商売屋Wとその付き人
家彦
第1話
小さい頃にはもうその真っ黒い物体は見えていたように思う。例えば机の下、本棚と本棚の間、それからクローゼットの中の服と服の間。あらゆる隙間という隙間にその子たちが潜んでいるのを私はよく見つけていた。私自身その子たちに関わりを持とうとも、その子たちに関心をもつわけでもなかったけど、その思考とは別に、何故かその子たちは私のそばを離れず、じっとその暗闇に蹲っていた。そんな中で私が誰にも相談しなかったのは、その子たちがそばにいるからと言って邪魔になるわけでも危害を加えてくるわけでもなかったからだ。
だけどここ最近は。
隙間にしか居座らなかったその子たちは、今ではテレビの前や食卓の上、冷蔵庫の中とやりたい放題に居つくようになり、私が反感の意を込めて何かしらの反応をすると物を投げて私を傷つけようとする意志すら持つようになった。鉛筆など小さいものはまだしも鍋やフライパン、掛け時計なども投げては喜んでいた。その行為は私だけでなく私の父母も巻き込む。勿論父母に見えるはずもなく、それからというもの私達家族は何かにつけて怯えたように暮らし、職務にも影響が出るようになってしまった。まるで私達家族に黒い影が纏わり付いたかのように、家は暗く静かに寝しずまった。そんな時であった。
彼女の眼の話
初めまして、お嬢さん。と僕はひっそりと微笑んだ。初めて話す瞬間の笑顔は、その商談の中で一等大切にしなければならない。人の印象など見た目で8割決まる。無愛想に話しかけるなどあり得ないし、ニヤニヤと笑って近づくのは紳士的でない。相手の懐にスルリと入るにはそれ相応の、あるいは年相応の爽やかで甘酸っぱい笑顔が大切なんだ。以前訥々とウィザリーにそう語った内容を頭で反芻してると生意気にも脳内にウィザリーが出てきて、そんなこと知らないわ、目の前のお客さんに集中なさい、と説教を垂れてきた。僕の脳内にいる間くらい静かにして欲しい。
「あなたは…?」
僕が話しかけたお嬢さんは、僕の目をチラリと見た後、警戒を少し滲ませつつも問いかけてきた。
相手が僕の陣地に嫌悪であれ何であれ、関心を持つ。こうなれば後は僕の独壇場だ。なんやかんやと僕の発明品を売りつけるのみである。
「僕の名前はウィルソン、商売屋Wと呼ばれる組合に所属するしがないセールスマンです」
「あら?そんな名前の商売屋さんなんか聞いたこともないわ」
「それはそうでしょうね、何せヒミツの商売屋ですから」
彼女の片眉が、くんと釣り上がる。どうやら彼女は見た目によらず、少しばかり気が強いようだった。
「ヒミツの?なら何故私に話しかけたの?こんなつまらない女に」
「つまらないなんて、そんなことはないさ」
僕はきちんとした敬語を取り払い、あえて崩した口調にして少しばかり近寄るような気配を匂わせた。
すると、その口調の裏にあるものを感じ取ったのか、はたまた僕の年相応な喋りに笑ったのかは分からないが、彼女はその周りの変に固まっていた空気を溶かし、次の興味の対象をカバンへと移した。
「それなら、このカバンの中には売り物が入っているのかしら?」
「そうですよ、お嬢さん」
どうせなら、見て行きませんか?とカバンを開けながら小首を傾げると、彼女も(先ほどたった一回口調を崩しただけではあったがそれによって信頼されたらしく)空気を変えることなく、ただ純粋な好奇心のみをその眼に浮かべ、カバンを覗き込んだ。
「これは何?」
「それは幸せを運ぶペンダントです。キラキラしてて可愛いでしょう?露店にある物とは全く違うので。本当に」
「このお菓子は?」
「それは惚れ薬、相手をメロメロのキュンキュンにさせてしまいますよ、副作用は激しい吐き気と動悸です」
「変な銃ね」
「それはタイムスリップ銃です。撃った相手は1分ほど過去に戻ることができます。…帰り方はしりませんがね」
そこでとうとう、彼女は堪え切れないと言わんばかりに唐突に吹き出した。僕はというとある程度想定していたとはいえ、ちょっとショックを受けた。僕の作品はこれ以上ないくらい素晴らしいはずなのに!脳内ではウィザリーがため息を吐き出した。
たっぷりしっかり大笑いし、息も絶え絶え、目尻にも涙を浮かべて彼女は苦しいわと言った。
「面白いわね、あなたの発明品」
「あぁ、そうですね、ツマラナイ物ばかりですよ!」
「ふふ…そんな拗ねないで、小さな博士。他にはどんな物があるの?」
私きになるわ、と少し笑ってしまった事を反省したのか眉を寄せて、ちょっとだけ口角をあげるようにした彼女に免じて、特にそんなに拗ねてなかった、いや少しは拗ねてたかも知れないけど、博士だからしょうがなく折れてあげた僕は、これは発明品の中でも特に素晴らしい…!と自画自賛してしまうほどのものを取り出した。
「…メガネ?」
「見た目はただの伊達眼鏡ですね」
「ふーん…これの効果は?」
僕はここぞとばかりににんまりと笑って言った。
「邪魔なものを見えなくするメガネ!」
あるいはその邪魔者お祓い道具。
そうやって続けると、彼女はさっきまでくるくると動いていた表情をいきなり消し、眉根を先程以上に寄せた。
「…”お姉さん”をからかってはダメよ、ウィルソン博士」
「からかってはいないよ、”お嬢さん”」
ここで相手の目を見て、わざとたっぷり時間を開ける。敢えて無理に言葉を畳み掛けず、少し相手に次の言葉を予測させる。そうすれば相手は、次の言葉の正解を聞こうと、こっちを見て僕の言葉を今か今かと待ち侘びるわけ。わかるかな?ウィザリー。
「…何のつもり?」
「僕はあなたを助けたいだけ。お嬢さんあなた…取り憑かれてますね…?」
その瞬間の彼女の表情は本当に見事なものだった!僕は彼女のこんな表情を見たいがために今彼女に話しかけたのだと錯覚するくらいには素晴らしい表情だった。実際はお金が欲しいだけだけど。
僕はここで飛び切りの天使スマイルを顔に浮かべることにした。何故って彼女の眼には、はっきりとした恐怖と疑惑が浮かんでいたから、安心させるためにもね。同僚からは悪魔のスマイルと呼ばれてるけど、そんなことは関係ない。お客様が神様なら、僕はまるで天使のように彼らに膝をつくさ。まぁ、現実で膝をつくのが無理だから代わりに天使スマイルを浮かべてるのだけど。ちなみに同僚が言うには、まるで天使のような笑顔で買い手に大金を積ませるから、悪魔の微笑みなんだと。知るかってんだ、僕はお金が欲しい、買い手は作品が欲しい。立派なギブアンドテイクじゃあないか。
彼女は僕の笑顔で落ち着いたようで、薄っすらとした儚い笑みを浮かべると、これまた薄く消えそうな声で僕に聞いた。
「…貴方に見えるの?」
「ええ。まぁ。猫の耳を生やし歪な目を持った真っ黒い奴らなら先程から私のカバンにひっついてますし」
僕は左手に持ったかばんをユラユラと彼女の眼の前で降った。
「どうせならこいつら…消したくないですか?」
彼女は自分の胸の前に手を持って行き、まるで自分を守るかのようにぎゅっと握りしめた。
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