというアナウンスが流れるや否や忙しく片付けを始めた4人組のおば様を目線で指して言う。
「そうだな。狙おう。俺たちは今からハンターだ」
我ながら恥ずかしいことを言うなという自覚はあったが何故か楽しくなり「準備せよ。緋里中尉」とまで言ってしまった。
「は、はぁ」
痛いなという目が向けられる。それは仕方がない。長年引きニートしてたらこうなるものだ。
ささっと歩みをとり、おば様たちの前まで行く。瞬間、電車が大きく揺れる。駅到着前にはよくある現象なのだがその存在を忘れていた。
俺はたまたま運良く吊革を握っていたのだが、緋里はそれにモロやられた。
体を大きく揺らされる。前のめりになり、コケそうになる。俺は咄嗟に腕を差し出し、それを緋里の腹部に巻き付け、引き寄せる。 緋里が俺の腕の中へ吸い込まれてくる。
引き寄せた反動でふわりと舞う髪から匂う女子特有の甘い香りが鼻腔をくすぐる。華奢な肩がすっぽり俺の中に収まる。
「大丈夫か?」
腕の中で顔を埋める緋里に囁くようにして訊く。
「う、うん……」
「そっか」
そういったやり取りをおば様たちは微笑ましそうに眺めながら電車を後にした。
そうしてようやく座ることにたどりつけた俺は座るや否や記憶がぶっ飛んだ。
「ねぇ! ねぇってば!」
体が大きく揺すられる。
なんだよ。寝かせろよ。
「次の駅だよ!」
次の駅……。
「まじか! って、痛っ!」
次の駅、という単語に眠気が飛びさり顔を上げた。すると俺の顔を覗き込むようにして体を揺すっていた緋里の顔にヒットしたのだ。
「痛い……」
ぶつかったおでこを右手でさすりながら「目覚めた?」と訊いた。
「たりめぇーだ。あれで目覚めないとかアホだろ」
意識の端でおでこがじんじんするのを感じながら答える。そして降りる準備をする。って言ってもすぐに飛んできたから何も準備などないのだが。
既に夕陽は傾き、闇が支配する時間が訪れようとしていた。西の空はまだ朱で染まっているが、東の空は薄紫色がかかり小さな豆粒のような大きさで眩い光を放つ星があちらこちらで見え隠れする。
「次は五木草ー。五木草ー」
アナウンスを聞くや席を立ち入口付近へと移動する。まもなくして五木草駅についた。時刻は18時だった。
こっからどうすればいいんだっけ。
ない頭をフル回転させて考える。
「次はバスだよ。あっち」
緋里は駅を出てすぐ右手にあるバス停を指差し言う。
本当、緋里連れてきて正解だった。
「お、おう」
移動するのにさほど時間はかからなかった。が、時刻表を見て光は見えているのだが絶望の淵に立たされている気がした。
「次の出発が19時30分って何だよ」
ふにゃっとした力無い声で呟く。
「本当だね。私、お腹空いてきたよ」
緋里はお腹を擦りながら弱い笑みをみせる。
だがしかし、明かりは出てきた駅以外に見当たらない。ちなみに駅の中に売店などは見受けられ無かった。
「おとなしく待つか」
ため息混じりに呟く。
「そうだね」
緋里は残念そうな声音で肯定の言葉を口にする。
***
お腹も限界に近づき、プラスして眠気も襲ってきた。そんな2人の間に会話など訪れることなくただただ沈黙が流れた。
そうしているうちにバス到着の時刻になった。バスの大きなフロントライトが俺たちを照らし出す。
遥か遠くにいる俺たちですらはっきり映し出すことができる白い明かり。
「来たね」
「そうだな」
2人の前で寸分違わず停車したバスに乗り込み、目的地である五木草港まで乗る。
幾らかの信号にひっかかることはあったが、すんなり進み到着予定時間の1分遅れで五木草港に到着した。
時刻は20時17分。最終便まで既に1時間を切っていた。
俺たちは慌てて港の方へ駆けていった。
「えっ……」
そこで思わず声が漏れた。
水面に浮かぶ全長100メートル近くはある純白に染められた船。一言で表すならば豪華客船といったところだ。
甲板のあたりからは異常なほどの光彩が輝きを放っていた。照らされた海は漆黒で禍々しささえ感じさせる。
「チケットはお持ちでしょうか?」
受付係のような男性が尋ねる。
「はい」
俺は数少ない荷物の一つである摂淵島行きのチケットをみせる。
「正解です。では、こちらへ」
入口が開けられる。開かれる音が海面に反響し、不協和音を生み出す。
数え切れないほどある無数の丸窓。そこから漏れる僅かな明かり。
テレビなどで見る豪華客船そのものが目の前にあり、言葉がでない。
「夕食は取られましたか?」
「いえ、まだです」
そうですか、と受付係の男性はニコッと笑い懐からメイン・ダイニングの使用チケットを手渡した。
「こちらをご利用ください」
そう告げるや丁寧な礼をして受付係の男性は颯爽と持ち場に戻った。
渡されたものはメイン・ダイニングのチケットと客室150の鍵。
俺と緋里はとりあえず空腹をどうにかするためにメイン・ダイニングへと向かった。
***
豪華客船の中は言うまでもなく広かった。どこか街の中に迷い込んだ気分にさえなる。 メイン・ダイニングに辿りつくまでに要した時間は15分といったところだろう。
ようやく辿りついたそこでは驚きしかなかった。吊るされたシャンデリアが高級感をより一層強める。
「こ、こんなとこで食べれるのか……」
「お、お金のほうは大丈夫なの?」
俺の喜びとはまた別に緋里は金銭面の不安をよぎらせた。
「大丈夫です。チケットをご利用なさるお客様は食べ放題となっております」
女店員は洗練された礼をしてその場から立ち去る。
2人は目を輝かせ見つめ合う。
そこから俺たちは40分ほど雑談をしながら見るからに高そうな食事を摂った。
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