夕暮れが僕らを包む

涼乃葉瑠

第一話 『悠里』

小さい頃から仲間内から男子扱いされて来なかった。病院の待合室で名前を呼ばれる時は必ず『ちゃん』付けだったし上に姉がいるせいか家族でも「ゆうちゃん」と高校生になっても呼ばれ続けた。

だから、俺は人よりなんでもそつなくこなし人の上に立つことを望んでいた。

「望んでいた…ん...だけどなぁ」

煙草をふかしながら屋上で休憩時間をのんびりと過ごしていた。

気づいた時には20歳を超え既に5年の月日が経っていた。第一志望だったK大学に受かって夢だった一人暮らしを初め就職も地元ではなく東京の方で決まったゲーム会社に入社した。入ってすぐに今まで築いてきた学歴は無駄だと気づき転職を考え、つい先月から転職活動中だ。


今、自分には自分の学歴で勝ち取った求人が何個もある。そして、既に先月面接が終わった何社からはお声がかかっている。

そうやって自分の場所を変えて過ごすことにももう慣れた。転勤族の子供に生まれ幼少期から住処がコロコロ変わっていたあの日よりマシな日々を送ってる。人当たりの良さやコミュニケーション能力に恵まれ学歴が頭脳の高さを証明してくれている。それが、全てだ。


そんな、過剰評価を自分に下し感慨に耽っていたら何処からか家路が聴こえた。もう街は沈む夕日に照らされて赤く染まっていた。


「家路…」

ドヴォルザーク作曲の交響曲第9番のこの曲はドヴォルザークが故郷であるボヘミアに向けて綴ったメッセージだと、何処かで聴いたことがある家路はそれの第二楽章に当たる部分だったはずだ。


ふと、幼い日の記憶が俺の頭に浮かんだ。

それは、中学生の時の思い出であった。

担任が自分に学力以外に大切なことがあると必死に説いてくれた時のこと…いつの日か忘れてしまっていた記憶…


きっと、あの時に聴いていたのは恩師の話ではなく下校時に流れるこの家路だったのだ。

だが、恩師が言っていたことは自然と頭の中で思い出せた。

それは、

「大切なのは力ではなくて心だよ悠里君」

という綺麗事そのものであった。


「綺麗事じゃ飯は食えないだろ」そう呟いて家に帰ろうと煙草を吸い終わると何故だか目から涙が落ちていた。


俺は、何故泣いているのかそれは幾ら頭が良くても理解ができなかった。

人の上に立つことを望み力を欲しそれを良しとしてきた心が何故綺麗事を思い出して泣くのか

自分には全く理解出来ないでいた。

「なんでっ…?!」

ふと、振り向き顔を上げるとそこにはハローワークの係員の人が笑顔で立っていたその人は何処かで見た事があってけど、その思い出す顔より少しシワが多かった。


「貴方に言った言葉の本当の意味をやっと本心から理解出来ましたか?悠里君」

その言葉はあの時家路で聞き流してしまっていた声と全く変わらない恩師の声だった。

「定年して知り合いのツテでハローワークの手伝いをしていたらまさか悠里君が現れるなんて…心配してたんですよ?君は完璧主義者でプライドが高かったから何処かで折れてしまうのではないかと。」

先生は俺に優しく問いかける。

「大切なのは力ではなく心。この言葉の本当の意味を悠里君はわかってくれましたか?聡明な君だからきっとわかっているんではないんですか?」

今から答え合わせが始まるそれは、あの日教室に置いてきた問題できっと今の今まで知りたくなかった答えだ。

会社をやめたかったのは学歴の為じゃない。 ただ、自分の心があの会社が嫌だったからだ。

学歴などの言い訳を作らないと自分の心の弱さが露呈してしまうからそういった言い訳を本心だと思って、思い込んで心の弱さを匿ったんだ。

「力を振りかざす時はいつだって想いや気持ちが大事なんだよだから、力は心に勝てない。今の君にはわかってもらえると思うんだ、なぜならこの言葉はきみの固く閉ざされた本当の心に届くはずだから」


そういった先生は、また笑顔でこう続けた


「ほら、夕焼けだよあの時も今も変わらない土地も時間も超えてこんなにも人を暖かく照らす」



遠くではまだ家路が鳴っていた



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夕暮れが僕らを包む 涼乃葉瑠 @haruto_nikoniko

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