夜空の星

 兄の帰りを首を長くして待っていた弟たちがドタバタと玄関にやってきた。

「あんちゃん遊ぼー」「遊ぼー」

 二人がタカシに飛びついてくる。双子のサトシとタケシは五歳。まとめてかかってくると、さすがに大変だ。尻もちをつきそうになるタカシを天翔が後ろから両手で支えた。

「カケルだ!」

 弟たちの標的が天翔に変わった。テニスで鍛えた動体視力と軽やかなフットワークで弟たちのアタックをひょいひょいとかわしながら器用に靴を脱ぎ廊下を走りだす。大喜びの弟たちがその後を追う。

「おばさん、こんにちは!」

 追いかけられたまま天翔が居間に飛び込む。

「あら、天翔くん、もう来てたの、早いわね」

 キッチンからは香ばしい匂いが漂っていた。

 天翔は目を細めながら鼻をくんくんと鳴らす。

「唐揚げ、すぐに揚がるから待っててね」

「からあげェー」「からあげー」

「智志(さとし)、健志(たけし)、お手々を洗ってきなさーい」

「ハーイ」


 テーブルの中心に置かれた揚げたての唐揚げが見る見るうちに減っていく。

「天翔クンも頑張って。無くなっちゃうよ」

 食事の時だけはタカシも素早い。まだ熱い唐揚げをふうふう言いながら口に運ぶ。

 天翔も負けじと手を伸ばす。

「まだまだ揚げてるからね」

 キッチンから顔を出したママのひと言に皆が歓声を上げた。まだ生まれ立てでベビーベッドの中のカスミも一緒にキャッキャと喜んでいた。


 すっかり腹が膨れた弟たちはソファの上でうとうとしている。タカシがふたりのお腹にそっとタオルケットをかけた。

「ごめんね、天翔クン。弟たち、天翔クンが来ると興奮しちゃうみたいなんだ」

「全然。すっごく楽しい」

 その言葉に嘘はなかった。天翔も笑顔のままカーペットの床に寝っ転がった。

「ああ、天翔クン、天翔クンはそんなお行儀の悪いことしちゃダメだよ」

「そう? でも、すっごく気持ちいい。それに眠いよ」

 大きなあくびが出てきた。タカシとの練習が楽しみで昨夜は遅くまで、今朝もいつもより早く起きて学校に行く前にずっとドローンの調整をしていた。眠くもなるはずだ。

 ポケットの中でスマホが振動した。

「チェッ、ジイやからだ」

 そろそろ帰る時間ですとメッセージは告げていた。

「あーあ、残念。帰るよ。おばさん、ご馳走様でした」

「いいのよ。タカシと遊んでくれてありがとね」

「いえ、そんな」

「ママやめてよ」

「本当、この子は私の若い頃とそっくりでガリガリで、ちょっと引っ込み思案でしょ。天翔くんみたいなお友達ができて本当によかった」

「そっくり?」

 思わずタカシとタカシのママを見比べる。

「そうよ。若い頃はガリガリに痩せてたのよ。今の6割ぐらいの体重だったんだから」

 そう言われてみると優しい目元と少し垂れた眉毛がそっくりだ。

 横でタカシが笑いをこらえていた。

 天翔はなるべく真面目な顔でうなずいた。




 タカシの家の前に止めた車の傍らに立つジイやは黙って天翔を待っていた。

 まだ話し足りないふたりは門扉に手をかけたままそれを開こうとしなかった。

「いつも弟たちがうるさくてごめんね」

「全然。楽しいよ」

 天翔に兄弟はいない。しかも親とは離れて暮らしている。

「坊ちゃま」

 ジイやが声をかけてきた。

 天翔が門扉を開けた。

「天翔クン、Air10のファームウェアがもう更新だって。バグフィクスみたいだけど」

「わかった。帰ったら更新しておく」

「マイクロドローン社のシミュレーターで今日使わなかったアンプのエミュレートができるから試してみようよ」

「うん」

「えっと、あ、あれ、なにか忘れてる気がするんだけど」

「大丈夫、忘れてないよ」

「あ、学校で」

「そうだ、宿題!」

 声が揃った。ふたりは顔を見合わせ、同時にふきだした。

「Bye」

 笑いすぎて目からこぼれた涙を吹きながら天翔は手をふった。

「天翔クン、こういう時だけ発音が本物ってずるいよ」

 タカシも手をふる

「カリフォルニアに住んでたからね」

「いいなあ、カリフォルニア」

「行く?」

「いつかね」

 話が尽きないふたりに、ジイやがもう一度声をかけてきた。

「いま行く」

 天翔が車に向かって走る。ジイやがドアを開けた。

「天翔クン!」

 タカシが手をふる。閉まったドアの向こうで天翔も手をふる。車はすぐに角を曲がって見えなくなった。

 タカシのポケットのスマホが鳴った。天翔からのLINEだ。




 同じクラスにいても口も聞いたことがなかった。初めて話したのは近所の河川敷でのことだ。弟たちを連れて散歩に出ていたタカシは、ドローンを操作していた天翔に思い切って声をかけた。

「すごいね。無線の免許持ってるんだ」

 屋外でドローンを飛ばすにはアマチュア無線4級の免許が必要だ。

「うん、持ってる。それより、その子たちは?」

 双子を見て気にならない人はいない。

「弟たち」

「双子なんだ」

「そう」

「キミってさ、同じクラスの……」

 転校してきたばかりの天翔はクラスメートの名前を覚えていなかった。

「青空高志。キミは空乃クンだよね」

「天翔(かける)って呼んで」

「天翔、クン?」

「それでいいや」

 急に吹いた風に煽られたドローンは天翔の操作でたちまち姿勢を立て直した。

「競技用のドローン、本物をこんなに近くで見るの、初めてだ」

 タカシの視線はまっすぐドローンに注がれていた。

「これはドローンレース用。操作してみる?」

「免許が無いとダメだと思う」

 タカシは残念そうに首を振った。

「そっか。じゃさ、うち来る? ドローンバトル用のドローンなら、室内だから免許無しでも大丈夫だよ」

「本当! ボク、毎日Webのシミュレーターで練習してるんだ」

 タカシの目が輝いた。が、すぐに輝きは失われた。

「でも、弟たちがいるから」

 がっくりと肩を落とすタカシを見て天翔はすかさずスマホを取り出した。

「じゃさ、ID交換しようよ。連絡するよ。都合のいい時間においでよ」

「うん!」

 タカシの瞳が輝きを取り戻した。




 スマホの画面には、「最初のバトル覚えてる?」と書かれたメッセージが表示されている。

「もちろん」

 スマホに向かって音声入力。

 あの日、タカシはいきなり天翔を打ち負かした。初めて実物のドローンを操作したタカシが、ドローンバトルの大会に何度も参加したことのある天翔をだ。空中での静止からラッシュ(突進)、アジャイル・マヌーバ(素早い動き)、トリック(相手を惑わす動き)。予想もしなかった強敵の登場に、天翔は腹を立てるどころか心を弾ませていた。何度も、もう一回と言って勝負をせがむ。ひとりでやっても楽しくない。相手がいるから楽しめる。天翔の得意なテニスと一緒だ。

「覚えてるよ」

 声が文字になり、送られていく。すぐに返事が帰ってきた。

「ボクも」

 きっと同じことを考えている。

 タカシは夜の空を見上げた。東京の夜空を取り戻すプロジェクトが始動してから数年経っても、相変わらず天の川は見えない。ちょっと前のこと、本物の天の川を見たことがないとつぶやいたタカシに天翔は、「今度見に行く?」と、気軽に言った。

「いつか、ね」

 いつか本物を見に行こう。その時はふたりで一緒に。

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